1982-05-14 第96回国会 衆議院 建設委員会 第13号
古味地区とか南川地区とかというようなところは、特に南川地区なんかは人家もあるし学校もあるし、非常に崩壊をする危険性もあるということを再三訴えておるし、そして当局も認めておるけれども、これに対する防災工事というものは、遅々として進まないのではない、やろうとしない、こういう話であるわけですが、これは一体どうでしょう。
古味地区とか南川地区とかというようなところは、特に南川地区なんかは人家もあるし学校もあるし、非常に崩壊をする危険性もあるということを再三訴えておるし、そして当局も認めておるけれども、これに対する防災工事というものは、遅々として進まないのではない、やろうとしない、こういう話であるわけですが、これは一体どうでしょう。
いま先生お話しがあった南川地区あるいは古味地区につきましては、当公団が建設中からもいろいろ注意をしてまいったところでございまして、ダムの完成いたしましてから後も、つまり五十年以降もいろいろ対策あるいは周辺のさらに危険なところの予防的な処置ということで、民家の移転などを行ったのでございます。
農地の崩壊につきましては、大川町南川地区の桑園流出の現場に参りました。この地区は、昭和四十八年度に農業構造改善事業により約十二ヘクタールの農地造成を行っており、現在地元五名の協業法人によって桑畑として生育しておりましたが、今回の豪雨でこの造成農地が大きく崩壊し、民家を押し流し、被害を生じております。
当日は出原に一泊、地元木頭村長等から陳情を聴取し、翌六日畔ケ野峯に登り、南川地区に広がる民有林八千町歩の開発予定地を眺望し、杉の造林地等を視察し、那賀川を下り、県営ダムの地点から沢谷に入り、木沢村役場で地元村長、森林組合等関係者の陳情や説明を聴取して、徳島県庁に着いたのであります。この間の走行距離は約三百キロでありまして、相当な強行軍でありました。