1978-05-31 第84回国会 衆議院 災害対策特別委員会 第16号
四十六年の災害の直後、私どもといたしましては、御指摘のような南地獄谷の地すべりというものを念頭に置きまして、そのための——当時たしか三十万立米の流出があったというように承知しておりますし、また現に不安定土壌も上方部には若干残っていたということがございまして、その四十六年災の防止のために、当時におきまして、国有林におきましては約六基の渓間工、そのほか山腹工であるとかいうものを計画をいたしたわけでございます
四十六年の災害の直後、私どもといたしましては、御指摘のような南地獄谷の地すべりというものを念頭に置きまして、そのための——当時たしか三十万立米の流出があったというように承知しておりますし、また現に不安定土壌も上方部には若干残っていたということがございまして、その四十六年災の防止のために、当時におきまして、国有林におきましては約六基の渓間工、そのほか山腹工であるとかいうものを計画をいたしたわけでございます
四十六年の災害についていま御指摘がございましたが、四十六年あるいは三十二年にも、あるいは三十七年というように災害が起きておりますが、これは今回の土砂崩壊が起きました約一キロぐらい上流の南地獄谷という泉源地帯でございまして、ちょうどそこは、妙高山のカルデラ地帯になっておるわけでございます。今回の土砂崩落の起きました場所は、妙高山の外輪の赤倉山の東斜面。
警報機を設置いたしましたのはたしか四十七年の初めだったかと思いますが、これは災害直後でございますが、同年の秋までには四十六年災、南地獄谷の地すべりにつきましての若干の工事も進みましたので、余りほとんど二次災害の心配はないということで、南地獄谷地区の警報機については撤去したというのが実態であります。
いま御指摘の問題でございますが、確かに妙高山一帯はそういう地質的な問題のあるところかもしれませんけれども、今回災害の起きました地域は過去におきましても災害の記録もございませんし、私どもとしてはその上部の南地獄谷一帯につきましては過去にも災害がありましたことから防災計画を立てまして逐次整備を図ってきたという現状でございますので、今回の郷田原の災害の起きました地区につきましては、今後専門家の調査を待ちまして
四十六年の災害は、四十六年の十二月三十日から三十一日にかけまして、今回土砂崩落の起きました約一キロメートル上流の南地獄谷で起きたものでございます。この南地獄谷は泉源の所在地でございますけれども、ちょうど赤倉山のカルデラ地帯にございまして、過去にも三十二年あるいは三十七年ごろに、同じように温泉性の地すべりを起こしているところでございます。
この三十二年の十二月は源泉の上部あるいは三十七年の八月は源泉部あるいは四十六年の十二月も南地獄谷の源泉部、これはいずれも南地獄谷の個所において生じております。