1971-02-13 第65回国会 衆議院 予算委員会 第11号
けれども朝日新聞を見ると、「佐藤国務相は十四日午後、来日中の南漢宸中国国際貿易促進委員会主席、南向前中国経済貿易展覧会副団長と東京・溜池東急ビルの佐藤事務所で約一時間にわたって会談し、日中問題などについて意見を交換した。
けれども朝日新聞を見ると、「佐藤国務相は十四日午後、来日中の南漢宸中国国際貿易促進委員会主席、南向前中国経済貿易展覧会副団長と東京・溜池東急ビルの佐藤事務所で約一時間にわたって会談し、日中問題などについて意見を交換した。
そこで問題は、現在大久保関係によりましても、下の門島並びに南向関係と同じように、これによる損失補償を知事裁定に持ち込んでおりますけれども、これに対して県は裁定する——もちろんこれは許可条項によって裁定せねばならぬとは思いますが、裁定する意思があるかどうか、これを一つお伺いしたい。
南向ダムは昭和四年の二月発電開始でありまして、当時二十年を経過いたしておりますが、この調べによりますと、土砂の堆積量は南向ダムはちょっとプリントがはっきりいたしておりませんが、泰阜ダムの方は八百九十二万五千平米、それから有効容量の減少率は五〇%、土砂による年間損失電力量、いわゆる電力コストの影響ありとして算出されたものでございますが、これが二千八百四十四万四千キロ、こういう調査が出ております。
そこでこの南向発電所をこしらえるときと同時に出願して、同時に許可を得ておる。それから完成がわずか一年、南向発電所より早いだけなんだ。それで、堰堤の高さはたしか四メートルかあったと思います。川幅が百何メートルかある、こういうところにわずか千六百キロくらいな発電所をこしらえても、おそらくこれは採算がとれまいと思うのです。
現地視察は本員のほか薩摩、二階堂、前田、三鍋、小川の六委員によって、六月二十三日、二十四日両日にわたり泰阜ダム(門島ダムとも称する)、南向ダム(吉瀬ダムとも称する)及び大久保ダムの沿岸関係市町村の現場について行なったのであります。
○三田参考人 私どもといたしましては南向発電所の関係といたしまして、ダムの湛水地の末端あたりのところに非常な狭窄部があるという問題と、それから太田切川の荒廃が非常にひどい、これは最初考えておった以上に太田切川の影響というものがあるという点から、会社だけで全額補償するというものではないのじゃないかと考えております。
○中島(巖)委員 そこで中部電力にお尋ねいたしますが、ただいま小出参考人からお答えがあったような次第で、私どもしろうとの目では南向発電所ダムのための河床上昇によって、そうした土地改良事業をせねばならぬことになった、こういうように考えるのであります。しかしこれについてはいろいろと御議論があるだろうと思います。
それでただいま南向関係でありますが、先ほど南向関係の方々よりのお話で、中部電力が河床上昇対策措置として相当協力しておるという話があったが、中部電力が南向発電所の吉瀬ダムの関係でどういう協力費を出して、どこに使ったかというようなことがおわかりならお答えを願いたい。これは土木部長からの答弁でもよろしゅうございます。
そうして天龍川の本流には最近できましたところの佐久間、その上に平岡、泰阜、南向、大久保、この五つの発電所があるわけであります。佐久間は最近できたところでありますから、何も問題は起っておりませんけれども、昭和二十七年に完成した平岡発電所ですら、本流には問題が起っておりませんが、その支流の遠山川には、河床の上昇によっていろいろな問題が起っておる。
佐久間ダム、秋葉ダムを建設いたしております天竜川は、御承知の通り、その源を諏訪湖に発しておりますが、河百までの落差七百三十メートルを利用して、古くから電源開発が行われ、本流だけでも、上流部に大久保、南向の二水路式発電所があり、中流部に泰阜、平岡のダム式発電所ができしており、その下流に現在佐久間、秋葉を建設いたしておるのであります。
○專門員(後藤隆吉君) 私達は先頃近接せる宮田村、中澤村、飯島村、片桐村、上片桐村、七久保村、南向村の村長、郵便局長、農業協同組合長、小学校長、中学校長と連署して逓信大臣殿及び日本放送協会長殿宛にラジオ中継放送局を赤穂へ設置方申請しましたが、貴委員会の御來信を機に当地方の実情を具申し特別の御詮議と御配慮をお願いしたいと思います。
少年院自身の問題としてはまず終日太陽の当らない舎屋を南向に移轉させる必要があります。凡百の保護施設も、また訓戒も陽光の恩惠には遠く及ばないのでございます。しかし自然の惠沢は無償なのであります。為政者はまずかかる平易な認識から出発することが大切であります。勇断をもつて大機械力で舎屋の方向轉換をすることを私は提唱いたします。