2015-05-13 第189回国会 衆議院 文部科学委員会 第8号
ただ、南原総長からすれば、曲学阿世の徒の空論と言われたことに対してはふんまんやる方ない思いを持っておられるという思いはよくわかりますが、しかし、それが実際に日本の民主政治の危機になったかというと、実際はなっているわけではありません。
ただ、南原総長からすれば、曲学阿世の徒の空論と言われたことに対してはふんまんやる方ない思いを持っておられるという思いはよくわかりますが、しかし、それが実際に日本の民主政治の危機になったかというと、実際はなっているわけではありません。
三日後、南原総長は記者会見をしました。学問の冒涜、学者に対する権力的強圧以外のものではない。全面講和は国民が欲するところで、それを理論づけ、国民の覚悟を論ずるのは政治学者としての責務だ。それを曲学阿世の徒の空論として封じ去ろうというのは、日本の民主政治の危機であると反論の声明を発表し、鋭く対立をしました。
時に、東大南原総長を曲学阿世とまで断じて頑固を通しました。後世、歴史は吉田政治を高く評価し、歴史に名を刻んだのであります。残念ながら、あなたにはその片りんすら見ることができないのであります。 そもそも、あなたがあこがれた吉田政治と現実の麻生政治は、政治以前の血のつながりと少年のあこがれがない交ぜになった、誠にもって非なるものであります。
そして、貴族院の本会議や委員会で南原総長は、国連憲章は自衛権をも承認していると。そして、日本は国連加盟することになるだろうと。そのときに、各国が状況によってはその自衛権を国連のために提供する義務を持っていると。いわゆる国連憲章に基づく自衛権の権利と、それから国連のために提供する義務を持っていると。この権利と義務をもこの九条は放棄するのかということを南原さんは吉田さんに聞いていますね。
私どもは若いときに、矢内原総長、南原総長のお話なんかを聞くと魂が震えたんですよね。要するに、日本の国の学問の府としてすばらしいものがあった。ところが、今はどうも本当に大学が国民にとって、若者にとって胸を震わすような存在なんだろうかということが心配でならないんですね。 そして、実は大学がこうなっている原因の一つに、昔から言われておったんですけれども、大学入試制度があるんですね。
それから、講和に際して、全面講和を主張した南原総長に対しまして曲学阿世の徒という言い方をいたしました。吉田さんというのは、明治十一年生まれですから大変古い方で、世の中、天皇陛下の次に総理大臣が偉い、東大総長であろうが労働組合であろうが虫けら同然と、こういう思いがあってああいう発言になったんだろうと思います。
自身の政策に関する論理の中からものさしが出ており、それによって、最後に展開されました論理が、民族の完全独立とはまるで逆な、または愛国的主張としては逆な、非核三原則をじゅうりんし、憲法を犯し、場合によれば、日本の主権の中枢の部分であります防衛、外交権を、アメリカとの話し合いの中で、アメリカにゆだねるかもわからぬという、そういう矛盾、それから出たのでありますから、先ほど、吉田さんがばかやろうと言った、南原総長
○受田委員 かって吉田総理は曲学阿世の徒といって南原総長を攻撃したことがあります。林さんの御答弁は曲学阿世に類するものがある。何となれば、あらかじめ指定するということになれば、事故があったときにあらかじめ指定した国務大臣がおらなければならぬとわれわれは解釈しておる。選択権利はないと思う。事故があったときにあらかじめ指定した国務大臣がおらないということは、九条違反ではないですか。
その声明が多くの支持者を得るのは、あの地位におるから、事大主義だからと、こう言われるのでありますけれども、教育界の人が冷静にあれを読まれて、矢内原総長や南原総長が言うから事大主義でさっとついていったというのではなしに、みなが待ち焦がれておるときにあの声明が出たから、きゅう然として、われわれの意向に全く沿うものであるといってあれに共鳴をした形が現われたのだ、こう私は考えるのであります。
これは南原総長が前に行かれて、その間の事情をよく言っておるが、これは迷惑だから少数にしたらどうだ、しかもあなた方の政党である深川タマエさんが、実は最後に病気で行かなかったが、そういうからだの悪い人とか、他に視察の希望のある人もいるから、イワノボだけは代表ではどうだという発言をドーミンにされた。私はそれはいかぬと即座に言った。
日本共産党の諸君及びここにお見えになつておる穗積七郎君、あるいは南原総長、私の恩師である佐々木惣一博士のごときは、終始徹底的に反対意見を述べられて、採決においても反対投票をされておる。つまり日本はもちろん占領下にあつたのでありまして、この大きい政治的圧力というものは無視できませんけれども、占領末期におけるいわゆるポツダム政令の場合のように、それほど押しつけ的のものではない。
文教が政治に優先するものであるというようなことは曾つて南原総長がおつしやいましたが、そのような手前味噌なことを私は主張するものではありませんけれども、今日の日本の情勢がだんだん先ほど森崎先生がおつしやいましたように、サーベルのほうが重きをなして、ペンや筆が折つて捨てられるような形になつて行くというこの現実が私には淋しい気がするし、八年も耐え忍んで来たあの学生の過去の苦しみと、又日本の今日のこの水産大学
私がここに申し上げますことは、昨年四月、終戦後第三回の医学大会が東大で開かれましたときに述べられましたところの南原総長の祝辞の一部でございます。
それを南原総長ともあろうものが声を高らかに学生に訓示をしておられるのだということは、これに滑稽至極、沙汰の限りだと私は考えるのであります。 そういうふうなことからお互いに自分の主張というものは絶対的なものであるということは今日言い得ないのであります。
ここに警察手帳の写真がございますので後ほど委員のかたがたにお廻しして見て頂ければなおはつきりすると思いますけれども、例えばこれは警察手帳のほんの一部をプリントしたものですが、文学部の学生大会、法学部の学生大会、教育学部の学生大会、東大経済学部職員組合大会、都学連大会、中央委員会、緑会大会、それから南原総長送別会、矢内原総長講演会、こういつた学校及び学生の催し物にすべて入つているという事実が警察手帳に
先ほどおまわしした警察手帳の写真及び「警察手帳の全貌」という文章によつてもおわかりなように彼らが東大の中に入つて来て、強盗だの殺人だの窃盗だの、そういつたことを調べたのではなくて、たとえば文学部学生大会、法定部学生大会、教育学部学生大会、東大経済学部職員組合大会、都学連大会、中央委員会、緑会大会、南原総長送別会、矢内原総長講演会、こういつた集会にも入り込んでいるわけです。
○猪俣委員 なおこの警察手帳の内容なりとして発表せられたのを見ますると、文学部の学生大会、あるいは教育学部の学生大会、あるいは南原総長の大会、そういうところへ全部出入りしているようでありますが、これは一体大学と了解の上で出入りなさつたのであるか、あるいは巡査がひそかにこういうところに入つたのであるか、どちらでありますか。
今日南原総長なんかの新聞紙上に現われました言辞を観察いたしておりましても、どうも私どもはもう少し深みのある、時間的に永遠を指し示すような人間の魂の光というものが大学総長の言辞の中に見られないものかと私どもは探しておる。こういう指導者の言辞に対しては、相当尊敬の念を以て私どもは魂の動きを見ておるのであります。それが一つも指導者の言葉の中に現われていない。
すでに捜査が続けられておつたときに、大田学部長や瀬尾事務長が登校して、ここはこのようなものは配布されていないから、事を荒ら立てないで早く帰れという要求をなされておるような状態でありまして、その後も十月二十五日に教授会で問題になりまして、主任会議までが開かれまして、建築科全学部、それから大田学部長、南原総長なども、学問の自由、学園の自由というものが蹂躙されたということに非常な不満を述べておられます。
又東京大学の南原総長等の知識階級も、はつきりこの條約殊に安全保障條約に対して反対の意見を公にしておるのであります。去る十一月の十二日、京都大学の行幸におきまして、一部学生がプラカードに條約反対というようなことまで書きまして、そうして天皇陛下に迫つたというような事実もあるのであります。この両條約締結を前にいたしまして、国内は騒然たる形勢を増しておるのじやないかというふうに心配をいたします。
には大学教授が糸を引いているというようなことを発言なさつたと思いますが、大学でマルクス経済学を教授することは、これは自由、それは各委員とも御同感と思うのですが、その教えている教授が糸を引いてやつている節がある、そうしてその教授をそれならば処罰すべきだというような意見があつたように思うのですが、これは私たちとしましても非常に危険なものの考え方ではないか、こうなれば鳩山文相の二の舞になりますし、なお南原総長