2014-05-09 第186回国会 衆議院 文部科学委員会 第16号
日本軍による南京占領のとき南京城内にいたニューヨーク・タイムズ紙のダーディン記者は、南京陥落の四日後には記事を送り、十二月十八日付の同紙には、南京における大虐殺行為と蛮行によって、日本軍は南京の中国人及び外国人から尊敬と信頼を受ける乏しい機会を失ってしまったと掲載をされております。翌年一月九日号の見出しは、南京侵略軍、二万人を処刑、日本軍による集団虐殺、一般市民を含め死者三万三千となっております。
日本軍による南京占領のとき南京城内にいたニューヨーク・タイムズ紙のダーディン記者は、南京陥落の四日後には記事を送り、十二月十八日付の同紙には、南京における大虐殺行為と蛮行によって、日本軍は南京の中国人及び外国人から尊敬と信頼を受ける乏しい機会を失ってしまったと掲載をされております。翌年一月九日号の見出しは、南京侵略軍、二万人を処刑、日本軍による集団虐殺、一般市民を含め死者三万三千となっております。
まだこれから全てチェックをしなきゃいけないなと思っていますが、例えば、一点だけ申し上げておきますと、修正前の実教出版の日本史Aというものですが、これは記述を申し上げますと、南京城内占領前後の数週間で、少なくとも十数万人が殺害されましたと断定的に書いてあったものが、今回の修正を受けて、修正後の文を読みますと、南京城内外占領後の数週間で、多くの市民や武器を捨てた兵士などが殺害されました。
そして、お手元に資料の五をお配りしておりますけれども、これは、一九九八年に雑誌に掲載された南京虐殺派の第一人者であります笠原十九司都留文科大学教授も、そのページの中に線を引いておりますけれども、「南京城内では、数千、万単位の死体が横たわるような虐殺はおこなわれていない。」というふうに明確に書いております。
A社のI記者は、南京城内の大量殺人というのを書いた。ある者が君はとんでもない記事を書いたなと、なじると、あれは自分が興味本意に書いたと白状した。その同僚の記者が、Iは後方ばかりにいて記事をでっち上げる男だと言っていたそうだ。 次にB紙のS記者は、大激戦中の十二月十二日に中山門から入った。城壁にたどりついた兵が次々に万歳を叫ぶ。門の上では虐殺が行われていた、と書いている。
そのころ、南京城内には死体が累々と横たわり、瓦礫が山を成し、暗い冬の風がすさまじく吹きわたって、さながらこの世の地獄となった。敵の凶悪さ残虐さは、全国人民のたとえようのない憤怒を激しくよび起こしたのであった。 こういうふうに書いているわけであります。