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26件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1990-11-06 第119回国会 衆議院 国際連合平和協力に関する特別委員会 第9号

○石橋(大)委員 御承知のとおり、ベトナムでゴ・ジン・ジェムの独裁政権に対する武装闘争ゲリラが始まったのが一九五九年ですから、その一九五九年から六〇年にかけてですが、六〇年十二月二十日の南ベトナム解放民族戦線の結成に続いて、六一年二月十四日に解放民族戦線人民武装勢力が成立をする。アメリカは六一年の七月から特殊戦争を開始をし——特殊戦争というのはゲリラ戦のことですね。

石橋大吉

1990-06-14 第118回国会 参議院 外務委員会 第7号

つまり、アメリカ南ベトナム政府、それに北ベトナム政府南ベトナム解放民族戦線それぞれ二つのグループではありますけれども、しかし例えば南ベトナム政府アメリカのかいらいだと、附属物だと言われたくない、同時に南ベトナム解放民族戦線北ベトナム付随物だとは言われたくないという状況の中で、フランス政府大変苦労をして円卓方式というのをとった。入ってくる入り口まで配慮をしたと聞いています。

田英夫

1986-10-09 第107回国会 参議院 外務委員会 第1号

これは、それぞれ戦っている相手の 言い分ですから、どっちが正しいかということはありますけれども、そこで思い出しますのは、あのベトナム戦争のさなかに南ベトナム南ベトナム解放民族戦線というのがありました。同じような名前です。同じような性格だと思うんですね。つまりあれをアメリカベトコンと呼んだんですね、ベトナム・コミュニストだと。

田英夫

1977-05-11 第80回国会 参議院 決算委員会 第6号

この発言をされた方が、当時南ベトナム解放民族戦線中央委員会の副議長であり、後に南ベトナム共和国革命政府の首相になった方であります。その方がこういうことを発言されておるのです。  この戦略村というのは、当時ニュースや何かであるいは外務省の方もごらんいただいたと思うわけですが、どういう状態にあったかということは、いまでも目を覆いたくなるようなそういう内容であったことを承知いたしておるわけであります。

大塚喬

1976-05-17 第77回国会 衆議院 内閣委員会 第8号

ベトナム民主共和国人民軍機関紙「クアンドイ・ニャンザン」は最近、南ベトナム南ベトナムかいらい軍が急速に崩壊し始めた一九七四年二月に、陸幕第二部副部長の梅野文則、現統幕二室長ですが、この梅野文則を団長とする二名の日本軍事情報団南ベトナムサイゴンその他を訪問、南ベトナム軍事情勢北ベトナム軍すなわちベトナム民主共和国人民軍ベトコン南ベトナム解放民族戦線の部隊の活動状況についての説明会に参加したと

木下元二

1974-05-16 第72回国会 参議院 外務委員会 第12号

実行委員会としましては、引き続いて、南の政治団体、南に国会まだできておりませんから、臨時革命政府地域におけるところの政治団体南ベトナム解放民族戦線民族民主平和勢力連合代表団を招待したいと思っておりますが、その場合、これらの代表団の入国を認めるべきだと、こう思うんでありますが、それについての政府の方針、これもあわせてひとつお聞きしたいと思います。  質問それだけでございます。

星野力

1973-06-28 第71回国会 参議院 外務委員会 第16号

普通政治勢力といいますと、政党のような、一定の政治的な傾向を持ったところの集団をさすように思うのでありますが、臨時革命政府政治勢力——南ベトナム解放民族戦線とか、民族民主平和勢力連合とか、これは政治勢力と言えるかもしれません。臨時革命政府政治勢力といいますか。技術的なお答えでもよろしゅうございます。

星野力

1972-04-25 第68回国会 参議院 予算委員会第二分科会 第3号

私それじゃ申し上げますが、南ベトナム共和臨時革命政府も、南ベトナム解放民族戦線も、アメリカ米軍全面撤退の時期を確約するならば、米軍撤退の安全を保障し、捕虜も釈放する、こうはっきり言っている。またグェン・バン・チュー一人が除かれればそのあとにできるサイ・コン政権と話し合って民族和合政府をつくるということを、これは公式に声明しておる。

星野力

1971-05-20 第65回国会 衆議院 内閣委員会 第29号

つまり毒ガス爆発であっても――これはS・ローズの「生物化学兵器」という本でありますが、この中で、ベトナム戦争において、この種の毒ガスでも、これを汚染されれば特に幼児は非常な被害を受けるわけでありますが、「南ベトナム解放民族戦線の一地方病院医療責任者である女医のツイバー博士は、彼女が治療したある幼児死亡例について語ってくれた。

楢崎弥之助

1970-05-09 第63回国会 参議院 外務委員会 第11号

どのようにして、まかり間違えばカンボジア進攻インドシナ全体に戦火を及ぼすというような事態にならないとも限らないと思うのでございますので、そういう点に対して、私は端的に総理の御見解を承りたいと思うのでございますが、インドシナ、特にベトナム戦争を終息させるためには、アメリカカンボジアにあるところのベトナム民主共和国軍隊、あるいは南ベトナム解放民族戦線軍隊が寄っておるところの、いわゆる「聖域」というところをたたくことはやむを

西村関一

1970-05-07 第63回国会 参議院 外務委員会 第10号

と申しますことは、たとえ南ベトナム解放民族戦線あるいは北のベトナム民主共和国軍隊が拠点といたしておりますところのいわゆる聖域をつぶすことができたとしても、第二、第三の聖域ができる。あの広いインドシナ地域のあのジャングル地帯において、全部のジャングルを抹殺するということはできないんです。私もカンボジア、ラオス、ベトナム各地を歩いて回りましたが、そういうことはできないんです。

西村関一

1969-06-19 第61回国会 参議院 外務委員会 第15号

いま名前は伏せておきたいと思いますが、そういう動きが出ておるということに対しましてどういうふうに政府としてはこの情勢を見ておられるかということと、それから、いよいよ交渉が成立した場合に、アメリカ軍隊が引き上げる、また北が南から北へ引き上げるということに対する国際的な監視機関を置くということにつきましては、これは南ベトナム解放民族戦線の十の提案の中の第十項にそのこともあるのでございまして、アメリカのニクソン

西村関一

1967-12-12 第57回国会 衆議院 予算委員会 第3号

また何かいわゆるベトコン南ベトナム解放民族戦線アメリカ攻撃をするからというようなふうに聞こえますけれども、アメリカが出ていって、そのあとで、これに抵抗する組織として、民族解放組織として一九六〇年の暮れごろに組織されたのが南ベトナム解放民族戦線なんです。アメリカが行ったからベトナムの民衆がこれに抵抗しているわけですよ。

北山愛郎

1966-05-13 第51回国会 衆議院 外務委員会 第16号

現にアメリカサイゴンにおいて南ベトナム解放民族戦線攻撃をしばしば受けておる。アメリカの大使館までやられておる。この間はサイゴン市内において解放民族戦線がしかけた爆発物爆発によって、そこに解放民族戦線の者がいないにかかわらず、アメリカの憲兵はめったやたらに機銃を掃射した。そして無辜の市民を傷つけた。朝の仕事に出かけようとするトラックの労働者がばたばたやられた。

西村関一

1966-03-19 第51回国会 参議院 予算委員会 第14号

ベトナム問題の平和解決というためには、すでに国際的に確立されているジュネーブ協定、これをもとにして、第一にアメリカ南ベトナムに対する侵略をやめる、アメリカとその従属国軍隊、すべての兵器を撤収し、南ベトナムの政治的、社会的なすべての問題は、南ベトナム人民に解決させるということ、第二に、北ベトナムに対する一切の戦争行為を無条件かつ永久にやめること、こういうことを私言ってきたし、同時に、最近では南ベトナム解放民族戦線

春日正一

1966-02-02 第51回国会 参議院 本会議 第9号

日本政府は、南ベトナム解放民族戦線の将来あり得べき和平交渉における地位について、同戦線代表者にも、アメリカ、ハノイと並んで、一個の対等の「いす」が与えられるべきだと考えませんか。総理は、原潜のかくも恒常的な寄港を今後も認めるおつもりですか。エンタープライズ号寄港を認めるつもりでありますか。

椿繁夫

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