1990-11-06 第119回国会 衆議院 国際連合平和協力に関する特別委員会 第9号
○石橋(大)委員 御承知のとおり、ベトナムでゴ・ジン・ジェムの独裁政権に対する武装闘争、ゲリラが始まったのが一九五九年ですから、その一九五九年から六〇年にかけてですが、六〇年十二月二十日の南ベトナム解放民族戦線の結成に続いて、六一年二月十四日に解放民族戦線人民武装勢力が成立をする。アメリカは六一年の七月から特殊戦争を開始をし——特殊戦争というのはゲリラ戦のことですね。
○石橋(大)委員 御承知のとおり、ベトナムでゴ・ジン・ジェムの独裁政権に対する武装闘争、ゲリラが始まったのが一九五九年ですから、その一九五九年から六〇年にかけてですが、六〇年十二月二十日の南ベトナム解放民族戦線の結成に続いて、六一年二月十四日に解放民族戦線人民武装勢力が成立をする。アメリカは六一年の七月から特殊戦争を開始をし——特殊戦争というのはゲリラ戦のことですね。
つまり、アメリカと南ベトナム政府、それに北ベトナム政府と南ベトナム解放民族戦線、それぞれ二つのグループではありますけれども、しかし例えば南ベトナム政府はアメリカのかいらいだと、附属物だと言われたくない、同時に南ベトナム解放民族戦線も北ベトナムの付随物だとは言われたくないという状況の中で、フランス政府は大変苦労をして円卓方式というのをとった。入ってくる入り口まで配慮をしたと聞いています。
したがって反米色が強いことは事実でありますが、このことは、かつてベトナム戦争のさなかにアメリカが、自分たちに南ベトナムで抵抗した南ベトナム解放民族戦線をベトコンと呼んだことに非常に類似していると思います。
これは、それぞれ戦っている相手の 言い分ですから、どっちが正しいかということはありますけれども、そこで思い出しますのは、あのベトナム戦争のさなかに南ベトナムに南ベトナム解放民族戦線というのがありました。同じような名前です。同じような性格だと思うんですね。つまりあれをアメリカはベトコンと呼んだんですね、ベトナム・コミュニストだと。
この発言をされた方が、当時南ベトナム解放民族戦線中央委員会の副議長であり、後に南ベトナム共和国革命政府の首相になった方であります。その方がこういうことを発言されておるのです。 この戦略村というのは、当時ニュースや何かであるいは外務省の方もごらんいただいたと思うわけですが、どういう状態にあったかということは、いまでも目を覆いたくなるようなそういう内容であったことを承知いたしておるわけであります。
ベトナム民主共和国人民軍機関紙「クアンドイ・ニャンザン」は最近、南ベトナムで南ベトナムかいらい軍が急速に崩壊し始めた一九七四年二月に、陸幕第二部副部長の梅野文則、現統幕二室長ですが、この梅野文則を団長とする二名の日本軍事情報団が南ベトナムのサイゴンその他を訪問、南ベトナムの軍事情勢、北ベトナム軍すなわちベトナム民主共和国人民軍とベトコン、南ベトナム解放民族戦線の部隊の活動状況についての説明会に参加したと
実行委員会としましては、引き続いて、南の政治団体、南に国会まだできておりませんから、臨時革命政府地域におけるところの政治団体、南ベトナム解放民族戦線と民族民主平和勢力連合の代表団を招待したいと思っておりますが、その場合、これらの代表団の入国を認めるべきだと、こう思うんでありますが、それについての政府の方針、これもあわせてひとつお聞きしたいと思います。 質問それだけでございます。
普通政治勢力といいますと、政党のような、一定の政治的な傾向を持ったところの集団をさすように思うのでありますが、臨時革命政府を政治勢力——南ベトナム解放民族戦線とか、民族民主平和勢力連合とか、これは政治勢力と言えるかもしれません。臨時革命政府を政治勢力といいますか。技術的なお答えでもよろしゅうございます。
こうした事態にがまんできなかったベトナムの愛国者たちが団結して立ち上がったのが、南ベトナム解放民族戦線であります。彼らは、アメリカが言うベトコン、つまりベトナムの共産主義者ではありません。共産主義者はその一割にも達していないのです。彼らは愛国者の集団であります。
私それじゃ申し上げますが、南ベトナム共和臨時革命政府も、南ベトナム解放民族戦線も、アメリカが米軍の全面撤退の時期を確約するならば、米軍の撤退の安全を保障し、捕虜も釈放する、こうはっきり言っている。またグェン・バン・チュー一人が除かれればそのあとにできるサイ・コン政権と話し合って民族和合政府をつくるということを、これは公式に声明しておる。
つまり毒ガスの爆発であっても――これはS・ローズの「生物化学兵器」という本でありますが、この中で、ベトナム戦争において、この種の毒ガスでも、これを汚染されれば特に幼児は非常な被害を受けるわけでありますが、「南ベトナム解放民族戦線の一地方病院の医療責任者である女医のツイバー博士は、彼女が治療したある幼児の死亡例について語ってくれた。
どのようにして、まかり間違えばカンボジア進攻がインドシナ全体に戦火を及ぼすというような事態にならないとも限らないと思うのでございますので、そういう点に対して、私は端的に総理の御見解を承りたいと思うのでございますが、インドシナ、特にベトナム戦争を終息させるためには、アメリカがカンボジアにあるところのベトナム民主共和国の軍隊、あるいは南ベトナム解放民族戦線の軍隊が寄っておるところの、いわゆる「聖域」というところをたたくことはやむを
と申しますことは、たとえ南ベトナム解放民族戦線あるいは北のベトナム民主共和国の軍隊が拠点といたしておりますところのいわゆる聖域をつぶすことができたとしても、第二、第三の聖域ができる。あの広いインドシナ諸地域のあのジャングル地帯において、全部のジャングルを抹殺するということはできないんです。私もカンボジア、ラオス、ベトナム各地を歩いて回りましたが、そういうことはできないんです。
いま名前は伏せておきたいと思いますが、そういう動きが出ておるということに対しましてどういうふうに政府としてはこの情勢を見ておられるかということと、それから、いよいよ交渉が成立した場合に、アメリカ軍隊が引き上げる、また北が南から北へ引き上げるということに対する国際的な監視機関を置くということにつきましては、これは南ベトナム解放民族戦線の十の提案の中の第十項にそのこともあるのでございまして、アメリカのニクソン
また何かいわゆるベトコン、南ベトナム解放民族戦線がアメリカに攻撃をするからというようなふうに聞こえますけれども、アメリカが出ていって、そのあとで、これに抵抗する組織として、民族解放の組織として一九六〇年の暮れごろに組織されたのが南ベトナムの解放民族戦線なんです。アメリカが行ったからベトナムの民衆がこれに抵抗しているわけですよ。
現にアメリカはサイゴンにおいて南ベトナム解放民族戦線の攻撃をしばしば受けておる。アメリカの大使館までやられておる。この間はサイゴン市内において解放民族戦線がしかけた爆発物の爆発によって、そこに解放民族戦線の者がいないにかかわらず、アメリカの憲兵はめったやたらに機銃を掃射した。そして無辜の市民を傷つけた。朝の仕事に出かけようとするトラックの労働者がばたばたやられた。
ベトナム問題の平和解決というためには、すでに国際的に確立されているジュネーブ協定、これをもとにして、第一にアメリカが南ベトナムに対する侵略をやめる、アメリカとその従属国の軍隊、すべての兵器を撤収し、南ベトナムの政治的、社会的なすべての問題は、南ベトナムの人民に解決させるということ、第二に、北ベトナムに対する一切の戦争行為を無条件かつ永久にやめること、こういうことを私言ってきたし、同時に、最近では南ベトナム解放民族戦線
またさらに、戦争の当面の相手である南ベトナム解放民族戦線の主張も聞かなければならない。そういうことはお考えの外に置いて、ただアメリカの主張を口移しにお述べになっておられるというのでは、これは私はアジアの自主外交ということにはならぬと思うのであります。
日本政府は、南ベトナム解放民族戦線の将来あり得べき和平交渉における地位について、同戦線の代表者にも、アメリカ、ハノイと並んで、一個の対等の「いす」が与えられるべきだと考えませんか。総理は、原潜のかくも恒常的な寄港を今後も認めるおつもりですか。エンタープライズ号の寄港を認めるつもりでありますか。
世界周知のごとく、ベトナム民主共和国と南ベトナム解放民族戦線は、一九五四年のジュネーブ協定に基づく平和の原則を守り、北ベトナムは四項目、解放民族戦線は五項目を提示しています。これこそがベトナムに平和をもたらす唯一のものであります。これをアメリカは拒否しておる。