2002-07-04 第154回国会 衆議院 憲法調査会基本的人権の保障に関する調査小委員会 第5号
ここでは労働権、社会権に関するもののみをお示ししておりますが、当時、労働権、社会権については日本社会党と協同民主党の二党から草案への修正意見が出されたということであります。 日本社会党の意見は、労働権について、当時の憲法草案について、正当なる報酬、機会均等と失業防止、休息の権利、最長八時間労働制などを追加すべきというものでありました。
ここでは労働権、社会権に関するもののみをお示ししておりますが、当時、労働権、社会権については日本社会党と協同民主党の二党から草案への修正意見が出されたということであります。 日本社会党の意見は、労働権について、当時の憲法草案について、正当なる報酬、機会均等と失業防止、休息の権利、最長八時間労働制などを追加すべきというものでありました。
○草野参考人 先ほども一番最後のところで申し上げたように、憲法制定当時の日本社会党さんと協同民主党さんの修正意見が、全部ではありませんけれども、一部取り入れられて、勤労の権利と義務あるいは労働三権の問題等がきちっと憲法に明示されたということについては、私は、大変これは立派な憲法の条文だというふうには思っております。
ルモノデゴザイマス、斯クシテ日本国ハ永久ノ平和ヲ念願シテ、其ノ将来ノ安全ト生存ヲ挙ゲテ平和ヲ愛スル世界諸国民ノ公正ト信義ニ委ネントスルモノデアリマス、此ノ高キ理想ヲ以テ、平和愛好国ノ先頭ニ立チ、正義ノ大道ヲ踏ミ進ンデ行カウト云フ固キ決意ヲ此ノ国ノ根本法ニ明示セントスルモノデアリマス こういう本会議、総理の答弁もありますし、これは、一九四六年、昭和二十一年七月四日の衆議院憲法改正案委員会の質疑で、協同民主党
○藤井国務大臣 当時、協同民主党、それから国民協同党という名前に変わった当時だと思いますが、党派はそのような党派でございました。
昭和二十一年四月の第二十二回衆議院議員総選挙には、祖国再興の熱意に燃えて、郷里の愛知県第一区より勇躍出馬、三十六才の若さをもって、みごと当選の栄を得られ、直ちに三木武夫君とともに協同民主党の結成に参画されたのであります。自来、国民協同党、国民民主党、改進党、日本民主党を経て現在の自由民主党に至られ、連続して当選すること七回、在職十一年十一カ月に及んでおられます。