2016-03-09 第190回国会 衆議院 厚生労働委員会 第3号
古代の時代から、これは卑弥呼の時代からずっと世界じゅうでやり続けられている行為であって、そして、また最近のタトゥーとか、見ていただければわかりますけれども、非常に芸術的なわけですよ。これを医療だといって、では、お医者さんがタトゥーを彫れますか。彫れますか、彫れないですよ。なぜなら絵を描けないからですよ。ですよね。絵が描けないわけですよ。
古代の時代から、これは卑弥呼の時代からずっと世界じゅうでやり続けられている行為であって、そして、また最近のタトゥーとか、見ていただければわかりますけれども、非常に芸術的なわけですよ。これを医療だといって、では、お医者さんがタトゥーを彫れますか。彫れますか、彫れないですよ。なぜなら絵を描けないからですよ。ですよね。絵が描けないわけですよ。
卑弥呼とかそっちの方に流れていくわけなんです。 もちろん、そういったような古墳とか副葬品の名称を覚えるということも否定はしないわけでありますけれども、やはり、こういった神話教育というものを、このような日本ができる段階できちんと教えておくということが、その後のあらゆる時代の歴史教育の中にも必ず生きてくるというふうに思っております。
そんな先生に付けられたあだ名は、尚子ならぬ卑弥呼だそうです。横浜国立大学附属小学校、同中学校を卒業された先生は、神奈川県立鎌倉高等学校、さらに横浜国立大学学芸学部心理科に進まれ、学業を修められました。 大学卒業後の昭和三十四年、先生は神奈川県教育委員会に採用されます。
私の選挙区は、我が国の歴史上初めて統一国家というふうなものが誕生した地域でありまして、明日香村でありますとか藤原京でありますとか、そういう歴史豊かな選挙区で仕事をさせていただいているということに非常に誇りを感じておるんですけれども、橿原の隣に桜井市というのがございまして、こちらもいろいろな遺跡のあるところなんですが、その中でも、一昨年、纏向遺跡というところで、ひょっとすると卑弥呼が活動していた建物じゃないかという
私の選挙区は、日本の国家としての源流というべき明日香村であるとか、あるいは藤原京のあった橿原市、最近、新聞等に載っていますけれども、卑弥呼の宮殿の跡地ではないかという建造物の発掘がされておる桜井市、そういう本当に歴史、由緒深い選挙区であります。
それで、さっきの銅鏡の話ですけれども、これは本当に分析すれば、魏志倭人伝に出ている卑弥呼への銅鏡百枚のものなのか、それとも、そのうちの、送られてきたものを日本で鋳型をつくって、日本でつくった彷製鏡になるのかとか、分析すればわかるわけなんですよ。やはりそういうことをきちんとやっていくというのが大事ではないかということを言っているわけです。
これは、ヤマトトトヒモモソヒメの墓ということもあれば、卑弥呼の墓という説も有力な一つであります。だれなのか確かめない間から安寧と静ひつを理由にして調査を拒否するということではなくて、それをやりますと科学的説明がつかなくなりますから。
○吉井分科員 箸墓古墳は、宮内庁によれば、陵墓、ヤマトトトヒモモソヒメノミコトの墓とされておりますが、卑弥呼の墓という説も有力なものとして出てきていたりとか、学術的には箸墓古墳の被葬者はだれなのか、このことについて明確になっているのかどうかを伺います。
戦前、戦中の反省はわかるにしても、改めてこの法改正を契機に、ぜひ、国旗・国歌の、建国のいわれ、いわゆる卑弥呼、聖徳太子は書かれていても、アマテラスオオミカミ、天孫降臨のニニギノミコト、神武天皇のことが全く建国神話として書かれていないということはどう考えてもおかしいのではないかというふうに感じております。
先ほどの、台風の被害に遭った箸墓ですけれども、私も行ってきましたら、宮内庁は、ヤマトトトヒモモソ姫の墓として静安を守るというふうになっていますが、ここは卑弥呼の墓ではないのかとか、三世紀半ばの古墳である可能性が高いとか、大変議論のある、そしてまたロマンもかき立てられる、そういうお墓でございますけれども、こういう点では皆さんの期待にもっとこたえていいのではないかということが一点です。
例えば卑弥呼に見られるように、政治とそれから宗教がかなり一体化していた、ですから政治事をまつりごとと呼びますね、そういった時代と、それからもう一つは私は明治時代になってからだろうと思います。 それで、例えば奈良時代になりますと、実は飛鳥時代からもう始まっているわけですが、奈良時代ですと、皇室とそれから神道の関係だけじゃなくて、皇室と今度寺社の関係が大変強くなります。
最後になりますけれども、私はこのカメ形遺跡の石組みが発見されたり、あるいはホケノ山の遺跡が発見されたり、こちらは卑弥呼かこちらは斉明天皇かとこういう状況で、どちらも女性の天皇が大活躍をしているというこういう時代。
大変極端なこともちょっと申しましたのですが、俗に卑弥呼の金印と言われるものがございます。
我が日本の国でも卑弥呼、あるいはさっきちょっとお話をいたしましたが、アマテラスオオミカミ、日本書紀あたりに出てくる人物たちも女性であります。言うならば女帝であります。というようなものから、いつの間にか男系の男子、これを継承すと。先生は憲法をおやりでありますので、もう御記憶だろうと思っておりますけれども、そういうふうになってしまった。
今、先生が言われた紫式部にしろあるいは遠く卑弥呼とか、そういうことで、私は本来的には、日本の社会における女性というものは非常に強かったという面もあったと思います。 今、教科書の問題ですけれども、中学校の歴史教科書を私もずっと見てみますと、具体的には申しませんけれどもかなり出ております。マイナス面というかそういうところばかりではなくて出ております。
時間もないようですから、今まで歴史の中でも弥生時代からずっと今日に至るまで、先ほどちょっと申しましたように、卑弥呼とか清少納言とか紫式部とか淀君だとか、女性が歴史の中で活躍したさまはかなり取り上げております。 ただ、男尊女卑というような時代も確かにありました。
それでずっと流れてきましたから、イザナミ、イザナギノミコトから、アマテラスオオミカミから神話が始まってきましたけれども、戦後はそれが、卑弥呼が出てくるし、要するに邪馬台国が出てくるし、やれ考古学が出てきて、客観的ないわゆる実証的な日本史にだんだん移りつつありますが、その方はいいです。 ごく最近、ここ百年から百五十年ぐらいのことについては現場でも触れたがらない。
まさに魏志倭人伝に言う、あの卑弥呼の国への道になるわけであります。そういうところでありますから、現在の朝鮮半島の緊張というのが、今から対話という方向にいくのかあるいは対決に向かうのか、我々は、私は少なくとも、皆さんと一緒に対話の実りあるものを期待するわけであります。 いずれにしても、先ほど個々の在外公館等の危機管理について申し上げましたが、我々は危機管理については非常にぬるいところを持っておる。
○国務大臣(保利耕輔君) 大変難しい問題でございますので、お答えがうまくできるかどうかわかりませんが、私のところにこのごろ吉野ケ里という遺跡が出てまいりまして、卑弥呼という方がおられて、その遺跡ではないかという学説もあるわけでございます。
○政府委員(宮尾盤君) いわゆる神話と言われるような時代のお話、あるいは歴史的にもなかなか十分記録が――今の卑弥呼なんかが歴史にもあるわけでございますが、そういうこともあったわけでございますが、少なくとも現在に至るまでの御歴代の中で、日本の皇室の制度といたしましては、男系の男子が皇位を継がれるというのが原則として我が国の古来の伝統だというふうに私どもいつも申し上げておるわけでございます。
大体アマテラスオオミカミ様は女神様でございまして、それで卑弥呼という倭の国の王ですか、おりましたですね。これもやはり女子でございまして、この卑弥呼という王様が亡くなって、死後男の王を立てたけれども日本は治まらなかったと。国じゅう服せず、それで卑弥呼の身内の壱与という十三歳の女王を立てて治まったということがあるわけですね。
第四点は、人物のことでありますが、神武天皇が入らないなら卑弥呼も削ってほしい。第五点、中学社会で、日本国憲法の平和主義について理解を求め云々というところを平和主義と自衛権に変えてほしい。以上、五点をお願いに上がりました。