1975-03-07 第75回国会 参議院 公害対策及び環境保全特別委員会 第5号
として指定され、その地理的好条件を基盤といたしまして石油化学工業が台頭するに至ったものでございまして、終戦前に四日市市南部臨海地の塩浜地区にあった第二海軍燃料廠跡地が払い下げられることになりまして、ここを中心として昭和四日市石油、三菱油化などが建設されまして、これら企業を中核といたしまして、私どもの方では通称第一石油コンビナートと申しておりますが、これが形成されたのであり、次に、市中央臨海部には午起地区
として指定され、その地理的好条件を基盤といたしまして石油化学工業が台頭するに至ったものでございまして、終戦前に四日市市南部臨海地の塩浜地区にあった第二海軍燃料廠跡地が払い下げられることになりまして、ここを中心として昭和四日市石油、三菱油化などが建設されまして、これら企業を中核といたしまして、私どもの方では通称第一石油コンビナートと申しておりますが、これが形成されたのであり、次に、市中央臨海部には午起地区
御承知のように、四日市には、塩浜地区を中心とする第一コンビナート、それから今度の火災を起こしました午起地区の第二コンビナート、それから霞地区の第三コンビナートがございます。これら三つのコンビナートを一つにまとめまして、大がかりな応援体制ができ上がっておるわけでございます。その成果が大変大きかったと考えております。
去る昭和三十五年塩浜地区に立地いたしました第一石油コンビナート並びに昭和三十八年午起地区に立地いたしましたところの第二石油コンビナート、この二つを中心といたしまするその当時予想だもしなかった大気の汚染、水質の汚濁、さらに悪臭というこの三つの産業公害に直面したのでございまして、四日市市民は非常に苦悩にあえいでおるというのが現況でございます。
それからもう一つは、四日市火力発電所、大協石油を主体といたします第二コンビナートに近接いたしました午起地区高浜町というところでございますが、ここに既存の公営住宅がございます。
そうなりますと、冒頭に戻りますが、午起地区なんということになると、そういう施設をせよとかなんとかいう議論も出てくる。そうすると今度は逆に高いものについて運営もたいへんだという問題も起こってくる。
本市の重化学関係工場のほとんどは、四日市港を中心とした塩浜、午起地区等の臨海部並びにその周辺の二百万坪に集中的に立地しておりますが、急激に膨張したこれらの工業地帯は、既存の住宅地帯に近接しているため、ガス、煤煙、悪臭、騒音、汚水等による各般の公害が発生したのであり、市民からの苦情も、昭利三十八年に入って多くなっております。
電化学工業関係工場のほとんどは四日市港を中心とした塩浜、日永、河原田、港、午起地区の臨海部二百万坪に集中的に立地し、公害上から見た場合、一大汚染源を形成しているのであります。
まず当該地元における埋立計画について見ますると、伊勢湾に臨む中京工業圏におきましては、名古屋港から知多半島に沿う南部地帯で五百七十万坪、名古屋港から海部、鍋田海岸にかかる西南部地帯で六百三十万坪、衣ケ浦湾、半田、武豊地区及び新川、大浜地区地先で合わせて五百六十万坪、また特に石油化学工業地帯を形成しつつあるところの四日市においては、午起地区で二十万坪、石原地区で十三万坪、これは現在埋め立て中で、それぞれ