1991-04-09 第120回国会 参議院 建設委員会 第6号
例えば、鹿児島の島津藩が参勤交代で千代田城へ来たというような形のいわゆる東海道、山陽道というようなものはありますけれども、特に西田長官のところの四国、これの九州、四国あるいは紀伊半島に結ぶそのラインがないために、いわゆる背骨だけあってわき腹があるんですが、それが循環してループできないというようなことでありまして、それがループできれば四全総にもあるような地域間同士の交流というのは一方では過疎対策にもなると
例えば、鹿児島の島津藩が参勤交代で千代田城へ来たというような形のいわゆる東海道、山陽道というようなものはありますけれども、特に西田長官のところの四国、これの九州、四国あるいは紀伊半島に結ぶそのラインがないために、いわゆる背骨だけあってわき腹があるんですが、それが循環してループできないというようなことでありまして、それがループできれば四全総にもあるような地域間同士の交流というのは一方では過疎対策にもなると
あの皇居の千代田城も、あの石垣がりっぱに建っているということは、あの中は全部松なんですよ。松で建っていたのですから、あれは。それだけ松というものは非常に強いわけですよ。そういう経済性とか、建築材にもっと求めさせるとか、根本的には木材の輸入政策というものが大きな政策問題としてあるんですけれども、しかし利用価値を上げさせないと、松林を手入れしろと言ったって、これはだれもしないですよ。
だからこそ、もう皇太子のそばに幾十年もいる人の助言よりは、むしろあの千代田城の皇居の外側にいる一般の若い人、ヤングの感覚にも敏感に反応できるような、そういう感覚とスタッフがあの中で仕事をするということ、知恵を出すということ、感覚を惜しみなくつぎ込むということ、こういうことがいかに大事かという時期に来ていると思うんです。
そして千代田の森として、また千代田城として、これは何といっても、現在も、明治時代も、国民のある一つの象徴的な存在だった建物です。歴史的建造物であるということに違いありません。
(笑声)とにかく、まあ雪の千代田城は世界の三大景色の一つだそうですが、それもまことにけっこうだと思うのですが、それで、観光問題をそういうふうに考えて参りますと、やはり人間の生活に欠くことのできないのは、何といっても飲み水、それから一段下がっていけば、し尿処理の問題、今度この国会で、池田総理大臣が初めていままでの大臣には珍らしくし尿問題を取り上げられた。これはたいへんいいことだと思うのです。
もっとも、きょう雪が降っておりますけれども、これは千代田城の雪景色というのは、世界の三大風景の一つだそうでございます。実は、これも非常に茶飲み話みたいになって恐縮でございますけれども、昨年雪が降りましたときに、東京都内のホテルが急に満員になったのです。
この雪の降った、千代田城の雪というのは、世界三大名所の一つになっておるそうでございまして、寡聞にしてあとの二つは聞き漏らしたのでございますけれども、とにかく東京に雪が降ったと、千代田城の雪というのは、今でなければ見られぬということで、はるばるフィリピンあたりから飛んできたというような話を私現実に、なまなましい事例として最近聞いたわけでございまして、こういったことが、やはり一つの私どもとすれば、日本には
六郷川でストップだと言って、まるで昔の徳川幕府の徳川慶喜公が千代田城に閉じこもって、上野の山に彰義隊が立てこもって、西郷さんを中心とする東征軍を六郷川で食いとめるといった、維新のときを思い出すような政策です。このやり方は、これが国民の生命、身体、財産を保護するとか、公共の福祉増進ということになるのかどうか。
造営につきましては、もちろん皇居の中の全体、総合的なことも一応考えて、その上に立ってやるのが自然じゃないかというふうに考えておりまして、同時に、昔の本丸跡になりまする地区につきましては、きわめて建物も雑然といたしておりますし、皇居を将来造営するにいたしましても、国民の親しみやすい、その目的のために必要なことは考えるべきじゃないかというふうな立場からと、もう一つは文部省の方で、皇居あるいはああいう千代田城
しかし、いわゆる皇居東地区といわれておりますけれども、実際には大蔵省の管理をしておる土地があり、あるいは厚生省が管理する公共用財産がありということで、皇居造営と、それから言われております東の地区、これは昔の何といいますか、千代田城の東の地区と、こういうことになろうかと思うのですが、必ずしもこれは皇居とは直接関係はないのじゃないかという感じがいたしますが、他の厚生省あるいは大蔵省等の動向、あるいは意向等
それから大宮御所に二億三千万円かの予算で東宮御所をこしらえることになるわけですが、今の千代田城の中に皇居を置かれるか、それとも分離されるかというような方針と、大宮御所内における東宮御所の建築問題というものが関連して参ると思うのです。
あれは御承知の通り千代田城の外濠であり、しかもちやんと石垣がそのまま残つておるのであるからあれを公園にした。一般の普通財産でないということはしろうとでもわかつておる。長年公園であつた。そこであの現地をよく知つておられて、歴史並びに現在の実情、今原状のままを残しておる、これは事実知つておられるか。
それにかかわらず、そういう期限が来ているのにただちにこれを大蔵省に引継ぎ、公園ということがもし不適当であれば、貸すなり売るなりするということになりますと、東京都が使つて来、あるいはまた返還する条件でこれを貸し付けたというように——特にあそこは小公園ではありますけれども、千代田城の一つの外ぼりとして史蹟に非常な関係を持つ由緒ある土地として、そう簡単に民間の営利会社に貸したり売つたりするというようなことができるような
そこであの現場を見たときに、あるいはまたこの間の委員会での一課長かどなたかが、あそこは千代田城の外ぼりで、そこにはほりの大きな石垣が残つているが、これを史跡として、公園としてどうしても残さなければならぬ、こう言われておつた。