2008-03-19 第169回国会 衆議院 内閣委員会 第2号
この朝日新聞の記事の中には、私と大田大臣の地元であります、そしてまた泉先生は鹿児島に大変縁が深くていらっしゃるわけでございますけれども、鹿児島県の十島村の宝島というところの小さな島で、ずっと伝統的製法によって日本最高のにがりをつくっていらっしゃった方のことが取り上げられています。
この朝日新聞の記事の中には、私と大田大臣の地元であります、そしてまた泉先生は鹿児島に大変縁が深くていらっしゃるわけでございますけれども、鹿児島県の十島村の宝島というところの小さな島で、ずっと伝統的製法によって日本最高のにがりをつくっていらっしゃった方のことが取り上げられています。
日本で一番地方債残が多いのは鹿児島県の十島村で、一千五十二万円という大変巨額になっております。この地域の共通する部分は、すべてがいわゆる山間地、離島という部分も含めてかもしれませんが、条件不利地域であります。 これは、昨年の夏からの夕張市の事例を見ても、もうほとんど破綻寸前だという定義ができるような状況でありますし、今二つ事例を挙げた小菅村と十島村は実は夕張市よりも多いということであります。
御指摘ございますので名前を申し上げますと、栃木県の塩谷郡栗山村、東京都の御蔵島村、東京都の青ケ島村、石川県の石川郡河内村、愛知県の北設楽郡富山村、奈良県の吉野郡野迫川村、愛媛県の宇摩郡別子山村、愛媛県の越智郡生名村、大分県の日田郡上津江村、鹿児島県の鹿児島郡三島村、同じく十島村、沖縄県の島尻郡座間味村、以上十二村というふうに把握しております。
○政府委員(高木俊明君) 保険料負担の格差でございますけれども、まず国民健康保険で見てみますと、保険料そのものの実額という点で見ますと、一番高いところは、一人当たりの保険料を平成七年度で見てみますと十万五百八十四円というような、これは富山県の大山町でありますが、これが一番高いのでありますけれども、一方、一番低いところが、鹿児島県の十島村というところがございますけれども、ここが一万五千二百七円ということで
それから、市町村レベルで見てみますと、富山県の大山町の十万五百八十四円、最低が鹿児島県の十島村一万五千二百七円ということで六・六倍というふうになっております。
○今井澄君 ところで、その保険料の平準化の問題でございますが、一番高いのが先ほども申し上げました本郷町の九万五百円、それから一番低いのが鹿児島県の十島村の一万二千九百円ですか、七倍の差があるということですが、これは全国平均あるいはその分布でどんな状況になっているんでしょうか。
先ほど来お話があるように、市町村で見ますと広島県の本郷町が最高、低いのは鹿児島県の十島村ということで、最高の本郷町では九万五百円、鹿児島県の十島村、一番低いところでは一万二千九百円というような状況で、最高と最低の格差は七倍というようなこととなっております。
二つ目が、戦後四十七年の歴史的な観点から考えますとき、昭和二十一年、隣接の三島村が、これは当時大島郡でございましたが、三島村が分離して鹿児島一区に合区いたし、同じく隣接の十島村が、これも大島郡区でございましたが、昭和二十七年四月の本土復帰において鹿児島一区にそれぞれ一足早く合区いたしております。私ども奄美も同じ状況であります。一区合区は地元にとっては当然であり、他への合区は無理である。
それから一世帯当たりの年額の最低の方でございますが、五十五年度沖縄県の渡名喜村一万六千二百円、六十年度鹿児島県の十島村二万四千六百円、六十一年度同じく鹿児島県の十島村でございますが、二万二千五百円、こういう数字になっております。
例えば世帯当たりの平均保険料は、医療保険制度の中で最も給付水準の悪い国保が逆に高く、その高い平均保険料の実態は、一番安い鹿児島県十島村の月額一千八百七十六円から最高の北海道南茅部町の二万一千八百七十二円に至るまで、およそ十三倍という開きがあるのであります。現在の所得税、住民税は、低所得者にとって過酷なものであり、さらに過酷なのは国保税であります。
例えば十島村とか三島村とかは、ついこの間まで学校に電話がなかったのですよ。つい最近というとあれですが、数年前まではなかった。ですから、異動時期になりますと、部落にあります一本の電話のところで交渉しますと、先生、我々を見捨てて帰るのですかと、部落の人たちが囲んでおって、そこで電話しなければならぬということもあったわけです。つまり公衆電話がなかったわけです、区域外で。
私どもも一緒に行ってやったこともありますが、一般の人たちが知らないでいることについてもよく説明してくれる、ああそうか、それなら私どももよくわかった、そして譲るべきところは譲る、やってもらうべきところはやってもらう、そういう意味で身延線の十島駅の手小荷物の廃止などはやめてもらったこともあります。成果の面もあり、こういった運動を通じて国鉄と住民とのつながりが非常にうまくいったという例がここにある。
先生お話ございましたように、その過程で計画を一部変更いたしまして、十島の駅では手小荷物の廃止をしばらく暫定的にやめるということ、あるいは常永の駅では早朝、夜間の無人化を計画いたしておったわけでございますが、これを十二月までは現行どおりいたすというようなことで、先生おっしゃいますように地元の十分な御理解、御協力を得て実施に移すことができたわけでございます。
さまざまな困難があるわけでございますが、鹿児島県の三島、十島村等のごときは、医療機関がない、ですから保険の成立する基盤がない、こういうようなことで、国民健康保険もなくて、三十六年の国民皆保険になった後も住民は国保に入れなかったわけでございまして、四十九年にやっと国民保険ができて適用されたという、こういうような離島については非常にハンディがあるわけでございますが、より細かな対策が必要だと思いますが、これについてはどのようにお
十島二十日の十一時十一分にただいま安全監察官から申し上げましたようないきさつで事件があったわけでございますが、その三十分前の時間に中部北陸セクターの管内に存在しておりました航空機が二十一機あったわけでございます。それからちょうどその問題が起こりました前後の航空機の数は十八機でございました。
診療所ごとの一年間の赤字を調べてみますると、高知県の宿毛市の沖島診療所で五百八十万円、鹿児島県十島村の中之島診療所で四百七十万円、福岡県新宮町の相島診療所で四百三十万円、鹿児島県屋久町の栗生診療所で三百万円、長崎県松浦市の青島診療所で二百九十万というふうになっておるわけなんです。
鹿児島県に私は先ほど例をとったのでありますが、三島村、十島村というのがいまだ健康保険ができない理由は、実はそういうところにあるわけでありますので、その点をいま心配しておるわけであります。しかし、それを琉球政府のほうで最終的に御決定をなさったら、それを当分の間は特例として認めようということを書くつもりでありますが、きまらなければ本土法どおりということであります。したがって、ここの該当にならない。
しかし、その後なかなかそれが進みませんので、私としては、鹿児島県でちょうど三島村、十島村という二つの村があります。これがなお現在も国民健康保険が実施できないでいる。
○澤政府委員 ただいまの御質問は、今回の安全規定と、離島その他港の整備していない地域との関連であると思いますが、現在でも離島、式根島、御蔵島あるいは鹿児島の十島村、三島村、こういったところでは、港が整備しておりませんので、御指摘のようにはしけ取りをいたしております。
○川崎(寛)委員 そこで、十島村の問題については、実はいろいろな裏話があるのです。というのは、電電公社がきょう見えておりませんので、これは大臣の耳に入れておきたいと思います。 鹿児島の大浦から名瀬にマイクロの中継をやりますときに電波の試験をやった。その電波の試験をやりますときに、十島村の宝島の青年の諸君に、テレビが見れるようになるのだ、だからひとつ大いに協力してくれといって、かつがせたのです。
○川崎(寛)委員 まあ、会長はそう断言されたわけですが、実は、その十島村の電力の問題については、昨年来、離島振興計画の中における電源、つまり水力発電の増強を、経済企画庁と相談をして今度は三倍くらいに上げるわけですね。そういう前提をつくって実は鹿児島の局とも相談をしてきたわけです。
そうしますと、四十二年度のものでありますけれども、鹿児島の十島村、三島村、これはおそらく全国で最低だろうと思いますが、テレビは十島村については契約台数ゼロだ、こういうふうに私は聞いております。市町村という自治体の中でテレビ契約台数ゼロいう地域は十島村だけではないのではないか、こういうふうに思うのですが、その辺はいかがでしょうか。どなたでもけっこうです。
いままでの例といたしましては、領土復帰に伴いますものにつきましては、奄美でございますとか十島村の例がございますし、それから新たに公有水面の埋め立てによって誕生しました大潟村の特例等があるのでございますが、そのようなものを十分参考にいたしまして、適切な財源措置を、交付税の配分を行なっていきたい、こう考えております。
先般の十五号台風の際にも、熊毛あたりまでは無線設備ができておりますし、また、奄美大島についても奄美振興特別措置法の中で措置をされましたので、無線の施設があるわけでありますが、ほかの十島村であるとか三島村であるとか、そうした離島については、災害の際はすぐ通信が途絶してしまう、こういう状態にあるわけであります。
たとえばことしも鹿児島の新年度におきまして十島村ではとうとう行き手がいないということで、教師の経験のない農協の職員が数人集団的にかたまって行った。これが美談として報道されておるわけなんです。