2018-03-13 第196回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号
実は小児科というのは、学生たちや医学生たちが一番なりたい科が小児科、でも一番なりたくない科が小児科と言われるほど、研修をしてみれば非常にやっぱり厳しい科であるということで、その長時間労働ですね。特に当直というのは、夫が亡くなって分かったんですけれども、医者の当直に労働性がないということを労基署の方から言われて、やっぱりそのシステムがなってない、それを私は痛感しました。
実は小児科というのは、学生たちや医学生たちが一番なりたい科が小児科、でも一番なりたくない科が小児科と言われるほど、研修をしてみれば非常にやっぱり厳しい科であるということで、その長時間労働ですね。特に当直というのは、夫が亡くなって分かったんですけれども、医者の当直に労働性がないということを労基署の方から言われて、やっぱりそのシステムがなってない、それを私は痛感しました。
これはちょっと極論かもしれないんですが、防衛医療、災害医療を実際に将来仕事にする医学生たちですので、学生だとしても、ちゃんとしたルールをつくって、現地に派遣するということを今後考えてもいいのではないかと思うんですが、いかがでしょうか。
ただ、先ほど申したように、食べられないだろうということでそこに行きたくないという結果になってしまったのでは、せっかく向学心に燃えて、では解剖を専門でやってみようかという気持ちの学生たちも、専門医に入るときにそこで選択できなくなってしまうということもあるので、これは政府全体としても考えてもらいたいというふうに考えておりますし、その医学生たちが意欲の持てるような環境は文科省にもぜひつくっていただきたいと
そして、先日、第二次大戦中のドイツを舞台にした「白バラの祈り」という映画、久しぶりに私、見てみたんですけれども、ナチス・ヒトラーの台頭に対して、ミュンヘン大学の医学生たちが白バラという組織を結成して、非暴力、反ナチ運動を展開するというストーリーですね。東部戦線でのドイツ軍の敗退を市民に知らせたり、あるいはヒトラー政権を批判した反戦ビラを学内でまいたりとか、いろいろなことをやっていました。
しかし、そこで育った医学生たちは、自分でもし医院を開業してもそういう機器がなかったら、聴診器だけでは患者の病気を発見することができない今日ですとさえ指摘されているんです。先ほど、そろばんか電卓かという話がありました。医師もまた本当は、そういう機械ではなくて聴診器で、問診で病気を発見するということができなければ本当の血の通った医療というものはできないんではないでしょうか。
そういうところへすぐ入ってしまいまして、いわゆる初療といいますか、プライマリーケアの部分がややもすればなおざりになっておったということは非常に私たちも反省しておるところで、それを推し進めるのにはやはりそういうふうなどこかそういうものが必要であると、救急講座あるいは救急部門というようなものが大学にあって、そこで医学生たちにあるいは卒後の若い先生方にそういうものを教える。
そのほか新潟大学あるいは京都大学等でもこういう問題が起こっておりますが、先ほど来申し上げますように、これは個々の大学で多少の相違はございますが、一貫してこの医学生たちが言う要求は同じでございますし、先ほど私が指摘いたしましたように、これは労使双方といったような関係に大学と学生はあるものでございません。
ができないために、つい地方の病院へ派遣されたり、ひいては、また、それが勉強をあきらめて開業に向かっていく、こういうようなことで、私は、そこらの根本の問題を改正しない限り、医療はよくならないし、そして、また、非常に悪い方向にまだまだ向いていくのではなかろうかという観点から、私は、大学病院のあり方を文部省としてはどういうふうな計画でやるかということをある程度煮詰めた展望を示さなければ、私は、いまの若い医学生たち
必ず厚生省がこれにくちばしを入れられるとすると、こういうぜいたくな治療をしてはいけないとか、そういうことを教えて、ほんとうに真理に向って進もうとするところの医学生たち、あるいは歯科の学生、薬学科の学生たちをゆがめることになる。