1951-10-24 第12回国会 衆議院 厚生委員会 第3号
○橋本国務大臣 私は実はその点は、残念でありますが、松谷委員の御意見を、必ずしも全面的に受入れいたしかねる、と申しまするのは、今日不安を、私が表明したということを言われましたけれども、そうではないので、不安を表明いたしたいのは、日本学術会議の第七部の医学の関係の方で下安を表明されて来たわけであります。
○橋本国務大臣 私は実はその点は、残念でありますが、松谷委員の御意見を、必ずしも全面的に受入れいたしかねる、と申しまするのは、今日不安を、私が表明したということを言われましたけれども、そうではないので、不安を表明いたしたいのは、日本学術会議の第七部の医学の関係の方で下安を表明されて来たわけであります。
その席に五人か六人来ておられましたが、慶応の阿部医学部長と東大の兒玉医学部長は、自分らがここに、なお研究の余地があると思うから慎重に調査して遺憾なきを期せられたいと言つたゆえんのものは、研究の余地のある問題であつて、そうして、人命や健康に関係があるのだから、一時強制をやめた方がいいという趣旨だということをはつきり言うておられたのであります。
その研究は、まず第一段階といたしまして、とにかくあらためて調査をするということは、これは一つの不安の種でもあり、疑義もあることですから、要するに今日国内的にBCGの予防接種に対するいろいろな不安なり疑点なりというものの報告を、率直にできるだけ集めるということが第一点、それからまた、これに対する内外の医学者の意見を集めることが一点、それからもう一つ、BCGに関する外国の法制的な取扱い、これもこの春のとき
BCGを独占し、その他を独占し、あらゆる閥をつくつて、日本の結核医学界を風靡しておるのは、あまり感心しないことであります。ましてあまり効果のないような乾燥BCGをつくつてそれを強制的にやらせる。しかも結核予防法による強制的な接種においては、範囲があまり広過ぎると思います。あれほど数多くやらなくてもよいはずです。やらなくてもよいところまでやつているところに、確かに予防法の欠点がある。
塩田博士と慶応の医学部長の阿部教授と、それから東大の医学部長をやつておられた兒玉教授と慈惠医大の細菌学の寺田教授と、慶応の病院長をやつておられる大森院長、それだけ来られました。そのお話の趣旨は大体こういうことでありました。 BCGの予防接種は、法的に強制するという建前であるけれども、これに関しては、有効であるか、それほど有効でないかということについても、いろいろな疑義がある。
そこで初めて医学の神髄なるものを見たのであります。十何年前に行つたときには、アメリカに対して何ら敬意を表さなかつた。併し今度行つて見たときに、医学の神髄に触れた気がしたのです。それはシカゴ市は人口三百五十万ですが、衛生当局者に会つたときに、シカゴは三百五十万の人口のうち、一九五〇年のジフテリアの患者は僅かに九名であります。一人も死んでおりません。東京の旧都内と同じものであります。
○証人(浜野規矩雄君) 先ほど申上げました通りでございますが、BCGが終戦後アメリカが参りまして、日本の医学をつぶさに調べました中で、一番日本の医学の中で感心して帰つたものがBCGと紅波という薬の二つのものを挙げておりまして、このBCGを持ち帰りまして、直ちにアメリカがやりました。
私が考えております一番いい例は、実は公衆衛生局長にも聞いたのでありますが、狂犬予防の接種のワクチン、これは明瞭に、やつた人の何百人のうち一人の儀牲者が出るということは、今日むしろ医学的に立証されておるようでありますが、それでも事実狂犬病の発病を避けるためにこれをやるより仕方がないということで、これはつまり法的強制という形でなくてやつておるし、やるためのサービスを国が提供しておるわけであります。
それには塩田先生であるとか、或いは東大の児玉医学部長、慶応の阿部医学部長、日本大学の医学部長、京大の医学部長といつたようなかたがた十数名の御署名があつたのでありますが、私もこれは極めて重大なことと考えまして、とにかく書面の趣旨を伺わなければいかんということで連絡をとりました。塩田さんの旅行等がありまして、遅くなつて、十二日の金曜日の夕方お目にかかることを得たのであります。
その主なもののうちに、癩の国立研究所の設置につきまして、現今科学の進歩しました今日でもなお癩の研究は単に医学のみにとどまつておるような状況でありますが、これでは解決が困難でありますので、広く理学、農芸化学、工学、生化学、薬学など他の部面の協力の下に総合研究に待つのでないと飛躍することができないと同時に、研究対象とするところの患者の多数集まつておる場所においてやることが必要でありますので、大学、又は研究所
それが長い間続きまして、戦争中継続され、そして戦争のあとにおきまして社会保険が大いに利用されるに至りまして、まことにいろいろな最新のアメリカの医学等が入りまして、いろいろな高度の医療を行つておるわけでございますが、その反面御承知のように保険の経済が非常に逼迫いたしておりますので、なるべく適正なる治療であつて、しかしてぜいたくな治療はやめたいという考えで、保険経済とにらみ合せながら、現在の価格の許す適正
それでそういう適正な治療方針を立てますにつきましては、私どもだけで独断でやりましても、いろいろ御非難もあるかと思いますので、厚生省内部で相談いたしますと同時に、たとえて申しますと、結核の治療指針というようなものを出します場合には、結核学会に諮問をいたしまして、現在の医学におきましてこれが適正であるというようなものを得まして、それに基いてやつております。
一体これは今日の医学の教育機関と御相談なさいまして、この適正治療なるものをお考えになつていらつしやるのであるか、それとも、保険の基金のわくがこの程度であるから、やむなく逆算いたしまして、この程度の範囲内でまかなおうという意味で出しておられるのか、どちらがほんとうであるかということを、はつきり御説明願いたいと思います。
どうかして適当な、本当に精神的に、奉仕的に、患者に忠実に治療に従事してくれるような、而も医学的素養の十分な人が行つて、そうして患者に対して十分の治療を与えるというようにすれば、こういう問題は起りつこはないのです。
普通の医学上の問題では多過ぎて失策の域に達しておらない圧力にはなつております。併し本人が苦痛を訴えたために四日後に多い一方を抜いた。これも事実でございます。以上のような実際の客観的な事実になつておりますが、園長といたしましては、我々のほうの調査に対しましては、飽くまで非常に大喀血で発病した患者であつたために喀血傾向があつた。
これは善意に解釈をいたしまして、その病名がいかなる名義によつても判別しがたき患者に対して朝、晝、晩と処方箋を書いて投薬し——私は医学上の専門語は知りませんけれども、教育字ではこれを試行錯誤法といいますが、そういうような試験的な投薬を与えて行く場合に、善意によつて医師がこれを行うのに、処方箋を作為的に発行しなかつたということで処罰を受けては、善良なる医師は迷惑でございますし、また作為的に試験投薬をやつてみなければわからない
薬剤師というものになろうと思えば、医者だつて当然薬学を修め、薬剤師の試験を受けるのでありますが、私どもは医学というものをやつておる間に、調剤、投薬の部面は教わるのであります。この間の参議院における東大学部長のお言葉にもありましたように、生化学あるいは薬理学をやつておるうちに薬もはかる。あなた方のお考えになるように、医者はそんなに危険なことは取扱つていない。
たとえば臨床医学をやるときに、単なる研究医師を中に入れまして、真の臨床家の意見を聞くというような姿がないのであります。このことは私すべての調査会や審議会に見るところでありまして、民主的にほんとうにやる気であるならば、当然大多数、少くとも半数以上は医療の担当者を入れて協議さるべきものであろうという考えから、今日までの審議会というものの結論に対しては、はなはだしき不満を持つております。
これは医学、薬学の進歩の結果、ますますその必要が感ぜられておるのであります。
○久下政府委員 お話の通り、私は参議院の厚生委員会におきまして、新医療費体系の計算は二十七年末までにはできる確信があるということを申し上げたのでございますが、参議院の方で御審議をいただきました結果、参議院におきましては、臨時診療報酬調査会の答申にも、個人の技術者についても別途考慮することが望ましいとありまして、これらの点につきましては十現在日本医師会の医学教育委員会におきまして専門医制度に関する検討
なるほど一時はそれでさしつかえあるかもしれませんが、大衆がそういうことになれて行くことが、やがて医学の向上であると考えます。
この間も新聞に出ておりましたが、ある医学博士の相当の期間勤められている方が保証付で売り出された目薬を、しかもそれは一人じやない、たくさんの人が使つた。ところがそれをさしますと、半年くらいたつてから目のふちが黒くなつて来て嫁入れができなくなつてしまつた。
別に医学教育、歯学教育の方は、これは修業年限の範囲内におきまして、これのさかのぼります課程を別の学部でやつておりますので、今の条文の適用でないわけであります。将来技術方面においては、必要があろうかと考えておりますが、さしあたりのところは、大学に設けた專攻科の活用をもつてこれに充てるのが第一歩であると、私どもは考えております。
○笹森委員 そこに私どもは重要な問題が、單に医学ばかりでなく、今後ほかの專門の学問においても、そういうことがあり得るのではなかろうか。こういうことを実は考えて、單に医学、歯学だけでなく、ほかにもそうした人間を指導して行かなければならない他の形而上学的な学問の指導の任に立ちまする者の中にも、そういう学校の種類から、現に要求を聞いておりますから、この機会にやはり申し上げなければならない。
さらにまた、一般医学なり、あるいは口腔外科などをやる者は、專門の方に入るにも、やはり自然科学の土台がなければ、なかなかすぐ入つて行けない。従つて、これに入れますものは、やはり一定の單位を自然科学の上に持つたものをほしい。そのほかに、今申しました人間性の人格陶冶のために必要なる一般教養のようなものを、これにつけ加えたい。
そういうような人を期待いたしておりますけれども、併し実際さように限定いたしませんでもたとい眼科の医者でありましても基礎医学を修めておるわけであります、従いましてそのかたのなんと申しますか熱心さの程度によりましては十分そのかたの医師としての全般的な知識というものが福祉司として活用されることを期待できると思うのです。従いまして広く医師と書いたわけでございます。
○政府委員(高田正巳君) 身体障害者の場合は原則としてこれは医学的な問題が主になりますので、原則として保健所が審査、相談、指導等をいたし、又補裝具を付ける場合にはその補裝具を付ける指導をいたすということに相成ります。ただ肢体不自由児施設に入所せられる場合におきましてはこれは一つの措置をいたすことに相成ります。
○井上なつゑ君 児童相談所についてちよつと伺いますが、二十五條の二の一号に、「医学的心理学的、教育学的社会学的及び精神衛生上の判定を要すると認める者は、これを児童相談所に送致すること」ということでございますが、心理学的にと医学的にとでは何か児童相談所と保健所と連絡をおとりになるのですか。
○浦口委員 九州大学放射線従業員待遇改善に関する請願、第一一三五号、請願者、九州大学医学部放射線科代表入江英雄、紹介議員、福田昌子君、本請願の要旨は、放射線医学の発展とともに、公衆の認識も深まり、現在放射線診察患者は増加する一方である。大学病院では、患者の診療に際し、学徒の教育実習が併行されるが、限度時間内に多種多方面に仕事が行われるので、レントゲン線傷害の危険が多大である。
たとえばそこの生徒たちに生理衛生を教え、またいろいろな教養知識をつけますのに、四人の医学博士を実際の授業時間に呼びまして、これを指導させたり、それから医者を二人正式に置いたりいたしまして、各専門的な見地において、この科目をまじめにやつておるようでございます。
しかもこれは、諸外国の例にも見られるがごとく、すこぶる広汎な利用性を有しておりまして、教育上あるいは工業上、あるいは医学上、その他あらゆる方面に利用せられておるのであります。テレビジヨンは、人々の日常の生活に変化を與えたとさえいわれておるのであります。かかる文化財は、人類ひとしく享受すべきものであつて、わが国においても早急にこれを取入れるべきでありましよう。
現在の医学界におけるエックス線の利用はきわめて広く、疾病の診断または治療に欠くべからざるものとなつておりまするが、ことに結核予防上最も必要な正確診断には、エックス線撮影をまたなければならないのであります。
○政府委員(稻田清助君) 個別的に名前を挙げることは、或いはいろいろな関係におきまして愼重に考えなきやならんかと思つておりまするが、例えば従前労働科学研究所として知られておりまする今日の労働医学心理学研究所でありまするとか、三菱経済研究所とか大原農業研究所とか、小林理学研究所等は相当歴史もあり、研究業績もあり、規模も大きい例でございます。
次に畜犬競技は、比較的小規模の施設によつて実施することができまするので、その収益は地方財政の改善に有効であることは勿論、相当数の動物関係者に、特に獸医学関係者に新たなる就職の機会を提供することができるものと確信いたしているのであります。
次にそれでは本日の問題であります警察法の実体そのものに入るわけでございますが、これにつきましての私の意見は、結局目途とするところは治安の維持、更には予防警察とでも申しますか、治安を維持する、それを回復するという以上に、やはり医学の立場の予防医学のような意味合いでの私は治安というものが確保されなければならないのではないか、私たちには国家警察、地方警察、これは非常にお互い長を延ばし、短を矯めるというふうな
この上貧乏になれば医学の勉強はできないと思うのでございます。新らしい医薬の療法が大変低下いたすと思うのでございます。 第三には、患者の負担が増加するということであろうと思います。これは医師会のかたがいろいろ言つておりますが、勿論お医者さんの診断書が高くなる。それから薬剤師の調剤料、いろいろなものが加わるというほかに、お医者さんが唯一の残された途として注射をする。
○政府委員(慶松一郎君) 先般医科大学或いは総合大学の医学部長或いは教授のかたがたの証言によりましても、全体の時間的には、いろいろの御説があつたようでありますが、大体調剤に関係するといいますと多少語弊がありますが、調剤に関係する薬理学或いは処方学というものは全体で百五十時間というようなお話があつたのであります。
○堂森芳夫君 患者側ですね、医療を受ける人たちがその医師から薬を欲しい、その医師も又調剤能力がある、こういう場合に、現在の医学を学ぶ者はそういうのは普通なんですが、そういう場合でもそれはいけない、こうすることは法律としては本質的に僕はおかしいじやないかと、こう思うのです。どうですか。
で、私の知つている限りにおきまして、日本の医学並びに医政はドイツ語によつております。七十年来ドイツ語によつて一貫して参つておりますために、医薬は分業であります。
というその意味は、結局医学におきましては、その一部において歯科医学的な点も教育しておるということから、この点が行われておつたと存じますが、その点新らしい医師法におきましては、これがすでに禁止されておるということがございます。私は只今仰せになりました医師の調剤の問題に関しましては、これに非常によく似たものがあると存ずるのでございます。