2015-06-02 第189回国会 参議院 国土交通委員会 第13号
○和田政宗君 JR北海道ですとか関連の社員に聞きますと、これ中止になった理由として、JR北海道の最大労組、北鉄労などの威圧があったんではないかというふうな指摘もありますが、実際、どうなんでしょうか。
○和田政宗君 JR北海道ですとか関連の社員に聞きますと、これ中止になった理由として、JR北海道の最大労組、北鉄労などの威圧があったんではないかというふうな指摘もありますが、実際、どうなんでしょうか。
北鉄労は現在JR北海道労組と略称されているものと理解しておりますが、JR北海道労組と革マル派との関係については引き続き鋭意解明に努めているところでございます。
○和田政宗君 JR北海道では、不祥事がこの半年、一年でも続いているわけですけれども、職場環境を見た場合に、最大労組の北鉄労についてその異常さが報道等でも指摘をされています。
○和田政宗君 そうしますと、北鉄労、政府の答弁によりますと、極左暴力集団革マル派が浸透しているJR総連の傘下にあるわけです。北鉄労への革マル派の浸透については経営陣はどのように認識していますでしょうか。これは社長、お答えできるようでしたらお願いします。
○和田政宗君 今の社長の回答ですけれども、これ、衆議院の参考人招致でもおっしゃっていますけれども、そのときは、JR北海道労組、北鉄労が特有の運動方針を掲げて、ごく一部の職場でそうした事象があるとの発言をしています。そうした事象というのは、ほかの組合員と話もしちゃいけないというふうに北鉄労が組合員に指示を出していることに関して言及したものです。
○和田政宗君 JR北海道労組、北鉄労の問題点にはこんな事例があります。 北鉄労に所属する人物が結婚式を開くに当たって別の労組に所属する友人を呼んだところ、北鉄労の幹部から別の労組の幹部に、招待状は発送したけれども参加するなということを言っているんですね。本人たちの頭を飛び越えてやっているわけです。私はその映像を実際に見ております。
○若井委員 先般大変にはやっておりました「あまちゃん」の北鉄も、きっと小嶋CEOのアドバイスがあったんじゃないかと思います。 時間がなくなりました。家田参考人に、交通政策基本計画、これをどういうふうにつくるかというお話を聞きたかったんですけれども、今後また機会があると思います、いろいろ御指導よろしくお願いいたします。 質問を終わります。どうもありがとうございました。
委員御指摘の北鉄労は現在の略称でJR北海道労組ということと私ども理解しておりますけれども、このJR北海道労組と革マル派との関係につきましては鋭意解明に努めているところでございます。
○和田政宗君 これは組織体質を把握する上で重要な問題だというふうに思っているんですけれども、これらを起こしたのはJR北海道の最大労組である北海道旅客鉄道労働組合、通称北鉄労の組合員だと報道等では報じられています。この北鉄労は革マル派との関係が報道で取りざたされていますけれども、関係があるのかどうか、政府としてどう認識していますか。
○和田政宗君 こう聞いたのは、北鉄労について調べますと、北鉄労はほかの労組との平和共存を否定しているということが明らかなんですね。こうした中で、国交省の、国交大臣の改善指示であります社内の確実な意思の疎通の実施というのがありますけれども、これ達成することが不可能なのではないかというふうに思います。これは大臣、いかがお考えですか。
北鉄といって、地下鉄と私はちょっと聞き間違えて、何のことかと思ったんですが、そういうのが出ておりまして、こういうものを見ましても、鉄道が観光とか地域の活性化に大きく勇気を与えるという部分があるんだろうと思います。
では、具体的な問題を一つ一つまず漁船課長にお伺いしますが、十一月の十四日に北鉄丸というものが沈没した。これは十一月中であったから、十六名のうち五人だけ救助されて、あとは十一人死んでしまった。私が今度調査をした点からいきますと、この船は底びき漁船であるから——いま一番性能のいい底びき漁船は九六型ですが、九六型の底びき漁船の装備というものは、もうわれわれが考えることのできないほど装備ができておる。
○丹羽政府委員 たいへんむずかしい御質問なのでございますが、いま申しましたとおり、遭難の態様は非常に複雑でございまして、たとえば第八北鉄丸、これは追い波で沈没でございますが、その他には、浸水のためあるいは氷のために、操船不能となって航行困難となったものもあるわけでございます。
○丹羽政府委員 十二月からの分を申し上げましたが、十一月の十四日に第八北鉄丸、七十四トン、これはタライカ湾でございます。七十四トン、十六人、底びき船でございますが、五人はゴムボートで漂流中救助されましたが、十一人は行方不明。いま先生のおっしゃいました第八北鉄丸は、十一月十四日の事故でございます。
したがって、私ども北鉄労組は、常に北陸鉄道の企業経営の綿密な研究と実態の正確な把握につとめてきております。このような立場から北鉄労組がながめている北陸鉄道の企業経営の実態について、まず述べさしていただきます。 まず、収支実績について御検討賜わりたいと思いますが、一ページの第一表は、昭和三十七年度から昭和三十九年度の収支実績であります。
○肥田小委員 それから本日参考人としてお見えになっておる北鉄、上田丸子さんも、これはいままで鉄道という関係で補助金が出ていましたね。これはそれぞれ将来われわれが最終的な意見をまとめる上で参考になりますから、あとで私鉄関係で一括して示してもらいたいと思いますが、この打ち切られたのは例のシャウプの税制勧告のころからですね。
これは北鉄労働組合の印刷員である大河初二というのがおりまして、組合の印刷物の印刷を主として印刷員として、昭和二十九年三月二十九日から組合事務所の一部を借りて印刷作業を行なっていた者でありますが、たまたま大河がGHQの警備員として勤務していた当時に親しい知り合いとなっていた、広坂警察の警備課公安係刑事の長井幸蔵巡査にさそわれまして、十三間町の幸楽という飲食店で酒さかなの供応を受けた機会を契機として、昭和三十一年十一月以降
さらに北鉄労働組合に対する官憲のスパイ事件についても、今五島委員から質問をしかけましたが、警察庁長官は他の関係で出られませんそうですからあとに回すことにいたしますが、北鉄の労組に対するスパイ事件は、単に警察だけの問題でなくて、検察と一緒になり、今後労働争議その他あらゆる裁判に関する点においては検察官も重要な関係があると思いますから、大臣並びに人権擁護局長に御質問を若干いたしたいと思います。
確かに北鉄接収時代には、それにふさわしい商品が購入されたし、ソ連政権が国際的に認められない不安定な時代にありましては、あるいは利権を日本側に与える。たとえば北カラフトの採掘権を利権として与えるというような問題もございました。また戦後の政府間貿易あるいは民間貿易の中からの数字からもその一端はうかがうことができます。
その他北鉄買収に伴う戦犯に対する証人的な立場に立たれた方々も若干名おられました。合計常に約十五名の者が、そのモスコーの国際ラーゲルの同じ部屋で、時には二つの部屋に分れながら淋しく生活をいたしておりました。昨年九月二十一日、モスコーを二名の同胞を残しまして、十三名の者が三等急行列車で、捕虜には十分なる待遇を受けながらハバロフスクにやつて来ました。ハバロフスクに着いたのは九月の三十日の晩であります。
次いで第二の北鉄問題に関しましては、私がモスコーに参りましたのは二十二年の十二月三日でありまして、そのときには北鉄のいわゆる裁判の行われる場合の証人要員として元陸軍少将坂間訓一氏がおられました。この方は曾て綏芬河の大尉時代に、満洲事変勃発当時に綏芬河の特務機関長をしておられたものであります。