1964-06-17 第46回国会 衆議院 社会労働委員会 第56号
私も北部ルソンに参りました。そして御承知の方がおられると思いますけれども、バレーテ峠で、兵たん病院で第二半部長で私が病院を開設いたしておりました。ところがたまたま私の義弟は、私のおったそこで戦死したことになっておるわけです。そこでやはり援護業務が完了したとおっしゃっても、遺族としては納得できぬ問題があるわけです。
私も北部ルソンに参りました。そして御承知の方がおられると思いますけれども、バレーテ峠で、兵たん病院で第二半部長で私が病院を開設いたしておりました。ところがたまたま私の義弟は、私のおったそこで戦死したことになっておるわけです。そこでやはり援護業務が完了したとおっしゃっても、遺族としては納得できぬ問題があるわけです。
一番フィリピンで死んだのは北部ルソンです。山の中の収集を銀河丸でどうしてできますか。シンガポールは、航空機で遺骨収集がどうしてできるのです。そういうことを前提として今後も続けるのだとおっしゃっても、私は次官のおことばに、はいそうですかと言うわけにまいりません。ですから、その前提が非常に問題です。
ところが、最近新聞で見ますと、私どもも、かつてフィリピンにおりましたので、関心を持って見守っておりますけれども、たとえば、北部ルソンにおきましては十六遺骨とか、その他の地区におきましては数十遺骨だというふうに、私どもの想像しておりました以上に非常に遺骨の数が少い。
たとえば、私の夫がレイテ島でなくなつたから、レイテ島に行つて手紙を埋めてくれとか、あるいは北部ルソンで戦死しておるから、そこにある土を持つて来てくれとか、あるいはミンダナオのどこでなくなつたはずであるから、その死骸を探して来てくれとか、それから室中から紙をまいてくれ、水をまいてくれ、そういうことを依頼されるのですが、これはまことに情においては切々たるもので、人間のとうとい感情でありますが、これは冒頭
この中共系の戰略は、結局中共自身の基地を北部ルソンに設置することにあるようであります。それで北部ルソン各地には中國民の密入國の基地が設けられておりまして、共産党の細胞として活動しておるという趣であります。