1973-07-12 第71回国会 参議院 内閣委員会 第20号
改正点の第三は、北海道地区における少年院に収容されている者の過剰収容状態を緩和し、矯正行政を有効適切ならしめるため、北海道樺戸郡月形町に月形少年院を設置しようとするものであります。また、中部地区における医療を必要とする少年の収容状況等にかんがみまして、愛知県知多郡南知多町に所在する豊浦医療少年院を廃止しようとするものであります。
改正点の第三は、北海道地区における少年院に収容されている者の過剰収容状態を緩和し、矯正行政を有効適切ならしめるため、北海道樺戸郡月形町に月形少年院を設置しようとするものであります。また、中部地区における医療を必要とする少年の収容状況等にかんがみまして、愛知県知多郡南知多町に所在する豊浦医療少年院を廃止しようとするものであります。
改正点の第三は、北海道地区における少年院に収容されている者の過剰収容状態を緩和し、矯正行政を有効適切ならしめるために、北海道樺戸郡月形町に月形少年院を設置しようとするものであり、また、中部地区における医療を必要とする少年の収容状況等にかんがみ、愛知県知田郡南知多町に所在する豊浦医療少年院を廃止しようとするものでございます。
改正点の第二は、北海道地区における少年院に収容されている者の過剰収容状態を緩和し、矯正行政を有効適切ならしめるため、北海道樺戸郡月形町に月形少年院を設置しようとするものであり、また、中部地区における医療を必要とする少年の収容状況等にかんがみ、愛知県知多郡南知多町に所在する豊浦医療少年院を廃止しようとするものであります。
明治三十七年一月四日北海道樺戸郡新十津川村、清助の長男として生れました。いなかの小学校を卒業いたしまして、農業に従事し、二十一才徴兵検査の結果、野砲七連隊に入隊いたしまして、実役現役五年、軍曹であります。昭和五年樺太庁巡査を拝命して、その後終戦時においてソ連に捕虜となりまして、二箇年間シベリヤに抑留をされまして、二十二年の春帰還いたしまして、北海道庁警部補に復職をいたしました。