1947-07-02 第1回国会 参議院 本会議 第9号
北海道の如きは、新聞紙の傳うところによりますれば百日にもなんなんとするところの遅配欠配が続行せられておるということであります。これは実に厳粛なるところの、國民大衆の切実な問題であるということを考えなければならん。この切実なる食うということの問題は、一切の理論や、一切の弁解を超越しておるところの、厳然たるところの事実であります。
北海道の如きは、新聞紙の傳うところによりますれば百日にもなんなんとするところの遅配欠配が続行せられておるということであります。これは実に厳粛なるところの、國民大衆の切実な問題であるということを考えなければならん。この切実なる食うということの問題は、一切の理論や、一切の弁解を超越しておるところの、厳然たるところの事実であります。
現内閣が成立いたしましたのは六月の一日でありまして、その前日の五月三十一日の調査によりますると、東京におきまする遅配は平均八日間、名古屋におきまして五日間、大阪におきまして五日間、北九州は十日より十八日、北海道は三十日より四十日に及んでおる状況であつたのであります。これを平均いたしまして全國八日間の遅配という数字を見まして、私共は非常に驚いたのであります。
現内閣が成立いたしましたのは、六月一日でありますが、その前日であります五月三十一日における全國の遅配の状況は、東京において平均八日間、名古屋において五日間、大阪において四日間、北九州は十日より十八日、北海道において三十日から四十日、この遅配の状況が、この内閣が成立いたしました前日の遅配の状況であります。
ポツダム宣言の第八項には、日本國の主権は、本州、北海道、九州、四國、並びに連合國の決定すべき諸小島に局限せらるべしと書いてあります。もとよりわれわれは、ポツダム宣言を忠実に履行し、一切の軍備を棄て、國内の民主化に努力してきたのであります。
がほのかに聞き及ぶところによりますると、前内閣時代から、いろいろ内閣においても御檢討があつたようでございまして、最初の案を私どもがつくつて出しましたあの当時におきましては、当時の内閣の大体の方針といたしましては、開拓の問題はむしろ大きな國家的な問題といたしまして、独立の官廳といいますか、開拓廳といいますか、それは私存じませんが、独立のところでやつて、内務省とか、あるいは農林省というように、いろいろに——今北海道