1991-05-22 第120回国会 参議院 決算委員会 閉会後第2号
つまり、山崎正友による恐喝事件の被害金三億円は、全額墓苑会計から流用されたということが当時の創価学会の会長である北條浩氏によって詳細に述べられているのであります。 そこで、私は北條調書の中から二つの問題点を指摘したいと思います。 第一は、創価学会の墓苑経営は、昭和五十二年ごろから始められていたということです。昭和五十五年十月には新たに五万基もの墓苑が完成しています。
つまり、山崎正友による恐喝事件の被害金三億円は、全額墓苑会計から流用されたということが当時の創価学会の会長である北條浩氏によって詳細に述べられているのであります。 そこで、私は北條調書の中から二つの問題点を指摘したいと思います。 第一は、創価学会の墓苑経営は、昭和五十二年ごろから始められていたということです。昭和五十五年十月には新たに五万基もの墓苑が完成しています。
あの事件で、当時創価学会の会長であった北條浩氏が東京地検で検察官に対して詳細な供述をしています。 私の手元に今四冊にわたる供述調書があります。これはその後東京地方裁判所昭和五十五年(ワ)第九〇五一号の損害賠償請求の民事裁判で東京地裁に取り寄せられています。既に公開されたものです。この北條浩氏の調書に基づいて幾つかのことをお聞きします。
昭和四十六年五月十一日(火曜日) 午前十時二十二分開会 ————————————— 委員の異動 四月二十七日 辞任 補欠選任 内田 善利君 北條 浩君 四月二十八日 辞任 補欠選任 中山 太郎君 植竹 春彦君 四月三十日 辞任 補欠選任 北條 浩君
昭和四十六年五月六日(木曜日) 午後一時十九分開会 ————————————— 委員の異動 四月二十八日 辞任 補欠選任 上田 稔君 矢野 登君 林田悠紀夫君 寺尾 豊君 四月三十日 辞任 補欠選任 内田 善利君 北條 浩君 五月四日 辞任
昭和四十六年四月二十七日(火曜日) 午前十時十四分開会 ————————————— 委員の異動 四月二十七日 辞任 補欠選任 寺尾 豊君 林田悠紀夫君 矢野 登君 上田 稔君 平井 太郎君 迫水 久常君 野上 元君 瀬谷 英行君 北條 浩君 内田 善利君
本日、平井太郎君及び北條浩君が委員を辞任され、その補欠として迫水久常君及び内田善利君が選任されました。 —————————————
内田 善利君 中尾 辰義君 中沢伊登子君 矢追 秀彦君 阿部 憲一君 浅井 亨君 上林繁次郎君 田代富士男君 多田 省吾君 田渕 哲也君 片山 武夫君 沢田 実君 渋谷 邦彦君 鈴木 一弘君 向井 長年君 高山 恒雄君 山田 徹一君 北條 浩
横川 正市君 理 事 植竹 春彦君 長田 裕二君 永岡 光治君 委 員 迫水 久常君 白井 勇君 久保 等君 塩出 啓典君 北條 浩
長田 裕二君 新谷寅三郎君 松平 勇雄君 永岡 光治君 委 員 植竹 春彦君 古池 信三君 白井 勇君 野上 元君 北條 浩
矢追 秀彦君 阿部 憲一君 浅井 亨君 中尾 辰義君 松下 正寿君 上林繁次郎君 田代富士男君 黒柳 明君 宮崎 正義君 片山 武夫君 二宮 文造君 渋谷 邦彦君 山田 徹一君 向井 長年君 高山 恒雄君 鈴木 一弘君 柏原 ヤス君 北條 浩
最後には、公明党の当時の副委員長であります北條浩氏から直接会いたいという何べんもの申し入れが来る。そしてあまりひんぱんな申し入れを断わり切れないで、赤坂のプリンスホテルで会ってみると、私はそのときに北條氏のほうから福島さんに手渡された名刺とか、当時福島氏が記録した手帳とか一切のものをここに持ってきておりますけれども、ここで非常に重大な、いわば脅迫的な話をされている。
それから、ただいまの福島泰照氏の本の場合には、北條浩公明党の当時の副委員長が主要な役割りを演じておられる。そしてまた内藤国夫氏の著書の場合にも、内藤国夫氏の著書のゲラを手に入れて、その書きかえを求められたのが竹入委員長であり、北條浩副委員長であったことは、これまたすでに紹介をされているところであります。
そのうちに、隈部さんは創価学会の最高幹部であり、公明党の当時副委員長でありました参議院議員の北條浩氏と面会をせざるを得ないということになってきたわけであります。私どもたいへん不本意でありますが、同僚議員の名前を上げなければならない。これは議員としても、やはり出版妨害をするということはできない。この点については、何ら普通の人と同じように、特権はないのだというふうに確信をしております。