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28件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1985-06-20 第102回国会 衆議院 物価問題等に関する特別委員会 第7号

あるいは、調べてまいりますと、豊田関連で、日本産業航空株式会社公共施設地図航空株式会社、あるいは北日本航空株式会社というような名前が出てまいります。あるいは豊田航空自身小型ジェット機を一機持っております。あるいは豊田商事自身——今のは豊田航空ですよ。豊田商事自身がセスナを持っておる。こういう事実があるのですが、これはひとつ運輸省の方から答えていただきたい、こう思います。

草川昭三

1985-06-20 第102回国会 衆議院 物価問題等に関する特別委員会 第7号

公共施設地図航空の持ち株は渋谷前社長石原慎太郎氏が一部、大部分は日本産業航空北日本航空に握られている」と答弁をしております。そしてさらに企画課長は「公共施設地図航空社長は不在だったが、総務部長豊田商事とは関係ないと答えた」こういうふうに述べたというふうにここの新聞記事で書かれているわけであります。この「関係ない」というのはうそであるということは、私先ほどからるる述べました。

藤田スミ

1975-03-26 第75回国会 参議院 交通安全対策特別委員会 第5号

はたまた、東亜国内航空は、日東航空富士航空北日本航空これが合併をいたしまして昭和三十九年に国内航空、その後東亜航空国内航空合併いたしましてただいまの亜東国内航空になりましたのが昭和四十六年、こういう変遷を経ているわけです。つまり、このころ盛んに国会あるいは政府で論じられておったものは、つまり航空の再編成論というものが出たのであります。

吉田忠三郎

1967-05-16 第55回国会 参議院 運輸委員会 第3号

そのうち、先生の御指摘になりましたおもなもののうち、若干をあれいたしますと、まず航空会社でございますが、日本国内航空の株、これは日本航空整備北日本修理を担当いたしておりまして、それでその修理費がたまりまして、それでこの北日本航空会社の建て直しのために日本航空整備として北日本航空の株を当初三十七年に一億五千万持ったわけでございます。

澤雄次

1967-05-16 第55回国会 参議院 運輸委員会 第3号

だからそれはそれでいいのですが、その国内航空というのは、もともと北日本航空ということで、北海道つまりローカルの線を担当して、言ってみれば北海道道策会社のようなかっこうで、北海道が道庁が中心になって、各市町村団体が全部金を持っている。だから毎回私は言いますけれども、普通の株式会社の、商法に基づく会社とこれは性格が変わっておった。

吉田忠三郎

1966-11-10 第52回国会 参議院 運輸委員会 閉会後第3号

なぜかならば、政府航空局方針に従って、時の綾部運輸大臣のときに、再編成基盤強化、こういう名のもとに、北日本航空、富士航空日東航空、これら三社合併をして、路線のつまり再配分をやりつつ航空事業地盤強化をやるのだ、こういうことで、それに従って、不満ながらもこの三社が合併した経緯がございます。私は、今日あることは当初から問題があった、こう思っている。

吉田忠三郎

1965-03-12 第48回国会 参議院 予算委員会 第10号

不当競争防止対策いかんということでございますが、すでにローカル線につきましては、いままで非常に弱い経営をいたしておりました北日本航空、日東航空富士航空の三社はすでに合併いたしました。そうして日本国内航空というものが成立いたしたのであります。中日航空路線の部門は、全日空の空輸に統合されたのでございます。この企業整理統合によりまして、過当競争防止をはかってまいりました。

松浦周太郎

1964-05-07 第46回国会 衆議院 運輸委員会航空に関する小委員会 第3号

したがいまして、小さい会社国内航空については群立したのでございまするが、最近政府の非常に強いおすすめによりまして、もとの日東航空富士航空北日本航空の三社が、それぞれの立場を捨てて、小異を捨てて大同につく、小さいいわれを捨てて国家の政策に順応するという非常に大乗的な立場によってあえて合同することを承諾して、ここに日本国内航空株式会社が設立されたのでございます。

菅野義丸

1964-04-10 第46回国会 衆議院 決算委員会 第17号

田邉政府委員 航空ローカル線の問題でございますが、実は先般の相次ぐ事故を考えまして、できるだけ国内線、いわゆるローカル線の問題につきましては整備をいたす、特に先般の事故にかんがみまして、今月の十五日には、日東富士、それから北日本航空との合併がいよいよできるわけでございますが、ただ、合併したから直ちに航空は安全な運航ができるんだとは考えておりません。

田邉國男

1964-04-02 第46回国会 衆議院 運輸委員会航空に関する小委員会 第2号

そのときはまだ日本航空株式会社法ができない前でありまして、そのとき、北日本航空会社が、北海道の開発にはあれだけの面積も広いし、航空会社は将来必要であろうということでできまして、そのとき日本航空は三千万円出資をする、そうして子会社として育てていこう、こういうたしか重役会の決議だったと思うのです。ところがたまたまその時期に日本航空株式会社法ができまして、日航性格が変わったわけでございます。

松尾静磨

1964-02-29 第46回国会 参議院 運輸委員会 第8号

そういう関係かどうか存じ上げませんけれども、すでに藤田航空全日空に統合されまして、それからまた昨今私ども仄聞をいたすところでございますけれども、今度事故を起こしました富士航空、さらには先般大阪に事故を起こしました日東航空、そしていまだに発足以来——これはまたたいへんにけっこうなことですが、事故がただの一ぺんもないといわれる北日本航空この三社がともども合併をいたしまして、四月一日から何か聞くところによりますと

吉田忠三郎

1964-02-19 第46回国会 衆議院 運輸委員会 第8号

いままで言われた北日本航空でもいいですけれども、金をつくるだけが経営陣じゃないのです。経営陣の中にそういうものがあるかどうか。これが大きな事故を起こしているゆえんじゃないか。私が非常に残念に思いましたのは、八丈島で飛行機事故が起こった。その当時は国会が不正常のために、事故を起こしておっても、この委員会を開くわけにいかぬ。

長谷川峻

1963-03-29 第43回国会 参議院 運輸委員会 第15号

一つの例をあげますと、北日本航空などはまさに、資本内容をしさいに検討してみますと、道策会社——北海道道策会社ですね。道策会社と、こう言っても過言じゃないかと私は思う。こういうところと、それからもう一つには、全く商行為的なことを主とした企業もあると思う。したがいまして、資本構成も全然違ってきておる。経営方針も違ってきておる。

吉田忠三郎

1962-09-03 第41回国会 参議院 運輸委員会 閉会後第1号

これは航空局で知っておったのかおらなかったのか、八月十六日に、やはりあわや接触事故を起こして、これこそ大事故にならんとした問題が千歳飛行場でありますね、御承知のように女満別から来た北日本航空コンベア240が自衛隊のF86のジェット機と接触しかかったという事故があったでしょう。

吉田忠三郎

1962-09-03 第41回国会 参議院 内閣委員会 閉会後第1号

そこで、事実をさらに申し上げてみますと、この北日本航空コンベア、これはもともと函館丘珠の間を往復しているものでございます。ちょうど今丘珠滑走路整備のために北日本航空機が千歳におりております。いわば不定期便でございます。この不定期便千歳飛行場着陸するために大体十六時五十七分ごろこれがQDフォーマー上空に到着しております。

海原治

1962-09-03 第41回国会 衆議院 内閣委員会 第12号

新聞の報道によりますと、八月、「十六日午後四時ごろ女満別千歳間定期便北日本航空機(乗客四十人)が千歳空港に着陸するため管制塔に指示を求めたところ、どういういきさつか後方の全日空機着陸を指示した。このため北日本航空機が急ぎ上空で旋回した。瞬間、上方から第二航空団所属のF86ジェット機が突っ込んできて接触しそうになったが、小江機長の機転でかわし、事故を避けられたという。」

安井吉典

1962-09-03 第41回国会 衆議院 内閣委員会 第12号

安井委員 時間があれば、実は私もこの間の事故内容をもっと詳しく両方からお聞きいたしたいのですけれども、きょうはそれだけ余裕がございませんので、深くお尋ねはいたしませんが、新聞記事では、北日本航空機は千歳上空で一時間二十分待たされたというように書いてあります。運輸省報告はどうなっておりますか。

安井吉典

1962-09-03 第41回国会 衆議院 内閣委員会 第12号

栃内説明員 ただいまお話のございました千歳における北日本航空機に関します件につきましては、私ども現地の方へ問い合わせいたしまして、実情の連絡、報告を求めておったわけでございますが、現地の方からの報告がございましたので、詳細な御説明ができるわけでございます。  北日本航空飛行機千歳着陸しようとしても、進入管制着陸の許可というものがおりない。

栃内一彦

1962-02-27 第40回国会 参議院 外務委員会 第6号

臨時フライトでもって飛んでおると、こういうような状況がございまして、しかし、もう年度末も近づいて参りましたので、新年度からいよいよ定期ができるということになりましたので、現在におきましては、北日本航空も、全日本空輸も、いずれも東京−秋田北海道という間の路線をやりたい、こういう意思を持っております。

栃内一彦

1962-02-27 第40回国会 参議院 外務委員会 第6号

大和与一君 最後に、ちっちゃい問題ですが、北日本航空が、臨時便秋田経由函館、札幌に行っていましたね。それでたとえば、秋田の何か設備があるんですよね。それができていないから定期便にできない。そうすると、四月なら四月にそれができればあるいは行けるんじゃないかと、こういううわさを聞いている。うわさですよ。それで、今度新聞を見たら、全日本空輸秋田便を……大体きまったんですか。

大和与一

1962-02-26 第40回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第7号

現に北日本航空があそこを利用いたしておりまして、私どもといたしましては、自衛隊飛行機と一般の民間の飛行機とがお互いに譲り合って、それぞれの目的達成のために協力していきたい、こういうことでやっておりますので、その目的が達成されますならば、あえて所管がえ云々ということは、次等の問題として考えていいのではないかというふうに私は考えております。

海原治

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