1949-05-12 第5回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第24号
ところが小針君田帰る際においても、俺は社会党に日本に帰つてから入る、四月の総選挙において代議士に立候補しなければならない、だから俺は早く帰りたいということをソヴィエト側のさつき言つたゴロフニン中尉、こうした人にも洩らし、そうしたものが小針君や、その他の人達が帰つて後においても、ソヴィエト側のいわゆる笑いの種になつておるということにおいて、同じく小針君の部隊から残つた北川昇君、これは先日の細川証人の証言
ところが小針君田帰る際においても、俺は社会党に日本に帰つてから入る、四月の総選挙において代議士に立候補しなければならない、だから俺は早く帰りたいということをソヴィエト側のさつき言つたゴロフニン中尉、こうした人にも洩らし、そうしたものが小針君や、その他の人達が帰つて後においても、ソヴィエト側のいわゆる笑いの種になつておるということにおいて、同じく小針君の部隊から残つた北川昇君、これは先日の細川証人の証言
そこに北川昇君の話が出たのであります。彼はロシヤ語が非常に達者で、年は二十六歳であります。そこで彼は、小針君が行くならば、自分は残りたくないが、私のために彼は残ると言つて残りました。
ところが私が四月の二十二日ナホトカに参りますと、北川昇という男がおりましたが、この男が腕に聯隊長という腕章を付していたのであります。傲然たる態度で、我々が入りますと、門のところの眞中にスターリンの額がありまして、そこに赤旗が交叉してあるのであります。実に陰惨極まる。その門を潜ろうといたしますと、そこに大男がおりまして、後に名前が北川昇ということが分つたのでございます。