2011-03-24 第177回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号
戦後、戦争という手段ではなく、平和的な交渉で画定しているのはこの北千島も含めてということですから、そこに立ってやっぱりやる必要があると思うし、もちろんそのことをめぐって、相手がそれでもって、はい分かりましたとすぐ言うわけではないと思いますけれども、しかし、少なくとも国際社会全体を本当に納得し得るということでの論点、論拠というか、そういうものを持って臨むことが今必要だというふうに思っています。
戦後、戦争という手段ではなく、平和的な交渉で画定しているのはこの北千島も含めてということですから、そこに立ってやっぱりやる必要があると思うし、もちろんそのことをめぐって、相手がそれでもって、はい分かりましたとすぐ言うわけではないと思いますけれども、しかし、少なくとも国際社会全体を本当に納得し得るということでの論点、論拠というか、そういうものを持って臨むことが今必要だというふうに思っています。
ただ得撫以北の北千島諸島と樺太南部は、当時日露両国人の混住の地でありました。一八七五年五月七日、日露両国政府は、平和的な外交交渉を通じて樺太南部は露領とし、その代償として北千島諸島は日本領とすることに話合をつけたのであります。名は代償でありますが、事実は樺太南部を譲渡して交渉の妥結を計ったのであります。
御存じのように、我が党は、北千島まで含めて日本に返還をさすべきだという考えでありますけれども、それはそれとしてこの問題を伺いたいのであります。この水域での操業を扱う九八年の日ロ間の漁業協定の第一条では、当該水域での生物資源の保存、合理的利用及び再生産のため、両国政府が協力するということになっております。
例えば、中共が支配しておりますシナ大陸、ソ連の領土、北朝鮮、北ベトナム、北千島というようなところは、そういう概念構成から申しますと、具体的には極東というものには入らない、そういうことですかと聞いたら、岸内閣総理大臣は、極東の範囲内には、今言われた点は入らないと。
だから、第二次世界大戦の戦後処理の原則に基づくならば北千島というのは日本が放棄しなければならない領土じゃないんですよ。なぜそれを放棄するのか。そうするとこれには、法と正義の原則というのが北千島には適用しないということになるんではないかと思いますが、つまりそれは……
そうすると、今度新しい論点を持ち出してきて、そしてあなた方は北千島や南千島をあのサンフランシスコ条約で放棄したじゃないか。国後、択捉の帰属についてはここで四島は書いたけれども、しかし帰属がどうなるかということを決めたわけじゃない。返還を決めたわけでは全くない。帰属をどうするかということを今後話し合いましょうということを決めただけだということを新たな論点として向こうで出してくる可能性がありますね。
ところが、それなら北千島というのは、日本がいわゆるカイロ宣言で言われたように、強欲だとか武力で取り上げた領土じゃないのでしょう。これは平和的な形で日本の領土になった。だから、日本としてはこれを放棄する必要は全くないわけです、北千島は。
だから、北千島というのはいわゆる戦後処理の原則からいっても放棄する必要の全くなかった領土であるという点はどうですか。つまり、正常にいけば何も放棄する必要のあるそういう弱みのある問題では全くないと、日本が。
○内田政府委員 ソ連にとっての北方領土の軍事戦略的な位置づけでございますが、委員御案内のとおり、北方領土それからそれにつながる北千島というのは、太平洋からオホーツク海を分け隔てる、ある意味で太平洋からオホーツク海に入ってくるところのアクセスのところを扼しているという地点となっているわけでございます。
○古堅委員 日本共産党は、歯舞、色丹、択捉、国後の四島だけではなく北千島も歴史的領土であり、このすべてを日本に返還しなければならないというふうに考えています。 問題は、ヤルタ協定に示されているソ連の大国主義にあるわけで、この大国主義の是正を求める対ソ交渉をぜひ進めてほしい。
もちろん、先ほども申し上げましたが、日本共産党は、一八七五年に日露間で結ばれた樺太千島交換条約が日ソ間の領土問題についての国際的にも通用する到達点だというふうに考えておりますから、南千島だけじゃなしに、北千島も含めて千島列島全体が平穏に日本の領土になった固有の領土だというふうな主張をずっと続けております。そういう立場を踏まえ ながらも、今回の交渉でどこまで行くかわかりません。
の地域生活援助対策に関する請願(第一七六二号外二五件) ○在日韓国・朝鮮人の戦後補償・権利保障に関する請願(第一九一一号外五〇件) ○HIV対策の強化・推進に関する請願(第一九七一号外六件) ○サハリン(旧樺太)に在留する同胞の早急な一時帰国実現に関する請願(第二〇七三号外三〇件) ○社会福祉制度拡充に関する請願(第二一二四号) ○社会保障制度改善に関する請願(第二一二五号) ○第二次大戦における北千島関係戦没者
) 同(前島秀行君紹介)(第二三六〇号) 同(森井忠良君紹介)(第二三六一号) 同(和田一仁君紹介)(第二三六二号) 同(中野寛成君紹介)(第二三六三号) 医療改善に関する請願(山田英介君紹介)(第二三六四号) 医療・福祉・年金など社会保障制度の改善に関する請願(藤田スミ君紹介)(第二三六五号) ヒト免疫不全ウイルス対策の強化・推進に関する請願(大野由利子君紹介)(第二三六六号) 北千島関係戦没者
請願九十三件 骨髄バンク早期実現に関する請願四件 障害者の所得保障の充実に関する請願十九件 小規模作業所等障害者の地域生活援助対策に関する請願七十三件 重度心身障害者とその両親及び寝たきり老人とその介護者の家族が同居可能な社会福祉施設の設置に関する請願三件 脊髄空洞症を特定疾患の指定に関する請願五件 労働行政の強化に関する請願二十三件 ヒト免疫不全ウイルス対策の強化・推進に関する請願十件 北千島関係戦没者
大体一九五一年のサンフランシスコ条約の中で、ダレスだって明確にこの千島列島の人口について述べています、北千島も南千島も含めて人口を述べている。アメリカ側だって何も南千島は別のものだと、北千島と分けて述べてはいません。そうして、吉田首相が述べた受諾の演説の中でも明確に千島南部の二島、国後、択捉と、こういうふうに述べています。
北千島も何も外国から侵略だとか略奪をして取り上げた領土ではないわけです。平和的に日本に帰属することになった領土です。これは戦後処理の原則から見てどうしてこれを放棄するという必要があったんでしょうか。
と言いますのは、私どもの考え方を先生御存じになっていただいているかどうかわかりませんが、我々は千島というのは北千島も南千島も歴史的に見て日本の領土であり、この領土が他国の領土になるべき筋はいかなる意味でもないという立場です。したがって、我々はいわゆる四島ということじゃなくて全千島の返還を要求する。
そういういろんな体験、それからまた日本も吉田さんにしろ西村さんにしろ、それからアメリカにしろ既に南千島、北千島という呼称を用いておる。フランス政府も、その当時日本の政府に対して、日本の代表がサンフランシスコ条約で北千島、南千島という呼称を使っているじゃないかということで、アメリカ政府の意向には従うことはできないという回答をよこしたようですね。
アメリカの秘密外交文書の中でもやはりノースクリルアイランズとサウスクリルアイランズと、やっぱ り南千島、北千島という表現は随所に出てくるんです。だから、あなた方盛んにカイロ宣言を強調するのはちょっと筋違いなんで、その点の論争はもういいですよ。だって明らかに矛盾なんだから。
これはどうでしょうか、やはり諸外国では南千島、北千島という考え方が支配的なんじゃないかというふうに思うんですが、これはどういうふうに考えられますか。
ただ得撫以北の北千島諸島と樺太南部は、当時日露両国人の混住の地でありました。一八七五年五月七日、日露両国政府は、平和的な外交交渉を通じて樺太南部は露領とし、その代償として北千島諸島は日本領とすることに話合いをつけたのであります。
そして南千島もあるいは北千島も含む全千島が戦後処理の原則から照らしてみるならば日本の領土であり、外国から武力によって奪い取った領土でない限り、これを手放すことは戦後処理の原則、領土不拡大の原則から見ても適切でないことは言うまでもありません。こうした見地に立って、全千島の返還のためにも努力をすべきであるということを特に強調しておきたいと思います。
これまで例えば北千島方面におきまして海難が発生いたしました場合に、私どもの海上保安庁ではヘリコプター搭載型の巡視船も持っておりますので、この巡視船を出動せしめまして、その巡視船の積載のヘリコプターによる空からの捜索救助活動について申し入れた事例もございましたけれども、これまではこれについて返答がなかった。
その西村条約局長が答えていわく、千島列島には北千島も南千島も含みますと答えている。「現在に立って判定すべきだと考えます。」歴史上の問題なんかだめです、こういう意味なんです。「従って先刻申し上げましたように、この條約に千島とあるのは、北千島及び南千島を含む意味であると解釈しております。」千島全域を含むんだと言っている。
これを海域別に見ますと、道東海域が七隻五十三人、カムチャツカ海域が一隻十七人、北千島海域が八隻百三十五人、沿海州海域二隻六人、ベーリング海一隻二十七人となっております。また本年は、三月末現在三隻三十人がソ連に拿捕されております。
ここにある「北方領土奪還への道」という、水津満という人の書いた本で、この人は北千島作戦参謀をやった少佐です。 この人は、書いた本によりますと、侵入してきたソ連軍に案内を命ぜられて、この人は北千島軍の参謀であったんですけれども、ソ連のその入ってきた。連中の水先案内をやらされた。