2016-04-26 第190回国会 参議院 国土交通委員会 第8号
過去の地震を見ますと、一九三〇年北伊豆地震ではマグニチュード七・三、これは最大で三・五メートル北の方向に動いたというふうな記録がございます。また、阪神・淡路大震災でございますけれども、これは南西方向に約一メートルずれたと。そして、東日本大震災では東南東方向へ約四・四メートルということでございます。今回の熊本地震、益城町付近では、北側が東方向へ最大二メーターずれたと言われております。
過去の地震を見ますと、一九三〇年北伊豆地震ではマグニチュード七・三、これは最大で三・五メートル北の方向に動いたというふうな記録がございます。また、阪神・淡路大震災でございますけれども、これは南西方向に約一メートルずれたと。そして、東日本大震災では東南東方向へ約四・四メートルということでございます。今回の熊本地震、益城町付近では、北側が東方向へ最大二メーターずれたと言われております。
あるいは北伊豆地震、これも同じく一九三〇年ですが、実際の震源の深さはゼロ、しかし大崎の方法によると十三・八キロになる等々、大崎の方法によると、計算される実際の震源の深さとそれから具体的に起きた震源の深さはまるっきり違っている。逆の例を申し上げますと、一九三一年、根室東岸の地震では、震源の深さは百キロメートルですが、大崎の方法によると、これは七・二キロメートル、こういうふうになっております。
どうして過去にその断層が繰り返し繰り返し活動していることを知ったかといいますと、それは、例えば丹那断層の例をよく引くのですけれども、伊豆の熱海と三島の間のちょうどJRのトンネルの真ん中に南北に丹那断層という断層があって、それが昭和五年の北伊豆地震のときに二メートルほど動きました。つくりかけのトンネルが二メートルちょっとずれてしまったわけですね。
例えば、昭和から平成にかけてのこの数十年間、百年近くの間にさっき平均したら明治以後十五年に一度ぐらいとか言いましたけれども、昭和の二十何年までの前半にもう数年置きに、先ほどの北伊豆地震、その数年前には北丹後地震、それから十年後には鳥取地震、それからその数年後に三河地震、その数年後に福井地震。
しかし、A級は比較的歴史等のあれの中から、既に起こった北伊豆地震なんかでは丹那断層とかで調査をしたり、いろんなデータなども証拠があってわかりやすいんですけれども、B、C級というのは基準が、いつ起こってどうなったかというのを決めかねているものが非常に多いんじゃないですか。それが地質学の現状でしょう。
そして一九三〇年にマグニチュード七・〇の地震がありました北伊豆地震、あのときは丹那断層という断層が出たわけでございますが、その周辺でひずみの蓄積が非常に大きいというデータが出ておりまして、その南端のところが異常に隆起しているわけであります。過去の歴史を見ますと小田原が災害をこうむったというような記事はたくさんございまして、何となく伊豆半島では地震活動が北上してきているような感じでございます。
○渡辺(芳)委員 これは大臣にお伺いした方がいいと思うのですが、昭和五年に北伊豆地震がありました。先般伊豆大島近海地震がありましたが、いずれも一カ月とか二カ月前から前震があるのです。がたがた揺れていたのです。
これは新幹線やいままでの東海道、国鉄のトンネルがまさに横断しておりますが、それは昭和五年に丹那断層は北伊豆地震を起こして食い違っております。幸いにそれはまだ鉄道が通る前でしたから、そういう意味では被害はなかったわけですけれども、新幹線をつくるときに問題になったわけです。
○渡辺(芳)委員 従来の経験によりますと、たとえば一九三〇年十一月に起きた北伊豆地震がありますが、このときにはマグニチュード七と言われておりますが、数日前から小地震といいますか、前震が頻発しておった。
それで、この天城山地域は、かつて、昭和五年、丹那盆地に大きな断層をつくりました伊豆北部の地震、その断層の延長上にあるわけでございまして、現在、南伊豆地震の後に起こっております天城山付近の小地震は、北伊豆地震の断層の延長として天城山付近の活断層が少し動いた、そういう結果に基づくものであるのか、もうすでに、昭和の初期におきまして天城山付近で強震が起こっておりますが、そういうことであの付近のエネルギーは大部分解消
この地震の規模は、昭和五年十一月二十六日の北伊豆地震、それから二十三年六月二十八日の福井地震の約四倍、大正十二年九月一日の関東大地震とほぼ同様で、昭和八年三月三日の三陸津浪地震の三分の一程度と言われております。