2020-05-29 第201回国会 参議院 東日本大震災復興特別委員会 第6号
特に、この丸森も含めました阿武隈川、さらに郡山は私も伺いましたが、ごめんなさい、丸森も含めました北上川水系、そして郡山、阿武隈川水系ですね、伺いましたけれども、いかなる対応を今されているのかと。そして、地元が不安を持たないように完遂の方向で走っているのかと。
特に、この丸森も含めました阿武隈川、さらに郡山は私も伺いましたが、ごめんなさい、丸森も含めました北上川水系、そして郡山、阿武隈川水系ですね、伺いましたけれども、いかなる対応を今されているのかと。そして、地元が不安を持たないように完遂の方向で走っているのかと。
なぜこの山に登らなかったのか、わざわざ北上川の堤防沿いをなぜ逃げてしまったのか。聞いたら、その一年前にチリ沖地震があって津波の警報が出た、だけど津波が大したことなかった、それに基づいて避難計画を作ってしまった。大いなる反省を、あったというふうに聞いております。
この石巻市大川地区を含めた北上川右岸下流域には国土交通省のカメラが設置されておりましたけれども、全てのカメラの映像が残っているんでしょうか。また、これらの映像について御遺族や研究者への公開は可能か、お聞きます。
北上川の河川堤防を越流した津波と、海岸から入り陸を遡上した津波が原因となったわけですけれども、石巻市や文部科学省が関与して作られた大川小学校事故検証報告書について、例えば河川堤防の越流時刻ですとかその量や流れなどについて、何人もの専門家から疑問の声が上がっています。
○政府参考人(池内幸司君) 震災時、旧北上川分流点より下流の北上川右岸には、カメラを六台設置しておりました。そのうち一台のカメラにつきましては、津波により光ファイバーが切断してしまいました。残り五台のカメラにつきましては、震災時の映像を保存しております。また、大川小学校から約五キロメートル上流にあるカメラの映像の一部につきましては、東北地方整備局のホームページで公開しております。
石巻市が、北上川河口と石巻湾に面した平地部に人口十一万人、五万世帯が密集していたため、市街地の住宅地で約七割が浸水、全壊、大規模半壊、一部損壊となった住宅も七割に上る、これは皆さんもう周知のことだと思います。私も被災直後の四月終わりに訪ねましたが、地盤沈下の影響もあって、道路や住宅の冠水はもうあちこちで起きていました。
この石巻の北上川の資料では、国所管のところでは説明しっかり行っていこうという姿勢見られるんですけれども、宮城県が事業主体のところではもう乱暴とも言えるような状況になっております。
次に、石巻市の旧北上川における堤防計画について聞きます。 お手元の資料の二枚目ですけれども、これ、川に中州があるんですね。これは中瀬と呼ばれる地区で、石ノ森章太郎の萬画館などがあるんですけれども、この地区に何も対策が行われずに両岸の河川堤防がかさ上げされますと、この中瀬地区に津波が集中するおそれがあります。萬画館ですので、当然、人も出入りするという状況です。この対策、どうなっているんでしょうか。
しかし、その一六〇〇年代の利根川の家康の作業というのは、全国的に同じように武将によって展開されまして、北上川の改修が伊達政宗によって行われ、そして直江兼続がやはり米沢藩ということで行かされたわけですが、争奪戦の時代がそこで終わりを告げまして、我が領地をどう守っていくかという中に、大名がこの意識を持つのが一六〇〇年代であり、大阪の大和川改修、あるいはまた広島のそういうものもそうです。
その以前の中心市街地活性化の計画も、これも復興住宅などを進めるとともに、町並みの形成、そしてまた水と緑のプロムナード整備事業という形で北上川河口部、これが本当に津波の、川に沿ったところが指定された地域だったので被害も大きかったわけですが、これの堤防と併せてプロムナードを整備する、そういったことも今この事業でやっていただいているわけでございます。
と申しますのは、私は国会議員になる前は千葉県の八千代市の市長を務めておりまして、震災後でございました、たしか三か月ほど経過した時期だったというふうに思いますけれども、職員の希望者とともに、この大川小学校の対岸でございますけれども、この地域、住所は、北上川沿いでございますけれども、ここの北上町橋浦地区という地区がございますけれども、ここにボランティアとして参加をさせていただいたわけでございます。
徳川家康が利根川を、東京湾に通じた利根川を太平洋側に付け替えるという利根川の東遷、そして荒川の西遷、あるいは大阪の大和川改修、そして伊達政宗の北上川改修、一六〇〇年前後というのは我が国の土木においても極めて重要なときだったと思いますが、これを聞きまして、これは観光庁とも連携取って、地震があった後なんですよね、これ、非常にそういう意味からいきまして意義のあることだと思います。
一六〇〇年前後は、特に治水というのと、戦国時代が終わりまして、我が領地をしっかり整備していかなくてはならないという、物取り合戦の時代ではなくて、自分の領地を守るということがあったものですから、利根川の東遷、荒川の西遷、徳川家康のやった河川改修、あるいは伊達政宗の北上川改修、大坂の大和川改修、そうしたことが戦国武将によって行われて、そして、常に、河川もそうでありますが、道路もそうした営みの中で街道をつくってくるという
例えば河川が洪水になった場合に、北上川というのがあるんですが、これは宮城県まで流れていますが、いざというときにどこを守るか、決壊させるかという判断があったときに、岩手県の一関あたりの遊水地を洪水にして下流を守るということがいいのだという場合でも、いざ自分が全体の東北広域連合の長の場合には、岩手のことを考えてしまえば、下に流してしまった方がいい、宮城を犠牲にするという判断にした方がいいというふうに悩んでしまうと
ここは八十センチ水没、北上川の河口の堤防もこれはかさ上げをします。それから、防潮林につきましても、最終的には防潮林も復活させます。それから、水田は、これは私、全面的に当初、本当に申し訳ないんですけれども、これを復活させるというのはなかなか大変だなということで当初難色を示しました。しかし、宮城県が絶対やるということだったので、それはやりましょうということで今計画を進めているということです。
田園地帯が全部海にのまれてしまっている北上川の河口部分でございます。これが十月の段階で、この二枚目の写真のとおりです。そして、三枚目、これ、一年たった姿でございます。一年たっても水没の状態でございます。この北上川のちょっと橋、一枚目の橋が架かっていると思います。この橋の付近にあの大川小学校、悲劇の舞台になりました大川小学校がございます。
忠誠心という問題があるというのは、例えば、虎の子でヘリが一台しかないときにどこに飛ばすかということを考えたときに、水害対策を考えた場合、北上川というのがありまして、それは上流が岩手県、下流が宮城県なんですが、どっちを救うかということを考えれば、岩手のことを考えれば下に流してしまった方がよくて、宮城を犠牲にした方が守れるという判断もあるかもしれない、そこを悩むんだと。
今、石巻に限って言えば、まず河川の方ですけれども、大型土のうによる応急対策、これは北上川と旧北上川の河川堤防です、これを六月末までに応急対策を完了いたしました。そして、八月末までには従前と同様の高さのところまで、コンクリート擁壁という形での対策を完了しております。海岸堤防の方ですけれども、こちらは盛り土による締め切り、そして補強といった対策を九月末までに完了しております。
ここは、北上川の堤防が決壊したこと、そして海岸部分が激しい地盤沈下を起こしたことで、約二百町歩の水田が、三年前に基盤整備が終わったばかりで換地もまだ終わっていなかったという場所でございますが、このような状況になっており、農水省の話では、いまだに八十町歩はそのめどが立っていないといったような状況です。
例えば、宮城県ですと北上川という河川がありますが、この堤防が、外から見てもわかるように、かなりひびが入ったりしています。そして、そこに今ブルーシートをかぶせて一応何とかとめているんですが、目に見えないところでも相当傷んでいるんだと思います。
現在、特に議員のおひざ元でありましょう北上川関係についても調べさせていただきましたけれども、今回の地震等々により地盤の液状化というのも堤防にとっては大変大きな影響を与えるわけでありますが、そういうところを点検した結果、六百四十六カ所で被災を確認いたしました。
そして、私自身、石巻市の北上川の河口部、中原先生と共に行ってまいりました。現場の人から聞いた話なんですが、階段状に矢板を設置していると、そのことによってそこの地区の津波が軽減されたんだよという、そんな話を伺いました。
北上山地のバイオマス、北上川水系の小水力。自然の力を使わないともったいないです。残念ながら、今は、インフラの設備コストを回収できて得するような制度設計には、皆さんがよくわかっているように、なっていない。ここはやはり、政治の力一つで一気に導入を進めるべきだと私は思うんですね。 東北は今ピンチです。このピンチをチャンスに変えるのは、エネルギーシフトだというふうに私は思っております。
古来、北上川がゆったりと太平洋に流れ込む様子を見て、天然の良港の石巻港の船の安全を祈った場所です。しかし、今回は、被災の状況を確認する、そんな場所になっておりました。 町の様相は一変しておりました。一面、津波のつめ跡です。地域の方々がこれまで一つ一つ積み上げてきた家屋、資産、そして地域のインフラが、押し寄せた津波によって瓦れきと化してしまいました。
また、地域活性化総合特区に関する取り組みですと、例えば石巻アグリクラスター集積特区、そして北上川水辺のレストランプロジェクト、こういったものもこのリストの中にあります。 そのプロジェクトの名前を見ただけでも、どういう事態かなというのは察するに余りあるところなんですが、きょうの日経新聞の社説でも、宮城県知事から出ている提案、東日本エコ・マリン特区、こういった復興特区と言えるようなものに対する提案。