2016-10-20 第192回国会 参議院 法務委員会 第2号
これはちょっと時間がありますので皆様にも聞いていただきたいのですが、明治三十六年、遡っていきますと、一九〇三年に大阪の天王寺周辺で政府主催の第五回内国勧業博覧会が開催されましたときに、この会場の正面に建てられた見せ物小屋に学術人類館というのがありまして、沖縄やアイヌ、朝鮮、台湾の人たちが展示されたという事実がございます。
これはちょっと時間がありますので皆様にも聞いていただきたいのですが、明治三十六年、遡っていきますと、一九〇三年に大阪の天王寺周辺で政府主催の第五回内国勧業博覧会が開催されましたときに、この会場の正面に建てられた見せ物小屋に学術人類館というのがありまして、沖縄やアイヌ、朝鮮、台湾の人たちが展示されたという事実がございます。
豊田佐吉翁は御承知のように非常な貧農の息子さんでしたけれども、一念発起、発明に次ぐ発明で、これは恐らく万国博覧会、東京の上野で開かれた勧業博覧会で自動織機を見て非常に大きな影響を受けたんです。
環境衛生関係の整備などの問題でありますが、明治の末、大阪で勧業博覧会というのをやりまして、例の新世界の通天閣などがそのときのモニュメントとして残っているわけであります。
と申しますのは、例の百科事典の中にも勧業博覧会ということが記載されているじゃないか、万博というもののイメージ、性格というものとかけ離れた、一時代前の百科事典の記載があるじゃないかということについての発言がございました。そこで、そういうふうな百科事典の記載を私詳細に読んでみましたけれども、そのこと自体の表現が間違いだとは言えないわけなんです。しかし正しいといいますか妥当な記載ではないと思うのです。
従来博覧会というものは、第一次大戦までは大体発明の博覧会、勧業博覧会でありましたが、第一次大戦を経るに従って漸次経済のほかに精神文化が入ってまいりました。文化とか芸術とかいうものでございます。
最近ある出版社から出ました大百科の万国博の項を開いてみたら、「世界各国の主要な産物を一場に収集し陳列して、その性状の特異や効用の優劣を比較させ判断させるため、臨時に開設される国際的の勧業博覧会をいう。」こういうように書いてあるのです。これが最近出されたところのある大百科の万国博のところに出てくる説明なんです。万国博はいま読み上げたようなことではないでしょう。