2020-02-14 第201回国会 衆議院 財務金融委員会 第3号
これはたまたまなんですけれども、私の、昔、銀行勤務時代の上司が結婚四十周年ということで、記念にということでこのクルーズ船に乗って旅をされた、帰ってきたそのときにこういう騒ぎに遭遇してしまいまして、大変な思いをされているということでございます。こうした、本当に一生に一度の思い出ということで来られ、乗られた方も少なからずいらっしゃるのではないのかというふうにも思います。
これはたまたまなんですけれども、私の、昔、銀行勤務時代の上司が結婚四十周年ということで、記念にということでこのクルーズ船に乗って旅をされた、帰ってきたそのときにこういう騒ぎに遭遇してしまいまして、大変な思いをされているということでございます。こうした、本当に一生に一度の思い出ということで来られ、乗られた方も少なからずいらっしゃるのではないのかというふうにも思います。
外務省の女性職員が、在イラン大使館勤務時代、当時の駐イラン日本大使から性暴力の被害を受けたとして、刑事告訴する事件もありました。 一昨日のニュースでも、鹿児島県垂水市で女性市議が初めて誕生することが決まった市議選をめぐって、自民党の男性市議が、告示前、やりにくい、下手な言葉を言えばセクハラ、パワハラと言われるおそれもあると語り、批判を浴びました。
その後、在イラクの日本大使館勤務時代にイラン・イラク戦争というものに巻き込まれまして、その戦時下で、イランから大量のスカッドBというミサイルの攻撃にさらされて、隣でミサイルが爆発して、本当に生々しい、想像を絶するような戦争体験をやって、そして一年間戦時下の中で逃げ惑ったような体験を持っているわけですね。
大学病院勤務時代は夜勤もいたしました。それから日本看護協会で広報や政策の仕事をし、衆議院議員になりました。 私が日本看護協会におりました二〇〇八年、二十代の看護師二人が大阪と東京で亡くなるという事案がありました。それぞれが過労死として労災認定されました。夜勤明けにストレッチャーで横たわっていたのを発見されたと聞いております。
私自身、ニューヨーク勤務時代に、メキシコの三・三億ドルの電力案件につき、スイスのABBという総合電機メーカーと一緒に事業会社を設立し、このルールを使って社債を発行し、出資額一億ドル以外の必要資金二・三億ドルを一日で調達した経験があります。もちろん、格付会社であるムーディーズやS&Pニューヨーク本社に出向き、プレゼンを行い、投資適格の格付を取得した上でのことでありました。
私は、かつてテレビ局勤務時代、政治記者として自民党を担当していました。当時の自民党は、何か大きなテーマがあれば、かんかんがくがく、けんけんごうごう議論していました。ところが、あの安保法制しかり、そしてこの消費増税再延期しかり、ほとんど議論らしい議論もなく、総理の一存で全ての物事が決まる異様さです。
この通産省勤務時代に、当時通産大臣であった安倍晋太郎先生と、北海道のリーダー格であった中川一郎先生に勧められ、政界入りを決意されたのであります。 その際、父金五先生からは、本当に政治家なんぞになりたいのか、余り感心しないね、一生涯、官僚として国家国民のために尽くすべきではないかと強く反対されたそうです。
○大沼みずほ君 私自身、香港で今回夏に調査に行った際、また香港に実際に総領事館勤務時代に住んでいたときに、一番の外国人の家事支援人材を受け入れるときの問題というのは、フィリピンの方とかインドネシアの方とかベトナムの方がベビーシッターとかシルバーシッターをする中で虐待をするんじゃないかという声が日本国内ではあるんですが、そういったことは全く、まあゼロとはもちろん言えません、それは日本のベビーシッターなり
私自身、外務省で香港総領事館勤務時代に情報部門で仕事をしておりました関係で、特定秘密をしっかりとルール付けをして、各省庁また各国との情報交換をもっともっと活発に行う必要性は身をもって経験いたしました。炎天下で一日中、香港から例えば尖閣諸島に出航する船の確認をずっと一日中そこで待っていたり、時に身の危険を感じながらも向こうの情報提供者と接触をするといった活動もしてまいりました。
その後には、保健所勤務時代に、あの八・五水害で堤防が三か所決壊したときの水害対策にも現場の保健師として当たりました。とにかく、交代要員だけでなくて、初期の対応をいかにするかということがこういうときには大事だと思うんです。
第三者委員会関係の十六件は調査は終了でございまして、現在、残るもう一件、第三者委員会がかかわらない形で取り扱うことになった事案について、関係する職員において他の事務所勤務時代に同様の行為があったのかなかったのか、そこら辺の調査を進めているというのが現状でございます。
この二つの事務所の勤務時代のものについて当たっているということでございます。 外形からしますと、一定金額以下、大きく下げているというものがありますので、それらについて当たっているということで、まだ最終的にそのような不適正な遡及訂正処理をやったというところまでの確定はまだでございます。
つまり、道路の問題というものもなかなか難しい問題であるなというのが私の大阪勤務時代の感想でありました。 国土交通省の所管として道路がつくられてきているわけですけれども、無駄な道路もあるし、しかし、まだ必要な道路もある。特に地方においては、これで完璧かというと、そうではないのではないかというふうなことを感じた、もう大分前のことでございますけれども、ございます。
私は、通産省勤務時代に当時通産大臣であられた安倍晋太郎先生と、北海道のリーダー、中川一郎先生からお勧めを頂き政界入りを決意致しました。其の時は、参議院自民党議員会長であった父、町村金五は、政治の世界は厳しいものだと言って、私の政界入りには強く反対しておりました。しかし、私が一年半の準備期間を経て初当選出来た時、最も喜んでくれたのも父でありました。
あるいは、財務省御勤務時代、いわゆる財政分野が長かったわけですけれども、いわゆる金融分野の政策の御経験が少ないんではないかと心配をしている人も若干おります。
○松岡国務大臣 私が個人献金を受けておられる方は、私の役所時代、勤務時代の先輩の方でありまして、今はそこの、今回対象になっている会長をされておられるかもしれませんが、その時点は、ちょっと確認いたしますけれども、その時点では、たしかそこの会長であったかどうか、これは単なる個人的な関係で献金をいただいているものでありまして、その組織ができなくなったからこの人が個人でという、そのような形ではないということだけは
私が内閣府勤務時代にやっておりましたのは、民間議員の御意見を集約しながら、民間議員提案のたたき台をつくるお手伝いはしておりましたが、最終的にペーパーをおつくりになるのは民間議員です。
また、栗林中将は、同僚議員の新藤義孝議員の母方の祖父に当たられていることもございまして、新藤議員から、「硫黄島からの手紙」という、米国勤務時代からの書簡を集めた本をいただきまして、それも読ませていただいたわけでございますが、今先生がおっしゃった小さなお子さんにというのは、ちょうどそれは新藤さんのお母さん、たか子さんのことでありまして、たか子さんのことを栗林中将はたこちゃんと呼んでいまして、最後の手紙
○風間昶君 私も余り知らなかったんですけれども、整形外科勤務時代に、簡単な交通事故でえらい症状が、不定な愁訴が多くて、立てば頭が痛くなる、横になれば良くなるということだけじゃなくて、目がかすむ、生活障害を起こすとか、いろんなことで何人かの方々診ましたけれども。
その中で、私は、国会議員になってから国民年金はきちんと支払っておりましたが、大学病院勤務時代、無給医局員のとき、そして大学院生のときに、国民年金未加入で未納でございました。 今回は、その責任を取るとともに、もう一つは、けじめを付けた上で、今の年金制度の在り方を抜本的に改革するために国会できちんとした議論に参加したいという思いで、今回は辞めさせていただくことにいたしました。
いいですか、では、あなたは、十月十二日のテレビ出演や記者会見で、藤井氏は、だれだかわかるようなイニシアルで五、六人の政治家を挙げ、自分が建設省勤務時代のこととして、国有地の払い下げなどこんな疑惑があることを知っているぞ、道路関係議員は自分が面倒を見ているんだということを自慢げに話したと。あなたはそう言っているんですよ。これがうそなんですか。