2007-05-29 第166回国会 衆議院 内閣委員会 第23号
その弊害というのが、日本の場合にはこれは業種とか職種によってもちろん違いますから、全部押しなべてということは到底言えないわけですが、例えば、日本の製造業の強みであるチーム力とか、あるいは自分が取得したいろいろな経験、ノウハウを後輩にきちっと教えたからといって、極端な話、一銭の得になるかならないかということは別にして、やはり職人かたぎといいましょうか、まじめさといいましょうか、これまでそういう日本の勤労精神
その弊害というのが、日本の場合にはこれは業種とか職種によってもちろん違いますから、全部押しなべてということは到底言えないわけですが、例えば、日本の製造業の強みであるチーム力とか、あるいは自分が取得したいろいろな経験、ノウハウを後輩にきちっと教えたからといって、極端な話、一銭の得になるかならないかということは別にして、やはり職人かたぎといいましょうか、まじめさといいましょうか、これまでそういう日本の勤労精神
ですから、勤労精神というのは極めて重要な人間力であると私は思っております。
今のこの社会というのが、余りにも自分だけを考えて他人のことを考えないといいますか、あるいは、効率のみを追求するような社会になっておりまして、汗を流して一生懸命働くという勤労精神などもだんだん薄くなってきているのではないかというような心配もございます。
ことしで開園二十年を迎え、宿泊施設を兼ねたこの学童農園では、教育のカリキュラムに従って農業の体験学習が進められ、額に汗し手にまめして働く勤労精神が培われております。また、非核宣言や町民憲章、そして町の環境美化の促進に関する条例の制定は、国際平和、人権尊重、環境に係る生活権など、日本国憲法の理念を町民一人一人がより身近なものとしております。
そうすると、各省から予算が出ている、それにつながったまた機関がある、民間もあるということになると、大変に勤労精神に燃えた大蔵省の何人かが頑張って徹夜をすると、そのすそ野は物すごいんですよ、これは。思いついて何とか省に電話をして、おまえのところはこんなの出しているけれども、この点はどうだという話を聞こうと思って電話をしますね。そうすると、朝の二時にもう帰りましたと。そうすると怒るわけだ。
千二百兆円の個人的資産、また勤労精神、また優秀な企業、さまざまな科学技術、こういうものを総力を合わせてやっていくならばこの国はこの困難を乗り越えられるのだというふうなお話でございましたが、その前提としての我々の持つべき意識の問題、また社会の仕組みの問題等々もこれから考えながら活性化した社会をつくり上げていかねばならない、こんな思いでございます。
それからまた、そんなことばかりやっておって、額に汗して自分の生活の資を獲得していくというような勤労精神に重大な影響があるというようなことから、こうした面を法益として保護しようということが賭博を罪とする考え方につながっているのではないか。
国際化は、時にその国の個性、個性の中核は文化でありましたり、よき伝統でありましたり、また勤労精神でありましたり、家族制度でありましたり、そういうものがあるわけでございます。それは個々の国家の努力、国民の努力によりましてキープされていかなければなりません。
そして、現在の刑務作業の理念と申しますか、目的というのは、受刑者の矯正及び社会復帰を図るために受刑者に規則正しい勤労生活を行わせる、そしてそれによって心身の健康を保持し、勤労精神を養成し、規律ある生活態度及び、工場で共同作業をいたしますから、共同生活における責任の自覚、それを助長するとともに、職業的知識と技能を付与してその者の社会復帰を促進する、そういうふうな理念をもってやっておるわけでございまして
勤労精神が、意欲があれば、それでも農家の人は冬期間は出稼ぎに来ると思う。そのプラスアルファ入れてもそんなに、皆さんが唱える十町歩になったら現行米価でいいという、しかも理想的なそういう経営形態ができた場合に約三〇%は米価を下げるという、そういうことが米価審議の時点では毎回言われることでしょう。そういうことを聞いて果たしてやろうとする農家が出てきますか。
これでは、戦後日本の 繁栄を支えてきた、まじめに働けば報われるという社会的公正に基づく勤労精神は、根本から覆るではありませんか。総理はこうした状態でよいとお考えか。 また、プライバシー保護に配慮した納税者番号の導入によって株の売却益課税を正確に行うこと、国民の居住権や営業権を守りながら遊休土地に対する課税を強化することなど、抜本的な資産課税を行う決意があるかないか、明確な答弁を求めます。
していくという意味で、仕事を奪い、そして本来の熟練労働者に何の合理性もないままチューインガムをはがすようなことをさせ、さらに私も現場を見てまいりましたが、九州のある人材活用センターでは四十過ぎの労働者の方にパソコンの操作を今教えているわけですが、この人たちについて言えば、これまでの熟練労働を生かして国民の公共サービスに励むこと、このことこそが彼の生きがいではないだろうかという点で、私は、人間の本来の勤労精神
同じ勤勉に働いた場合でも、例えば産業革命前後の西欧の労働者の場合には、あれはプロテスタンティズムのモラルが労働を通して神を賛美するという論理を持っていたために、倫理を持っていたためにあのような勤労精神が生まれたということで、その勤労精神が宗教的なあるいは倫理的な良心を裏づけるという極めて人間的な評価をなされた。
しかし、幸いにして御存じのように日本人の勤労精神といいますか、あるいは働くことに生きがいを持つという国民性、そういうものを考えたとき、まだまだ六十歳ではというようなお考えをお持ちの方はたくさんいらっしゃると思います。そういう方のためには六十五歳まで働いてもらう。極端なことを申しますと、在職年金なんて考えなくてもいいのではないか。
最後になりますが、ここで特に私はお願いしておきたいと思いますことは、沖繩の県民の伝統的な特質というものは、沖繩県民は非常に勤労精神に富んでいるというのが沖繩県民の伝統でありました。それがために、沖繩の県民で海外に進出した人はほとんど成功しております。
勤労精神が出てきませんでしょう。
最近非常に公正な自由競争の中で、いわゆる福祉とかまた社会保障の問題で、平等論も加味した非常に近代的ないまの政治の仕組みになっておるように私は思いますけれども、ややもすれば過保護によってせっかくの勤労精神をゆがめてしまうような、ときには堕落するような法の運用があるように私は実は思っておるし、まことに、これは残念なことでございます。
そのことは完全な不労所得であるわけでございますから、そういうことがやまないでずっと続くということになりますと、わが日本民族の持つ今日の基盤を築きました大きな勤勉性、同時に物を大きにしていく、そういう形の中に営々と築き上げました日本民族の勤労精神という根幹にもかかわる重要な問題がここに残されてくると思うのであります。
その意味においては、ソ連において一ぺん学校に入れておいてまた労働につかせて、そしてまた学校で学ばせるとか、あるいは中国の場合におきましても、勤労精神というものが人間形成に非常に大事である、こういうことは何もソ連、中共のまねをするばかりじゃなくて、われわれのきめました教育基本法にそういう精神がうたわれておるわけでございます。
ただ額に汗して、勤労精神だけでもってやっていくということでは限界があるわけですから、この点は、科学技術庁としては、相当責任が重大だと思うのです。