1947-08-07 第1回国会 衆議院 文教委員会 第5号
そこでそういうような仕事は勤労學徒援護會というような勤労學徒のための厚生施設をやる協會でありまして、一面これは勤労學徒の仕事にもなる。同時に、そこからかりに餘剰が出ました場合には、援護會の事業費として學徒の厚生のために適正に使われるであろうということを考えたわけであります。
そこでそういうような仕事は勤労學徒援護會というような勤労學徒のための厚生施設をやる協會でありまして、一面これは勤労學徒の仕事にもなる。同時に、そこからかりに餘剰が出ました場合には、援護會の事業費として學徒の厚生のために適正に使われるであろうということを考えたわけであります。
またちようどそのときに文部省の外郭團體であります勤労學徒援護會の方からも、もしさような仕事をするならば、ぜひ協力したいという申出がありましたので、文部省としましては、この故紙囘収の仕事に協力するということで、昨年の八月に第二囘目の囘収事業に著手したのであります。この仕事は、どこまでも勤労學徒援護會が主となつて、囘収の仕事に當つたのでございます。
○近藤政府委員 ただいまお話の點は、勤労學徒援護會がこの仕事を請け負いまして、實際の實務擔當は、御指摘の圖書囘収協會をして當らせたのでございますが、その圖書囘収協會から出ました収支決算報告書、それをわれわれの方で檢討いたしまして、報告したのでございますが、その中にただいま御指摘の交際費として三萬圓なにがし、交通費として十一萬圓、そういうふうに載つておりますが、交際費と申しますのは、委員會の經費でありまして