1983-09-20 第100回国会 衆議院 本会議 第6号
また、十八年の秋、本省に帰られた君は、昭和二十年、戦局の悪化のため、農林省が中国東北の各地に送り込んだ勤労奉仕隊の青少年を内地に呼び戻そうと努力し、現地に飛んで、やっと八月二十五日、全員帰還の段取りを手配されました。ところが、八月八日、ソ連の対日一方的宣戦布告、次いで中国東北地方への侵略が始まり、君の計画は画餅に帰しました。君は、後々まで「実に無念だ」とこのことを語るのでした。
また、十八年の秋、本省に帰られた君は、昭和二十年、戦局の悪化のため、農林省が中国東北の各地に送り込んだ勤労奉仕隊の青少年を内地に呼び戻そうと努力し、現地に飛んで、やっと八月二十五日、全員帰還の段取りを手配されました。ところが、八月八日、ソ連の対日一方的宣戦布告、次いで中国東北地方への侵略が始まり、君の計画は画餅に帰しました。君は、後々まで「実に無念だ」とこのことを語るのでした。
いわゆる旧令に係る旧陸軍共済組合員に属する者が、これは大蔵省所管でありますし、また厚生省所管では動員学徒、女子挺身隊、勤労奉仕隊、人夫、そういった方々が厚生省所管で、その援護の処遇の対象になっているわけであります。厚生省所管はこの中で全国千五百六名、広島県で千三百六名いるわけでありますが、この一元化ができないかどうかということ。
たとえば団体旅行の募集であるとか、さらにはことしの夏でございますか名古屋の駅で、私も行ってまいりましたけれども、勤労奉仕隊というのが出てくるわけなんです。そうしてその勤労奉仕隊の人が、徹夜明けにもかかわらず四時間も五時間も勤務をする、こういうようなことが行なわれておるわけなんです。だから労働基準局としても、ああいうことをやってもらっては職場の秩序を乱す。
第四五九号) 同(毛利松平君紹介)(第四六〇号) 同(小坂善太郎君紹介)(第五〇九号) 同(田中榮一君紹介)(第五一〇号) 同(谷垣專一君紹介)(第五一一号) 同(山本幸一君紹介)(第五一二号) 同(菅太郎君紹介)(第五七六号) 同(藤山愛一郎君紹介)(第五七七号) 旧満州開拓団犠牲者遺族に対する特別弔慰金制 度の確立に関する請願(向山一人君紹介)(第四 六一号) 旧満州建設勤労奉仕隊犠牲者遺族
処理及び清掃に関する法律案要綱 (案)に関する請願(第二六九号)(第三七一 号) ○国民健康保険改善に関する請願(第三一五号) (第三三四号)(第四〇九号) ○国民健康保険保健婦に対する国庫補助基本額引 上げに関する請願(第三一六号)(第三三五 号)(第四一〇号) ○旧満州開拓団犠牲者遺族に対する特別弔慰金制 度確立に関する請願(第三一八号)(第三三七 号)(第四一二号) ○旧満州建設勤労奉仕隊犠牲者遺族
(正木良明君紹介)(第七二四号) 同(松尾信人君紹介)(第七二五号) 同(松尾正吉君紹介)(第七二六号) 同(松本忠助君紹介)(第七二七号) 同(丸山勇君紹介)(第七二八号) 同(宮井泰良君紹介)(第七二九号) 同(矢野絢也君紹介)(第七三〇号) 同(山田太郎君紹介)(第七三一号) 同(和田一郎君紹介)(第七三二号) 同(渡部通子君紹介)(第七三三号) 同月十四日 旧満州建設勤労奉仕隊犠牲者遺族
勤労奉仕隊が大ぜい皇居へ参って天皇のおそばで作業についておるわけでございますが、そうした人々に対する心づかいというようなものも何か考えておるのかどうか。そういうようなきちっとしたものは別になくて、大ざっぱにやっておられるわけですか。
それから後段御質問の、勤労奉仕隊等の経費を救助費でみる考えがあるかどうかということでございますが、救助法の立場では、必要がありますときは他府県の、あるいは県内の各種団体あるいは個人等に、まず従事命令を発するという場合もあります。それから応援を要請するという場合もあります。さらに協力命令を発するという場合もあります。
それは災害救助法の費用の対象になる、そういうものに対して見ていく、というふうに御答弁になったのですが、私たちも非常に心配を実はしておったわけですけれども、私も当然そういうふうにしていただかなければならぬものだとして、そういう取り扱いをされるという点は非常にいいことですが、しかしそれとともに、そういうわかっておる消防団等はいいと思うけれども、あそこでは相当民間人が勤労奉仕隊という形で協力しておるわけです
皇居の中に勤労奉仕団といいますか、勤労奉仕隊といいますか、そういう人たちの内泊をされる宿泊所のようなものがございますか。
しかもそれがフルに活動してなおかつ足りませんから、自衛隊の諸君もお願いをし、あるいはまた学生の諸君も連日数千名も出動し、さらに勤労奉仕隊が出て全力をあげてやっておるのでありますが、それに要する費用は莫大なものであります。たとえば、名古屋市を例に引きますと、名古屋市は黒字財政で、道路に、住宅に、あらゆる点に誇りを持っておったのでありますが、一瞬にして赤字財政であります。
よし政府の方がそこまで腹をきめるならばわれわれも一つ応援しようというので、どっと勤労奉仕隊やら学生が大挙集まってきて、総がかりになってやっているじゃありませんか。そのときに自衛隊も初めて本気になった。政府の腹がわかった、非常に真剣なものだということが初めてわかった。そうしたらどうです、うまくぐっと作業が進行して、七隻の船を沈めなくてもよくなったじゃありませんか。これが政治なんです。
残った方々の中で、各地方の機関、軍なりあるいは民間の工場等にいわゆる勤労奉仕隊のような形で応援に出かけたわけでございます。残った中の大多数の者は、南満の軍事工場地帯の工場に、日本の学徒が学徒報国隊を作って協力したと同じように、そこに行って働いたわけであります。一部の者は軍の中にすっかり配置されまして、軍の軍属に採用されて仕事をした者もございます。
ただ、先ほどから酒石酸の原料採取やらいろいろな話がございましたが、そのほかにも、いわゆる勤労奉仕隊として南満の特に飛行機工場その他に勤労奉仕に出ておられた方々は、現在の法律によっては見られない、こういう関係になっておるのでございますが、そのほかに、戦闘に直接関係いたしますれば、今のように軍人軍属という身分にかかわりませず、戦闘に協力をされた方、あるいは集結地まで帰られます途中匪賊の襲撃等に対して自衛戦闘
私は、これはおこがましいかもしれませんが、戦時中に事業をやっておりましたけれども、私のところでは徴用工や勤労奉仕隊というものは一人も入れませんでした。
次男坊、三男坊が失業して困つておるから、勤労奉仕隊で、日に三百円、四百円も金をくれるならやりたい人がたくさんおります。あなたができなければ三十万や四十万は私はすぐ集めてみせます。一月で九千円です。半分使わせて半分は残しておく。今これくらいのことは、日本人はみんな困つておるからやれると思う。これは認識の相違ですから深く追究いたしませんが、しかしこれは私はたくさんの専門家の意見を聞いたのです。
私はやはり日本的の策隊をつくつた方がよかろうと思う、現に某陸軍中将がぼくのところに来て、辻政信君とも話し合つたが、勤労奉仕隊という名前で二時間ぐらい訓練さして、あと六時間、七時間勤労させる方が、青年を鍛える意味においてよろしい。ナチスの青年の鍛え方はそういうやり方でありました。
これらの干拓工事の労力は捕虜及び勤労奉仕隊によつて当時行われたものと言われています。十九年着工、二十年敗戦、二十一年以降国営に移管いたしまして、入江、小中之湖共に二十三年完成いたしまして、同年仮分譲されたものであります。入江においては百五戸の入植者と増反者があります。
これこそ曾つての農兵隊、勤労奉仕隊の復活でなくして何でしようか。又小笠原前農相は、昨年の十二月の本会議における我が党の岩開議員の質問に対し、米の備蓄はやつていないと答えておるが、本年一月、木村保安庁長官は、一朝有事に備えて米を備蓄する必要があると述べておるのみか、現に農林当局は、二十八米穀年度末には約八百万石の米穀持越高が予想されておると発表しております。