1975-06-17 第75回国会 参議院 社会労働委員会 第18号 姉は町内会組織からの勤労奉仕当番日のため、爆心地から一・一キロの国泰寺町で建物疎開作業中に被爆し、ほとんど全身やけどによる重傷を負いました。しかし、命だけは奇跡的に取りとめました。一緒に作業している五十人ぐらいのうちで助かったのは四、五人だと聞いております。小学校一年生だった私は、その日観音小学校で被爆いたしました。 室田秀子