2006-06-02 第164回国会 衆議院 厚生労働委員会 第27号
あるいは、被爆前は健康体で勤労奉仕として男性にまじっての肉体労働にも従事していたのに、体が疲れやすく体調がすぐれない、これは葛野さんという方ですけれども、こうした一人一人の状況について見ております。
あるいは、被爆前は健康体で勤労奉仕として男性にまじっての肉体労働にも従事していたのに、体が疲れやすく体調がすぐれない、これは葛野さんという方ですけれども、こうした一人一人の状況について見ております。
ドイツやアメリカもみんなそうですけれども、あご足を国が持って時間と勤労奉仕を提供する、これがあるべき姿で、しかももう一つ大きい問題は難民対策なんです。難民の問題に日本が貢献をすることによって地域紛争解決に平和的に貢献するということができます。 私がさっきから申し上げている安全保障基本法というのは、このODAだとかNGOだとか、それから難民対策含んでおります。
法律で奉仕活動を強制すると、戦争の産物である勤労奉仕と本質的に変わらなくなってしまいます。私は、ボランティア活動は、活動する私たちとサービスを受ける側、お年寄りや子供、障害者がお互いに学び合う、いわば相互学習ともいえそうな、共生的な、ともに生きる関係を持つ活動だと考えています。 強制、押しつけという外からの力が加わることで、その関係にゆがみが生じることを私は恐れます。
それからもう一つ言うと、この三法案の中で一番最初にマスコミを含めて反対論で厳しく指摘されたのは何かと言ったら、子供たちをとにかく、十日間か二十日間か知らぬけれども、嫌であろうといや応なしに外へ連れていって勤労奉仕をさせるんだと、昔の大日本帝国のような。子供たちの希望だとかなんとかを無視して、そして無理やり働かせるんだと。
ところが、国民の間に非常にこの問題に対して嫌なアレルギーを感じるのは、我々みたいなおじいさんの世代も含めて、勤労奉仕じゃないかと思っちゃうわけですね。そうじゃないんです。
私は正直言うと、新聞でも論評で批判しているのは、何か知らぬけれども十日間ぐらい生徒を全部どこかへ連れていって、ほれといってくわを持って、昔の勤労奉仕じゃないけれども、あるいはハンマーを持って何かたたくようなそんなイメージのやつが出ているんですよ。
ただ、一方では、奉仕という言葉に対しては、強制が伴うとか、私は個人的にはちょっと極端ではないかと思いますけれども、勤労奉仕のような言葉を印象させるとか、そういうようなある種抵抗のあるのもこれまた事実かもしれません。
これは十八歳になったら国民全員が、一定期間、議論の中では半年とか一年ということも出てきたらしいですけれども、仮に、半年、一年、十八歳の少年が全員でこういうことをやってもらうというのであれば、これはもう体験活動の充実ではなくて、ある意味では勤労奉仕の義務になってくるのです。
私は大変な勤労奉仕だと思っていますよ。だけれども、税務相談というのを税理士さんに無償でやらせるというそのやり方の方が私はむしろ問題であって、一番税理士さんの忙しい時期に何で無償で駆り出して税務相談をやるのか。 私は昔、税務署長をやりましたから、税理士さんの大変な御苦労を知っています。
そのときに一カ月間、ちょうどハバロフスクの対岸のソ満国境で開拓団に勤労奉仕で行ったんです。電灯は本当にしょぼくれたような電灯が二つぐらいつくだけです、暗い傘の。そこで開拓団の人と一緒に生活をした。戦争に行く前に、これはもう青木官房長官も世代が一緒だからいろいろな方とお話があったと思うんですけれども、その前に少年開拓義勇団というのがあったんです。
単に昔言葉で言うのでしたら、勤労奉仕的な行為の範囲においてのみ善意に解釈し、言い過ぎかもしれませんが、ボランティアの究極がもしも自己犠牲、死まで見詰めるのであれば、これは論議を深めておいた方がいいのではなかろうか。
昭和二十年八月十五日、東京世田谷の馬事公苑で勤労奉仕の農作業中に玉音放送を聞いた時、ただ一心に国家に尽くすことを念じていた私は、張りつめていた気持ちが抜けていくのを感じました。これから、どうしたらいいのだろう。やがてくる激動の時代に、いったい何をすべきなのか。そんな時に郷土の先輩の演説を聞き、「廃墟となった日本を救うのは、議会制民主主義である。日本の再建にはそれしか道がない。
○説明員(小林秀資君) 毒ガス障害者対策につきましては、今先生からお話がありましたように、旧陸軍共済組合の組合員であった方については大蔵省で担当し、それ以外の動員学徒、それから女子挺身隊員、それから勤労奉仕等で大久野島の毒ガス関係作業に従事した者については厚生省において救済措置を講じているところでございます。
婦人ハ率先軍二身ヲ棒ゲ 看護炊事婦ハモトヨリ 砲弾運ビ、挺身斬込隊スラ申出ルモノアリ」と述べておりまして、「看護婦二至リテハ軍移動ニ際シ衛生兵既ニ出発シ 身寄無キ重傷者ヲ助ケデ 真面目ニシテ一時ノ感情二馳セラレタルモノトハ思ハレス更ニ軍ニ於テ作戦ノ大転換アルヤ自給自足夜ノ中ニ通ニ遠隔地方ノ住民地区ヲ指定セラレ 輸保送力皆無ノ者 黙々トシテ雨中ヲ移動スルアリ 之ヲ要スルニ陸海軍沖縄二進駐以来終始一貫勤労奉仕
こういうことで、それぞれが昔ございましたいわゆる勤労奉仕の精神でいろんな世界が組んでやる。そして、アフリカの難民の方へ出した。NHKもモーニングワイドで放送してくれました。 それを今思い出しながら、自衛隊は自衛隊としての任務を果たす、海外において、一定の限度の中ではもちろんございますが。
向上心、責任感、創意工夫、思いやり、寛容・協調性、自然愛護、勤労・奉仕、公正・公平、公共心、この項目ごとに丸がついたらもう五点。七点くれてもいいというんです。何にもないときにはそれは一点だと。一体、特別活動とか行動の記録とかというものをこういうふうに点数化して、その合計点数をもって公立高等学校に入学させるかさせないかなんということをやったら、私は子供の性格に影響すると言っているんです。
(拍手) 承るところによれば、今日も続いている皇居勤労奉仕は、昭和二十年十二月、先生が郷里仙北の青年と「みくに奉仕団」を結成され、当時荒れ果てた皇居の清掃に取りかかられたのが始まりであると聞き、そのお人柄に感じ入った次第であります。(拍手) 先生は日ごろから書に親しんでおられました。揮毫を頼まれると気軽に筆をとり、座右の銘でもあった「風雪に耐えて光芒を放つ」という言葉をしたためておられました。
○高木委員 勤労青年を中心にしまして、よく高齢者の福祉施設とかあるいは障害者施設あるいは児童養護施設、こういったところに勤労奉仕に行ったりあるいはまた慰問に行ったりして、そしてみずからが今まで見なかった社会の隅々を見直して、社会連帯のために何かをしなければならないという心を取り戻した事例は少なくありません。
そういった意味では、ボランティア活動なり勤労奉仕活動、そういう体験活動なりあるいは自然生活の体験活動の推進などは有効な一つの手段じゃないかというふうに思うわけであります。 そこで、今回は自然教室推進事業についてでありますけれども、今年度百校ふやして千五百七十校とされるわけでありますけれども、今後のそういう自然教室推進事業の具体的な計画というものを教えていただきたい。
○萩原説明員 厚生省では、動員学徒とか女子挺身隊員あるいは勤労奉仕隊員、人夫等、今大蔵省の方で申されました造兵廠との間で雇用関係があった方が大蔵省の方でございますが、そういう雇用関係のない方々につきまして実施をしておりまして、毒ガス障害者に対する救済措置要綱というものを定めておりまして、健康診断を実施する、あるいは医療費につきまして社会保険で給付をされる残りの部分、すなわち自己負担の部分でございますが
僕が増務時間まともにもらっているのかと言ったら、いや、そんなこと言うておられぬですね、間に合わぬから、勤労奉仕やけどそんなこと言うておられませんということで、みんなねじり鉢巻きでやっているわけです。痛しかゆしで、予算がふえれば工事の量もふえるわけです。大臣、ところが出先のところの職員数はふえないのですよ。だから出先の職員はもう普通以上に、想像以上に頑張ってくれているわけです。
○山本正和君 昔、大日本帝国当時に勤労奉仕をさせられても若干の報酬は出たんです。仮に山なら山へ行っていろんなことをした、生産物を少しでも取った、そういうふうなことも含めて、たとえわずかでも働いて報酬が得られるというふうな経験というのは、これは子供にとっても非常に大きな経験になると思うんです。