2007-05-18 第166回国会 衆議院 総務委員会 第21号
武田信玄だとか山本勘助だとか、皆さん、地下鉄やJRの電車の中で、あるいは駅で、よくごらんになると思うんです。これは今、僕は数えたわけじゃありませんけれども、恐らく何千万、何億という広告経費をかけてやっているんだと思います。 その交通の間の利便性は、道路と鉄道を比較しても実はこれだけの差があるということでございます。
武田信玄だとか山本勘助だとか、皆さん、地下鉄やJRの電車の中で、あるいは駅で、よくごらんになると思うんです。これは今、僕は数えたわけじゃありませんけれども、恐らく何千万、何億という広告経費をかけてやっているんだと思います。 その交通の間の利便性は、道路と鉄道を比較しても実はこれだけの差があるということでございます。
○後藤(斎)委員 大臣、来年のNHKの大河ドラマが、大臣の御先祖と一緒に武田信玄にお仕えをした山本勘助が主役になるんですね。「風林火山」というもので、山梨県内では来年のその大河ドラマに向けていろいろなイベントを実はしております。 今、大臣がお触れになっていただいたように、地域によって景気回復の格差が非常にある。
御案内のとおり、来年はNHKの大河ドラマ「風林火山」ということで、山本勘助がメーンとなって取り上げられるということもありますし、ちょうどJR東日本も、デスティネーションキャンペーンということで、あわせてやっていただけるということで、そういう面では非常にありがたいというふうにも思っております。
私は、武田信玄に山本勘助あり、太閤秀吉に竹中半兵衛あり、小渕恵三に野中広務あり、こう評価していますから、どうぞひとつ、内閣に所属をしておられる野中広務というお方が個人の思いをいろいろ持っていらっしゃることは、私も痛いほど感じております。その意味で、あなたの御提案は、この場で、委員会としてそういう審議をするということに対し私はこの場でお断りをいたしておきたいと思います。
それから、この間、これも余計なことでございますが、僕の非常に愛読している中勘助さんという小説家ですが、その人の実話だと思いますが、兄さんが若くして脳温血で倒れて、そして家庭内で暴力を振るうとしうふうなことで 兄嫁とその中さんとが大変二人で苦労されたということを思い出すわけでありますが、そういうふうな、老人でなくて中年でそういうことになった場合には一体どういうことになるのか。
○山田説明員 四月二十三日の午後の、浪速警察署勘助町派出所の近辺における日本共産党宣伝カーに対する事件が起きたことは事実でございます。ただ、私どもで把握いたしております事実は、勤務中の当日午後三時三十分過ぎごろ、派出所で勤務中の警察官が、その付近の交差点の手前で停止している日本共産党の宣伝カー、それに数名の部落解放同盟員と思われる方が集まりまして話し合いをしておるという事実を見たわけでございます。
そこで、時間が迫ってまいりましたので、一、二注意を喚起しますと、この勘助町の派出所に助けを求めた運転手が、これは数十人に取り囲まれて、政策論争をしよう、あの公園へ引っぱり出せというようなことを言っておりまして、ついに交番の巡査が本署のほうへ、ともかく応援に来てくれということで、パトロールカーが参りまして、それでもなかなか解放できないので、一応本署へ来てもらう、つまり本署へ保護するというかっこうをとって
それは、当日の一日前の四月二十三日に、日本共産党が演説会をやるということで、午後三時二十分ごろ宣伝カーで赤旗の講読と、この演説会が行なわれました木津中学校で国会報告演説会があるということを言っておりますときに、大国町二丁目四番地の勘助町の派出所の南側路上で、やはりる部落解放同盟の人たち約五名が乗りました自動車が立ちふさがるようにして、強制的に停止させました。
○脇山参考人 脇山勘助でございます。お手元に公述書として書類を出しておきましたが、突然の御命令でありましたので、書類が十分でないことをおわびを申し上げたいと思います。 第一ページのところに書いてありますように、会社の概要及び環境の状態だけを一応申し上げたいと思います。
本日御出席の参考人は、北陸鉄道株式会社社長柴野和喜夫君、上田丸子電鉄株式会社専務取締役古橋喜久雄君、長崎電気軌道株式会社社長脇山勘助君、長崎電気軌道労働組合執行委員長木戸力雄君、加悦鉄道労働組合書記長中島邦雄君、北陸鉄道労働組合書記長平田宏君、以上六名の方々であります。 なお、御意見の開陳時間はお一人十五分程度にお願いをいたします。
組合書記長) 中島 邦雄君 参 考 人 (北陸鉄道労働 組合書記長) 平田 宏君 参 考 人 (上田丸子電鉄 株式会社専務取 締役) 古橋喜久雄君 参 考 人 (長崎電気軌道 株式会社社長) 脇山 勘助君
それから日がたちまして、秋山高三郎さんと菅野勘助さんの連名で再審の訴えが出されましたが、それは戦争中、昭和十九年に棄却になりました。 大体そういうふうな戦前の経過でありまして、戦後は、昭和二十七年の六月ごろでしたか、東京日日新聞に、吉田石松老人が現在栃木県の下河原田に生きているということがわかりました。
第三回は、これは出獄後、昭和十二年中に菅野勘助弁護人によって行なわれた再審手続でありますが、このときには共犯であった北河と海田両名の偽証自白並びにそれに関するわび状というものを新しい証拠として再審の手続をしたのでございますが、これはいわゆる大正十一年五月五日に施行されました法律第七十五号の刑事訴訟法、これは旧法と略称いたしますが、その法によって手続をやったものでございます。
委員長 高橋進太郎君 理事 塩見 俊二君 田中 茂穂君 阿部 竹松君 光村 勘助君 北條 雋八君 加賀山之雄君 委員 天埜 良吉君 石谷 憲男君 鹿島 俊雄君 北畠
国際自動車従業員組合中央委員長今村勘助君。警視庁より警邏交通部交通第一課長鈴木実君であります。 参考人各位に一言申し上げます。本日はまことに御多用中にもかかわらず御出席くださいましてありがとうございます。
○参考人(常木勘助君) 只今御紹介を得ました浦和市の助役の常木であります。 実は昨日調査員の法貴さんが浦和市にお見えになりまして、浦和市は健康保險のことをやつておるそうだが、それについて今日委員会があるが来て一応状況を話したらどうかというのでありまして伺つた次第であります。浦和市は昨年の六月から健康保險のことを始めましたので、まだ日が極く浅いのであります。
林屋亀次郎君 島村 軍次君 鈴木 直人君 濱田 寅藏君 国務大臣 厚 生 大 臣 林 讓治君 政府委員 地方自治政務次 官 小野 哲君 地方自治庁次長 荻田 保君 参考人 厚生事務官 (保險局長) 安田 巖君 参考人 埼玉県浦和市助 役 常木 勘助君