2009-02-18 第171回国会 参議院 国民生活・経済に関する調査会 第3号
それからあとは、効率、競争ということとも関連してきますけれども、選択の自由が保障され、ただし責任は自分で取っていくという、そういう基本的な考え方が強調されて育ってきているということがありますので、何か、自分たちで政治に働きかけて変えていくとか、そういう横につながって何かをするということができない、やる意欲もないしやる方法も知らないというような感じで、どうしても個人で問題を解決しようとして、なかなかそれが
それからあとは、効率、競争ということとも関連してきますけれども、選択の自由が保障され、ただし責任は自分で取っていくという、そういう基本的な考え方が強調されて育ってきているということがありますので、何か、自分たちで政治に働きかけて変えていくとか、そういう横につながって何かをするということができない、やる意欲もないしやる方法も知らないというような感じで、どうしても個人で問題を解決しようとして、なかなかそれが
市場のグローバル化に伴って、日本の仕組み、その中に市場と効率、競争と効率というパラダイムというか原則を打ち立てて、そこで進む、これはこれで一つの大きな役割であったと私は思います。時代の要請であったと思います。加えて、まさに戦後六十年積み重ねてきた財政上の問題もあるでしょう。小泉政治は、官から民、改革なくして成長なし、こういう言葉の中でそこに見えたのは、競争と効率であったと思うのであります。
○菅(直)委員 冒頭に申し上げましたように、小泉総理は、官から民へ、効率、競争と。確かに、そういうことが重要なところもあります。しかし、特にこういう交通機関の場合には、果たしてそういう考え方で通るのか、あるいは社会全体がそれで通るのか。 私も、飛行機で飛んでいって、車で三十分で行って、十五分しゃべって飛んで帰るような行動を、特に代表時代は忙しかったですから、やっておりました。
○辻泰弘君 同じく、八月二十八日の大臣が出された経済財政諮問会議の資料の中に、従来路線のことでもあるんですけれども、「エネルギー市場における競争環境の整備」という項目がございまして、今の電力産業の施策については、競争また効率という論理での政策がなされているわけでございますけれども、やはり大臣が先ほどもおっしゃったように、エネルギーの資源がない日本でございますので、単純に効率、競争の論理で貫徹する中に
戦後の日本社会を支えてきた経済効率、競争原理に決然と別れを告げる勇気、新しい価値基準とそれに基づく新たな社会システムを構築する情熱と責任感、それらが今私たちに最も求められているものではないでしょうか。 本調査会におきまして、さまざまな分野を代表する参考人の方々から貴重な御意見を伺うことを初め、有意義な機会を数多く提供していただきましたことに感謝をいたしまして、私の意見表明を終わります。
また、(7)の流通構造、商慣行でございますが、我が国の流通機構につきましては一律に非効率、競争制限的であるという根拠はございません。しかしながら、多数の小規模小売店によるきめ細かなサービスであるとかあるいは建て値制、標準小売価格制等がその状況いかんによっては価格を高める要因になることも否めないというような整理がされております。
すなわち、人間の社会においては、効率、競争という経済原則と相反する連帯、利他の原則に頼らざるを得ない部分があります。それが福祉の思想であり、社会保障の制度であります。この調整をどうするか、ここに政治の役割が課せられているのであります。
三十年代が技術、生産規模の水準引き上げのために設備資金を供給することが中心の仕事であった時代といたしますならば、四十年代は、開放体制下の効率競争に勝つために設備あるいは流通を合理化する資金や、さらにまた社会開発のための資金を必要とする時代であります。そこで、長期金融機関は、本来の長期信用、少なくとも十年以上の資金を、低利に安定的に供給する体制を整えるべきであると存じます。