2008-02-27 第169回国会 参議院 少子高齢化・共生社会に関する調査会 第3号
アイシン精機さんのように、日本人、外国人の労働条件は一緒というような考え方とはちょっとやっぱり考え方に、日本独特の企業の、何というんでしょうか、企業中心、経営中心、効率中心というふうな思惑を感じてしまうんですが、ちょっとその辺お聞かせいただけたらと思うんですが。
アイシン精機さんのように、日本人、外国人の労働条件は一緒というような考え方とはちょっとやっぱり考え方に、日本独特の企業の、何というんでしょうか、企業中心、経営中心、効率中心というふうな思惑を感じてしまうんですが、ちょっとその辺お聞かせいただけたらと思うんですが。
広く浅く学ぶ効率中心の教育から深く学ぶ質の高い教育へと転換しています。 この学級規模縮小による教育改革は、経済のグローバリゼーションとポスト産業主義社会への移行という新しい時代への対応であります。我が国も、教育内容の知的文化的水準を高め、複合的で総合的な知的能力を発達させる改革から立ちおくれてはなりません。
広く浅く学ぶ効率中心の教育から深く学ぶ質の高い教育へと転換をしております。 この学級規模縮小による教育改革は、経済のグローバリゼーションとポスト産業主義社会への移行という新しい時代への対応であります。我が国も、教育内容の知的文化的水準を高め、複合的で総合的な知的能力を発達させる改革から立ちおくれてはなりません。
先ほど指摘をしましたように、総裁の一昨日の発言の中にもありましたように、経済効率中心の構造というものが目指されてきた従来からのあり方を考えてみますと、今むしろ私たちは、高齢化少子化社会における、あるいは障害者を初めとする弱者を対象にして、市街地にいたしましても住宅にいたしましても、これからどう創出をしていくかということが大変重要であります。
日本の文化というのが非常に使い捨て文化でありまして、効率中心でありまして、子供を産んで育てることを通じて私はその問題に非常に気づかされました。何というんでしょう、効率の悪いことといいますか、子供の世界というものが私たちに文化的に教えてくれるものが大変多いものですから、そういう意味で男性も女性ももっと子育てを味わってほしいというふうに考えております。
これは経済効率中心主義に走った段階で乱伐に乱伐を続けてきたわけです。ですから、現在、切るような立木がない。一つの森林というのは、六十年から八十年という非常に長いスパンになるわけです。そうしますと、立木がなければ収入が入らない。今、国有林だけでなく民有林も含めてそうですが、林業という業ではもう成立しないというのが今の日本の山の実態なんです。
二十一世紀社会は今までの効率中心から、むしろ効率と効果といいますか、持続型といいますか、要するに本当の意味での心の豊かさ、経済だけに偏重しないあり方が求められていると思います。
市民社会の競争、効率中心の今までのシステムから人権、生活中心のシステムヘ組みかえていく、人の意識を組みかえていくいわば枠組みというのは一体何かということを私は常々考えるわけです。 私がスウェーデンに参りましたときに非常に心打たれた二つのシステムがあります。
大宮公述人はジャーナリストとしていわゆる子供のいじめ問題にも深くかかわって執筆をされているというふうにお聞きをしているわけですけれども、戦後日本が経済効率中心の経済発展を遂げていく中で、いわゆる効率主義を迫い求めていく中で教育の現場までもゆがめられてきたという基本的な流れがあると思うんです。 そういう中で、この行財政改革に絡んで教育の現場も直していくべき問題が多々あると思います。
○渡辺四郎君 画本の政治全般もいろいろ議論がありまして、戦後ずっと続けてまいりました経済効率中心主義をやはり見直して、本当に国民そのものが恵まれた環境の中で生活ができるような政治にひとつ転換をしていこうじゃないかというのが、今、日本の政治が求めておる方向であるわけです。
今日までの日本の政治は、その原点を見失い、旧態依然とした経済効率中心の政策です。総理、その特徴的な一つが国有林野事業に対する政府の対応であります。顧みれば、経済効率一辺倒だった一九五〇年代の国有林は乱伐に乱伐を続け、その結果、山は荒れ、全国各地に山崩れによる災害が発生したことはお互いに記憶に残っているところです。
自民党の政治は産業優先、経済効率中心の政策に貫かれ、人間はその歯車とみなされているにすぎません。最近の東欧諸国の動きを見るまでもなく、市場と効率という経済原則は社会の繁栄に不可欠の要素でありますが、同時に、我が国がここ二、三十年の間で経験し得たことば、自由経済の原則だけでは個人の幸福は常に後回しにされることであります。
しかし、今回の改正内容に見る日本消防検定協会からの政府出資金の撤回、同協会以外の民間法人にも検定業務をやらせるという競争原理の導入、そして両協会の資金計画等に対する自治大臣の認可承認の廃止等は、協会の業務の中に必然的に採算性を持ち込むということにもなりましょうし、経済効率中心の運営がこれから主導的になっていくことは目に見えております。
もう一つ大筋においてやはりはっきりと認めなければならないなと思いますことは、古いタイプの産業中心主義、経済効率中心主義というようなことで動かされてきた町並みの風景、それも限界にきたということが、それも目に見えていると言ってもよろしいと思いますけれども、これもどういうことかといいますと、昔は、農耕型社会のときには素朴な生産性とか経済効率中心でよかったんだと私たちは考えるわけです。
そこで、そういう歴史の中で今、経費をなるべく安く上げるという効率中心の面から学校給食を考える傾向が非常に強くなってきた。
にもかかわらず、四つの島を中心にして見て、自給などということはやはり無理ですけれども、可能な限り自給率を上げて資源を有効利用した上で、それを基盤として外交的に資源を確保するという考え方というのは、いままでの経済効率中心主義から見ますと、何といいますか、かなり国民的な合意の形成を変えなくちゃならない。その中に石炭が一つあるというふうに考えないと、非常にむずかしいんじゃないか。
○横路委員 大川公述人、いまの問題なんですが、先ほどの、経済効率を重点に考えなきゃいけないというお話を承っておりまして、私も、先ほど大川さんがこういう反論が予想されるとおっしゃいましたけれども、確かに、毎日毎日生活している人間の姿というものがそういう経済効率中心に処理をされた場合に、どうもコンピューターに数字を入れて出てくるときには、そういう生きた人間の姿というのがなくなってしまうのじゃないかなという
これは昨年の予算委員会の分科会でも、福田大蔵大臣との間の論議で、その取り扱いについては十分慎重な配慮が必要である、こういうふうに申し上げているわけでありますが、その背景といたしまして、特に都市銀行の場合には、現在店舗の問題を含めて経済効率中心主義、経済合理性追求に非常に加速度がかかっております。