1996-11-12 第138回国会 参議院 労働委員会 第1号
その他の課題として、労働時間の短縮、女性労働、障害者雇用の問題が挙げられました。 本県における平成七年の総実労働時間は千九百七十六時間であり、全国平均に比べ年間で約七十時間も多くなっております。そのため、労使の団体と行政機関から成る「ゆとり創造等推進協議会」を設置し、時短推進のための事業を公労使一体となって取り組んでおります。
その他の課題として、労働時間の短縮、女性労働、障害者雇用の問題が挙げられました。 本県における平成七年の総実労働時間は千九百七十六時間であり、全国平均に比べ年間で約七十時間も多くなっております。そのため、労使の団体と行政機関から成る「ゆとり創造等推進協議会」を設置し、時短推進のための事業を公労使一体となって取り組んでおります。
労働問題は、経済社会が急速に変化する中で、勤労者の真に豊かでゆとりのある社会の実現が課題となっている今、雇用の安定、高齢者対策、労働時間の短縮、勤労者福祉の充実、労働者の安全衛生、女性と労働、障害者と労働、また外国人労働者問題等複雑かつ多様化してまいりました。
労働委員会は、勤労者のゆとりのある豊かな社会の実現が課題となっている中で、労働者の雇用の安定、安全衛生、労働時間の短縮、女性と労働、障害者と労働、また外国人労働者問題等極めて複雑多様化してまいりました。 委員長といたしましては、委員各位の御支援、御鞭撻を賜りまして、円滑、公正な運営に努め、労働関係施策の進展のために努力してまいりたいと思います。 何とぞよろしくお願いをいたします。
労働時間の問題、また女性と労働、障害者と労働、または外国人労働者の問題等々、極めて複雑多様化すると存じます。 私も、理事、委員の諸先生の協力をいただきながら、生活大国づくりの原点でございます労働行政の進展のために努力してまいりたいと思います。 よろしくお願い申し上げまして、一言ごあいさつといたします。 ありがとうございました。(拍手) —————————————
炭鉱の閉山後、産炭地域に残された者は、その多くが老齢者、病弱者、労働障害者、災害未亡人と子供たちで、ほとんどが貧困家庭であり、朽ちてゆく炭鉱住宅で長年にわたる生活保護に依存しながら、将来に何の希望もなくかろうじて暮らしており、また、出かせぎ、家出、別居、離婚等による欠損家庭や共かせぎ家庭もきわめて多い実情であります。
炭鉱の閉山後、産炭地域に残された者は、その多くが老齢者、病弱者、労働障害者、災害未亡人と子供たちで、ほとんどが貧困家庭であり、朽ちてゆく炭鉱住宅で長年にわたる生活保護に依存しながら、将来に何の希望もなくかろうじて暮らしており、また、出かせぎ、家出、別居、離婚等による欠損家庭や共かせぎ家庭もきわめて多い実情であります。
すなわち、産炭地域に残された者は、その多くが老齢者、病弱者、労働障害者、災害未亡人と子供たちで、ほとんどが貧困家庭であり、閉山の朽ちてゆく炭鉱住宅で長年にわたる生活保護に依存しながら、将来に何の希望もなくかろうじて暮らしており、また、出かせぎ、家出、別居、離婚等による欠損家庭や共かせぎ家庭もきわめて多い実情であります。
そのため、若年労働者、技術者等の地域外流出が署しかった反面、老齢者、病弱者、労働障害者、災害未亡人等の数多くの離職者が雇用機会がないまま産炭地域に滞留し、鉱害その他の産炭地域特有の事情と相まって極端な経済的貧困と社会不安による産炭地域の荒廃がいわれてすでに久しいのであります。しかも、この事態は解決されないばかりでなく、ますます、長期化、固定化して深刻の度を深めている現状であります。
御承知のとおり、石炭産業の不況によりまして炭鉱の休閉山が相次ぎ、多くの炭鉱離職者が発生いたしまして、若い者、技術のある者は他地域に転職をいたしましたのに対しまして、老齢者、病弱者、労働障害者、災害未亡人等が仕事がないまま産炭地域に残り、極端な貧困のもとに生活保護にたより、やっと生活している事態が発生いたしましてよりすでに久しいわけでありますが、国の産炭地振興策等の措置にかかわらず、多くの地域で事態はますます
従来から石炭企業の合理化対策、離職者対策、産炭地域振興対策等が行なわれてまいりましたが、離職者の生活環境、年齢構成、技能程度等の諸条件から、他産業への再就職にはおのずからきびしい限界と険路があり、また炭炭地域に新しい産業を導入し、多角的産業地帯を早急に造成することも立地条件その他により容易なことではなく、このため、若年労働者、技術者等の地域外流出が著しい反面、数多くの離職者すなわち老齢者、病弱者、労働障害者
こうして産炭地からは若年労働者や技術者が他の地方に転出し、残されたものは老齢者、病人、あるいは婦人、労働障害者、炭鉱の災害によって夫を失った未亡人等々、あるいは子供たちだけ、こういった状況にあるわけでございます。明治初年この方、日本の産業発展の動脈となり、活力と夢にあふれていたこの炭鉱地帯が、炭鉱が閉ざされるとともに全く火の消えたようになってしまっておるわけでございます。