1999-06-10 第145回国会 衆議院 内閣委員会 第6号
日本の女性労働運動史上、名を残したとも思われますこの女子三十歳定年闘争、これは、民法の公序良俗、ここに違反すると言い、実質勝利となりました。企業側は即刻女子三十歳定年制は廃止いたしましたけれども、しかし、翌年からの女性社員の採用はほとんど嘱託となってまいりました。
日本の女性労働運動史上、名を残したとも思われますこの女子三十歳定年闘争、これは、民法の公序良俗、ここに違反すると言い、実質勝利となりました。企業側は即刻女子三十歳定年制は廃止いたしましたけれども、しかし、翌年からの女性社員の採用はほとんど嘱託となってまいりました。
そして、ずっとサービス産業に及んで完全週休二日が実施をするのが世界史的な、労働運動史上の世界史的な流れなんです。日本はだめなんですね。なかなか、何ぼやっても進まない。そして今、今度はいよいよ金融機関がやって、今度は官庁が公務員の週休二日を、実施を先行させる、こういう事態なのであります。異常性が存在しているのであります。
長年の関係労働界の悲願であったわけでございまして、官民の主要組合が結集した一大勢力を持つナショナルセンターの誕生ということでございまして、我が国労働運動史上におきましてもこれは画期的な出来事であると思っております。
特に本年度は余剰人員九万三千人、旅客が三万二千人、希望退職二万人、旧国鉄に四万一千人、昨年度の退職を含みますと、実にまあ十二万人ぐらいの問題でありまして、これは私が体験いたしました下山総裁の七万五千人に比較いたしましても、また世界の労働運動史上におきましても、日本の炭鉱離職者の問題に比べましても、もう前例のないものであります。
そこで、三十四年ごろ補償問題が片づきましてから、行政が、これは終わったのだというような態度をとりまして、しばらく問題が表に出なかったのですが、三十七年に日本の労働運動史上特筆すべき水俣のチッソ工場の安定賃金闘争というのが起きております。これに対して熊本地検は、池田検事正を争議の責任者としてこれに対応しておるのです。ところがちょうどそのころ、昭和三十八年に熊大の研究班が有機水銀を検出しておるのです。
この種の年次休暇の争いが戦後の労働運動史上実はたいへんな要素になっておったことは、これは大臣もお聞きになっていると思うのです。これはそのことによっていかに労働者の権益が狭められ、運動が停滞をし、そして抑圧されてきたかということは御案内のとおりなんです。 しかし具体的にこの賃金カットなりの措置を受けてきたところの労働者に対して、一体あなたはどうするのですか。
これは世界の労働運動史上まれな大事件でありました。八月の十七日に仮処分執行命令の期限が切れました。ホッパーを中心に総評系、炭労系の何千という人々が坐りこんで命令実施の阻止を致しました。」こういうふうにいっている。「私は辞表を懐ろにして当時の柏村警察庁長官に会い一万二千人の警官を動員しよう、血を流してもやむを得ない、」こういっておるのです。
日教組が今日あるのも、草創期における先生のなみなみならぬ苦心と努力によるところが大なのでありまして、その功績は、労働運動史上特筆さるべきものと信ずるのであります。(拍手) 平和にして、病気と生活不安のない社会の実現、これは先生が幼少時代、教師時代における体験を通じて得た確固たる信念であります。
この労働争議を受けまして三十日には私鉄並びに公労協全体がストライキに突入いたしますので、おそらくきょう足どめを受けておる国民の倍近い人々の足がとまるのではないだろうか、これは日本の戦後労働運動史上きわめて類例を見ない大きな争議に発展をしようとしております。この段階において、本日の一時に、労働大臣も官房長官も御存じだと思いますが、私鉄に対して約一〇%、三千円の調停案が中労委から示されております。
しかしながら、労組といたしましても、法を犯してまでやらなければならないというような、そういう労働運動史上に一大汚点を残すような行き方というものは、私は断然これは排撃しなければならないと思いますが、こういう点について、ほんとうに当局者は真心あふれる施策を考えていたであろうか、なかろうか。これは先ほど聞きますと、九月からそのような問題が起きている。
さらにまた今回の、日本の労働運動史上でも空前と言うべき、きわめて過酷な三十六名という大量の解雇を含む三千三百八十四名という懲戒処分を断行いたしておるわけであります。 こういうようなものが、ずっと今までの委員の質問から整理すれば申し上げることができるこの事件の背景だと思うのであります。
とにかく幾たびも繰り返すように、法律を無視するということを表看板に正面切って打ち出したということは、わが国の労働運動史上においてすこぶる重大なることだと思います。そういう春季闘争に対しまして、大臣の御健闘と御指導よろしきを得られんことを切に希望いたしまして、私の質問を終わります。
○国務大臣(岸信介君) 令回の三井三池炭鉱における争議の実情が、暴力を伴い、多数の負傷者や死者まで出すような事態になったことは、まことに私は、日本の労働運動史上においてかって見ない遺憾なことであると思います。いかなる意味におきましても、暴力を用いるということは、これは民主政治の敵である、これを断固として排撃しなければ真の民主政治はできないと、私はかねて強く考えておる次第であります。
そしてこれはわが国の労働運動史上におけるところの非常に空前の大惨事である、こういうふうに言われております。私も全く同感でありまして、わが国の労働運動の発展途上において、こういった大惨事が起こったということにつきましては非常に遺憾に存じております。
また、幣原内閣に厚生大臣として入閣し、多年懸案であった労働組合法の制定に力をいたし、わが国労働運動史上輝かしい一ページを加えられたのであります。
やたらに闘争に重ねるに闘争をもってし、ついに国鉄労組のごとき去る三月二十三日には業績手当の支給が手続きの関係上わずか数時間遅延したことを理由に突如実力行使に入り、わが国の労働運動史上にも異例の抜き打ちストを決行し、国民生活に甚大な不安と損害を与えたのみならず、これに対する国民の憤激、批判に対し、何ら反省の色のないことはまことに遺憾千万であります。
そうしてこれによって起ったあの紛争事件でありますが、新聞なんかによりましても、世界の交通労働運動史上にもいまだかつて例のなかったような実力行使の発動のしぶりである、こういうような論評までが昨日の新聞では出ております。
おそらく労働運動史上に、私ども東証の場合が、その最初じやないかと思うのです。私たちの組合は家宅捜索を受けまして、あらゆる書類、九十種類に及ぶものがすべて持つて行かれまして、その結果、ぼくたちは調印しても、まだその具体的内容もきまつておりませんし、それをきめるための組合運動についても、非常に困つておるのです。 その例を申し上げますならば、団体交渉の記録を持つて行つたということであります。
或いは電産でありますとか、或いは炭労でありますとか、或いは官公労、これは一つの統一的な組合でございませんけれども、今日の情勢で見ればやはり一つの大きな組合連合と見ていいのではなかろうかと存じますが、そのような非常に多数の組合員を擁し、従つて発言権の多い組合がこれを主張して行くのが最も有効であり、常にどこの国においても労働運動史上とられて来ておる方法なのであります。
また、わが国の労働運動史上、見のがすことができない動きであります。