1998-06-04 第142回国会 参議院 国土・環境委員会 第17号
ここには、申し上げるまでもありませんが、戦前戦後を通じまして文人墨客がたくさん集まりまして、また、私どもの大先輩である加瀬完参議院議員はここで生涯を閉じられておるわけであります。 そういうことでありまして、加瀬先生の歌の中にもたくさんございます。そういう非常にすばらしいところであったわけでありますが、それが昭和五十年前後からと言われておりますけれども、大変汚染が激しくなってきている。
ここには、申し上げるまでもありませんが、戦前戦後を通じまして文人墨客がたくさん集まりまして、また、私どもの大先輩である加瀬完参議院議員はここで生涯を閉じられておるわけであります。 そういうことでありまして、加瀬先生の歌の中にもたくさんございます。そういう非常にすばらしいところであったわけでありますが、それが昭和五十年前後からと言われておりますけれども、大変汚染が激しくなってきている。
議 事 部 長 堀川 久士君 委 員 部 長 貝田 泰雄君 記 録 部 長 鈴木 威男君 警 務 部 長 島原 勉君 庶 務 部 長 宍戸 洋君 管 理 部 長 藤田 教稔君 渉 外 部 長 松本 和朗君 ――――――――――――― 本日の会議に付した案件 ○元参議院副議長故加瀬完君
○事務総長(戸張正雄君) 元副議長加瀬完先生には、去る二月二十八日午後二時四十五分、脳梗塞のため、東京慈恵会医科大学附属柏病院において逝去されました。謹んで御報告いたします。 本委員会の理事会におきましては、協議の結果、お手元にお配りしてございます案文の弔詞をささげることに決定いたした次第でございます。
平成七年三月八日(水曜日) 午前十時一分開議 ━━━━━━━━━━━━━ ○議事日程 第九号 平成七年三月八日 午前十時開議 第一 市町村の合併の特例に関する法律の一部 を改正する法律案(内閣提出) ━━━━━━━━━━━━━ ○本日の会議に付した案件 一、元本院副議長加瀬完君逝去につき哀悼の件 一、裁判官訴追委員及び同予備員辞任の件 一、裁判官訴追委員及
〔総員起立〕 参議院はわが国民主政治発展のため力を尽くされさきに参議院副議長として憲政の発揚につとめ特に院議をもって永年の功労を表彰せられました元議員加瀬完君の長逝に対しつつしんで哀悼の意を表しうやうやしく弔詞をささげます —————・—————
元本院副議長加瀬完君は、去る二月二十八日逝去されました。まことに痛惜哀悼の至りにたえません。 つきましては、この際、院議をもって同君に対し弔詞をささげることといたしたいと存じますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
対馬 孝且君 高杉 廸忠君 和田 静夫君 五月十九日 辞任 補欠選任 関口 恵造君 加藤 武徳君 北 修二君 遠藤 政夫君 五月二十日 辞任 補欠選任 加藤 武徳君 関口 恵造君 五月二十四日 辞任 補欠選任 和田 静夫君 加瀬 完
顕治君 近藤 忠孝君 五月十九日 辞任 補欠選任 小谷 守君 上野 雄文君 五月二十日 辞任 補欠選任 上野 雄文君 小谷 守君 五月二十三日 辞任 補欠選任 近藤 忠孝君 宮本 顕治君 五月二十四日 辞任 補欠選任 加瀬 完
(拍手) —————・————— 〔参照〕 賛成者(白色票)氏名 六十三名 阿具根 登君 青木 薪次君 赤桐 操君 茜ケ久保重光君 穐山 篤君 上野 雄文君 小野 明君 大木 正吾君 大森 昭君 加瀬 完君 粕谷 照美君 片岡 勝治君 片山 甚市君
隆明君 山崎 竜男君 山内 一郎君 山本 富雄君 大石 武一君 ————————————— 反対者(青色票)氏名 九十八名 阿具根 登君 青木 薪次君 赤桐 操君 茜ケ久保重光君 穐山 篤君 上野 雄文君 小野 明君 大木 正吾君 大森 昭君 加瀬 完
理 事 寺田 熊雄君 臼井 莊一君 梶木 又三君 土屋 義彦君 中山 太郎君 平井 卓志君 八木 一郎君 安井 謙君 加瀬 完
理 事 小平 芳平君 臼井 莊一君 世耕 政隆君 戸塚 進也君 真鍋 賢二君 増岡 康治君 八木 一郎君 安井 謙君 加瀬 完
昭和五十七年十二月九日(木曜日) 午後零時一分開会 ───────────── 委員氏名 委員長 石本 茂君 理 事 中村 禎二君 理 事 西村 尚治君 小澤 太郎君 楠 正俊君 安井 謙君 加瀬 完
昭和五十七年八月十九日(木曜日) 午前十時二十五分開会 ————————————— 委員の異動 八月十一日 辞任 補欠選任 岩本 政光君 世耕 政隆君 大木 浩君 八木 一郎君 矢田部 理君 加瀬 完君 八月十八日 辞任 補欠選任 山中 郁子君 近藤 忠孝君
辞任 補欠選任 三浦 八水君 板垣 正君 青木 薪次君 野田 哲君 八月五日 辞任 補欠選任 田代由紀男君 竹内 潔君 熊谷 弘君 林 寛子君 中野 鉄造君 中尾 辰義君 八月九日 辞任 補欠選任 矢田部 理君 加瀬 完
昭和五十七年八月十日(火曜日) 午前十時六分開会 ————————————— 委員の異動 八月九日 辞任 補欠選任 加瀬 完君 矢田部 理君 八月十日 辞任 補欠選任 世耕 政隆君 岩本 政光君 八木 一郎君 大木 浩君 ————————————— 出席者は左
昨九日、加瀬完君が委員を辞任され、その補欠として矢田部理君が選任されました。 —————————————
五月十三日 辞任 補欠選任 小谷 守君 和田 静夫君 五月十四日 辞任 補欠選任 仲川 幸男君 安井 謙君 川原新次郎君 八木 一郎君 五月十五日 辞任 補欠選任 中西 一郎君 増岡 康治君 六月一日 辞任 補欠選任 加瀬 完
昭和五十七年七月六日(火曜日) 午前十時一分開会 ————————————— 委員の異動 五月十三日 辞任 補欠選任 片岡 勝治君 大木 正吾君 五月十四日 辞任 補欠選任 大木 正吾君 吉田 正雄君 六月一日 辞任 補欠選任 野田 哲君 加瀬 完
正邦君 森下 泰君 森山 眞弓君 八木 一郎君 安井 謙君 安田 隆明君 山崎 竜男君 山内 一郎君 山本 富雄君 ————————————— 反対者(青色票)氏名 百八名 阿具根 登君 青木 薪次君 茜ケ久保重光君 小野 明君 大森 昭君 加瀬 完
午後零時十分開会 ————————————— 委員の異動 十二月二十一日 辞任 補欠選任 江藤 智君 原 文兵衛君 十二月二十二日 辞任 補欠選任 江島 淳君 中西 一郎君 内藤 健君 金丸 三郎君 原 文兵衛君 伊江 朝雄君 竹田 四郎君 加瀬 完
昭和五十七年二月二十五日(木曜日) 午後一時三十分開会 ————————————— 委員の異動 十二月二十三日 辞任 補欠選任 福田 宏一君 安井 謙君 江島 淳君 中西 一郎君 高木 正明君 世耕 政隆君 竹田 四郎君 加瀬 完君 大森 昭君 瀬谷 英行君
去る十二月二十二日、福田宏一君、江島淳君、高木正明君、竹田四郎君及び大森昭君が委員を辞任され、その補欠として安井謙君、中西一郎君、世耕政隆君、加瀬完君及び瀬谷英行君が選任されました。 また、去る一月二十一日、藤原房雄君が委員を辞任され、その補欠として小平芳平君が選任されました。 また、去る一月二十二日、瀬谷英行君が委員を辞任され、その補欠として小谷守君が選任されました。
本日、加瀬完君及び瀬谷英行君が委員を辞任され、その補欠として竹田四郎君及び大森昭君が選任されました。 —————————————
昭和三十一年の二月二十八日の参議院の地方行政委員会でありますが、いまも現職でいらっしゃる社会党の加瀬完さん、 これは前の副議長ですが、 もう一つ、国家公務員法なり、地方公務員法が制定されましたときに、停年制なり、あるいは待命制度なりというものが特に設けられなかった理由というのはどういうことであったのですか、これは委員会における質疑、あるいは法案制定の過程におけるこの問題についての見解でも、資料がありましたら