1948-06-02 第2回国会 衆議院 文化委員会 第8号
その内容をうかがいますと、わが國柄にふさわしく、平和勳章、文化勳章、功勞章、善行章、あるいは國家的記章などを設けまして新機軸を出さんと努めているようでありますが、この榮典制度の改革ということも、もともとわが委員會におきまして、第一囘國會、昨年八月以來しばしば討議研究せられてきたところであります。
その内容をうかがいますと、わが國柄にふさわしく、平和勳章、文化勳章、功勞章、善行章、あるいは國家的記章などを設けまして新機軸を出さんと努めているようでありますが、この榮典制度の改革ということも、もともとわが委員會におきまして、第一囘國會、昨年八月以來しばしば討議研究せられてきたところであります。
(ネ)、子供のための事業の功勞者及び功勞團體の表彰。 (ナ)、期間中の行事としては 國際親善の日、平和祈念の日(日本人形その他手工藝品、メツセーヂ等の外國贈呈とか文書、玩具、切手、子供の作品等の交換その他)。 善行の日、動物愛護、植物愛護等もこの日に盛り込む。
極端な例でございますが、ある會社のごときは、大阪にも取締役支店長があり、また京都にもまた神戸にも、名古屋にも同様取締役支店長が在勤いたすというふうでありまして、これらはまつたく財閥の利益代表等の色彩はなく、ひたすらその人の才幹と功勞とに報いるために、恩惠的に取締役の肩書を與えられたものと解釋すべきでありまして、また他の一面におきましては、同業他會社との對抗上、特に支店長の格上げをして、その店の權威と
それからまたこそ財閥の利益を代表するというよりも、實に忠實に長く勤めて、今メリツトというようなお話がありましたが、メリツトをかつて、一つ功勞の意味において取締役にしておこうというような就任の事情もあると思うのであります。そういうような事情で、本人を財閥關係役員、財閥の利益を代表する役員と見ることは妥當でないという場合もあると思うのであります。
○鍛冶委員 司法保護事業や行刑保護功勞者に政府竝びに國會において、その隠れたる功勞を顯彰の道を開かれんことを希うの件、理由は、およそ國家社會の治安維持上、處罰制度の必要なることは、喋々を要せぬところであります。しかれども、この處罰をば、ほとんど終生にわたるがごときは、かえつて社會の安寧向上をはかる下策でありまして、それ人として最も尊きは悔い改むる人に對し、恕する襟度にあります。
○佐藤(藤)政府委員 司法保護事業の功勞者に對しまして、國家として適當な表彰の方法を講じますことは、まことに緊要妥當な處置と考えられますので、本請願の御趣旨には、全面的に賛意を表したいと存じます。
○石原(圓)委員 その研究會のことでありますが、私も最近二、三囘その會に参つたのでありまして、夏堀君が言われるように、やはり水産業に關係した人達の、經檢のある、功勞のある人たちが集まつておるのであります。しかし學術、技術の上で新進なる實力をもつておるという人は、その中にはほとんど見當らぬのでありまして、この目的は非常によろしいけれども、その内容が整うておらぬ。
けれどもたとい多少の長し短かしはありましても、そういう方針で實行をいたすつもりでありまするが、なおそれを補うために、私は民間における有識者、殊にこういう方面に經驗と功勞の多い人を顧問のようなものに御委囑いたしまして、そうしてその足らざる點を補つて、新しい機構でこの仕事を進めていきたいというような考えをもつておる次第であります。
たとえば鐵道の從業員は三十五年勤續すれば無賃乗車券を與えられる、その家族までにも與えられるというような問題もありますが、なるほど御本人は三十五年勤續で、これは鐵道として功勞者でそれに與えるのは當然だと思います。
また恩給を受けておる人たちでも、働いておる人は私は申しません、働き得ない人、年をとつた人、五十過ぎた人、六十過ぎた人、七十過ぎた人、そういうふうな過去における教育界の功勞者、そういう者がまことに今、目も當てられない生活をしておるのでございます。この點につきましてどうか政府御當局におきましては、誠意ある御處置をお願いしたいと思います。これをもつて私の申し上げることを終ります。
また、たとえそういうことがなくとも、日本全體の空氣の現われとして、文化的な教育的な方面の功勞者が、今までの軍國主義的な雰圍氣を表わすようなものに代つて出てくることを、私どもも衷心から望んでいる次第であります。少し場所が違いますけれども、ここで遞信次官の方に私からもお願いいたしておきたいと思います。
恩給というものは、言うまでもなく、本法に書いてありますように、忠實に勸務した退職者に對するいわゆる退職慰勞金、あるいは長年勸めた功勞金というような意味を含めて恩給というものを支給するという第百六條の解釋を正當と私は認めます。
なおついでながら、全國の教職員諸君が、この過渡期にいろいろな苦勞を積んで、遂に教職員の待遇を最低線から一般かの官公職員の水準にまで上せた功勞に對しては、私は感謝するものであります。
次に第三には、文化功勞者に對し、その功勞に報い、これを記念する適當な榮典を設くべきでありという御意見でありました。これもごもつともであると存じます。
次に文化功勞者に對して、國家は、過去において軍人に報いたと立場を變えて、今度はこういう人たちこそほんとうに報いてやらなくちやならぬ。先般國會の決議として、幸田露伴先生の追悼決議がされましたが、これは、私、あのとき感無量、實に押さえがたい喜びを感じたものであります。少くとも今後は、私たちは文藝に演劇に科學にあらゆる點においてこうした功勞者を國家の最高功勞者として報いる。
但しこれを宗教的なものとして取扱うならば、これは又別途の取扱い方が關係方面から示されておるのでありまして、これを宗教とはつきり區別する點と、それから國のため功勞のあつた人と考える點と、はつきり選り分けて、そうして今お話の、國のため盡された方々のために我々が尊敬すべきだという面については、飽くまでもこれは尊敬すべきだと思います。