1947-10-04 第1回国会 参議院 運輸及び交通委員会第一小委員会 第3号
の発達は、一に本土との海上交通機関の完備に俟つを要することは申すまでもありません、而して壱岐、対馬は、九州本土と六十六哩を距る甚だ遠隔の島嶼で、交通頗る困難であつたが、曾て博多、壱岐、対馬間は縣の命令航路として九州郵船会社の睦丸(五百トン)及び珠丸(七百トン)の二隻の配船、交互に日航し、何等の不便も感じなかつたのであるが、前記二隻の船舶は、相前後して遭難沈没し、以來僅かに同会社の三日トンの発動機船功丸
の発達は、一に本土との海上交通機関の完備に俟つを要することは申すまでもありません、而して壱岐、対馬は、九州本土と六十六哩を距る甚だ遠隔の島嶼で、交通頗る困難であつたが、曾て博多、壱岐、対馬間は縣の命令航路として九州郵船会社の睦丸(五百トン)及び珠丸(七百トン)の二隻の配船、交互に日航し、何等の不便も感じなかつたのであるが、前記二隻の船舶は、相前後して遭難沈没し、以來僅かに同会社の三日トンの発動機船功丸
博多、壱岐、対馬航路には先程請願書にもございました通り、戰前五百総トン級の般二隻がございまして、その連絡には不便はなかつたのでございますが、これが戰爭で徴用せられまして、戰災によつて沈みました関係上、その後功丸、阿多々丸、この二隻でございましたが、阿多々丸は大体総トン二百三十九トンでございます。功丸は百八十一トンの船でございます。