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96件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1981-12-16 第95回国会 参議院 決算委員会 閉会後第1号

このにせ絵事件の当時にも、当時の剱木文部大臣が、それについては検討をしますと、こういうふうに約束をされているわけで、あれから十数年たって、なおかつ検討していないというのは、私は文部省としての怠慢だろうというふうに思います。その意味で、ひとつどのようにしたらいいかということは、後ほどまた質問を申し上げますので、文部省としての対応を検討しておいていただきたいと思います。  

粕谷照美

1973-09-06 第71回国会 参議院 文教委員会 第25号

そして四十二年には、今度は剱木文部大臣のときにいわゆる中教審諮問した。今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本施策についてというのを出した。そしてまあ四十六年まとめて言えば、中教審答申というのが出てきた。だからこの流れをずっと見てくるというと、大学に対する一つ自民党方針というのが明らかになった。一貫していることは何かというと、大学管理運営で、その中に何を言っているか。

小林武

1972-03-10 第68回国会 衆議院 文教委員会 第2号

今度もその中教審答申を踏まえて教育の諸問題の解決に当たっていこうというお考えは「教育改革の推進」という項でお述べになっておりますけれども、どうも四十二年の剱木文部大臣中教審に対する諮問のものの考え方大臣所信がよく似ているので、ちょっと私、実は頭をひねっているわけです。という理由はこういうことなんです。

川村継義

1971-05-19 第65回国会 参議院 内閣委員会 第19号

そうすると、過去にそうそうたる大臣たちが、これは荒木文部大臣中村文部大臣灘尾文部大臣剱木文部大臣、坂田文部大臣、歴代の文部大臣所信として、「特殊」教育の振興に尽くしたいとみなだれも述べておりますね。それほど重点施策として御努力をされているのであれば、少なくとも一〇〇%とまではいかないまでも、もっと私はこれは進歩しているだろうと考えていた。

岩間正男

1971-05-18 第65回国会 参議院 文教委員会 第16号

もう一つ大黒さんからお願いしたいのは、前に文部省調査をして、超勤の事実がある、中村文部大臣超勤実施をしたい、やりたい、また剱木文部大臣はそういうことを衆参文教委員会実施をすると言って予算要求をしたことがあります。こういう事実は大黒さんはどういうふうにお考えになっているのか。

安永英雄

1971-05-11 第65回国会 衆議院 本会議 第28号

かかる実態から、文部省超勤手当支給に踏み切らざるを得ず、昭和四十一年、そのための全国的な実態調査をなし、四十二年の衆参文教委員会では、当時の剱木文部大臣は、再三にわたって、四十三年度から支給することを言明し、六十三億の予算要求をしたのであります。  かかる経緯をたどりながら、長い間の懸案が解決するかに見えたとき、自民党のいわゆる聖職論が表面化したのであります。

木島喜兵衞

1971-04-14 第65回国会 衆議院 文教委員会 第13号

これは政党の中にも論議があり、あるいはこの法案が何回か出たり入ったりする中においても論議があり、あるいは剱木文部大臣が試案として、給与体系は教師の場合は独自の体系が必要だというような案が出たりしたはずです。そういうことについて、もし坂田文部大臣がこの給与改善終着駅——この法案に基づく四%が終着駅ではないはずですから、それについてひとつ腹に考えておる到達点があればお聞きしておきたい。

山中吾郎

1971-03-11 第65回国会 参議院 文教委員会 第6号

小林武君 これは坂田文部大臣が、移転の問題については、大学積極的姿勢が要請されるということは、私は、前の剱木文部大臣学内意思統一をしてきてもらいたいということと同じ意味だと思っているのです。大学の積極的な姿勢ということは、こう私は理解している。その点に関しては二人の大臣の見解はこの移転に対しては同様なんであったなと思っているのです。

小林武

1971-02-15 第65回国会 衆議院 予算委員会 第12号

そして四十二年には、当時剱木文部大臣だったけれども、衆参文教委員会の中で再三にわたって、四十三年度から超勤手当を支払うということを言明をし、そして四十三年度の概算要求に、超過勤務手当として六十三億を要求した。それは支給をするという前提に立っておった。つい三、四年前であります。ところが、その後に聖職論が出た。そして、このことが――四十三年の国会のときに先ほどお話教特法が出た。

木島喜兵衞

1970-09-22 第63回国会 参議院 文教委員会 閉会後第3号

このことはかつて四十二年七月の衆議院の文教委員会で、剱木文部大臣答弁の中に「あらゆる場合におきまして学内意思統一ということが先決問題でございまして、」というふうに言っていらっしゃいますけれども、また坂田文部大臣自身も、四十五年一月二十一日、その当時宮島さんは学長事務取扱です。

田中寿美子

1970-03-19 第63回国会 衆議院 予算委員会 第16号

そこで次にお尋ねをいたしますが、先般の公述人の中に、剱木文部大臣——当時の文部大臣の話が出たわけでございます。これはおそらく佐藤総理も、それは全く知らない、こういう御答弁だろうと思いまするので、私が時間の節約上私が聞いたことだけを申し上げて、あとでお聞きになってお調べになっていただきたいと思います。

西宮弘

1969-04-11 第61回国会 衆議院 文教委員会 第11号

一つは、研究費の問題については、御承知のように剱木文部大臣のときにアメリカの軍事費が問題になりまして、文部省もわからなかったということで、わからない経緯はどういうような形であったからわからないのかということが議論されました。議論されましたときに、いまの委託費の問題は当然出まして、今後このようなことのないようにということがあのときの委員会ではっきりされているわけです。

唐橋東

1968-05-15 第58回国会 衆議院 文教委員会 第19号

事実上申し送りをしたかどうか私は存じませんけれども、国会関係においては、同じ自民党内閣で連続をしているのであり、この国会の立場からいえば、前大臣がそういう意味において調査費を計上し、承認を受けて、その次に、受けた剱木文部大臣がその方針でやりますと言い、その直前のいろいろの経過は灘尾文部大臣自身は十分知らない。それは個人の問題だ。

山中吾郎

1968-05-15 第58回国会 衆議院 文教委員会 第19号

○山中(吾)委員 それでは、剱木文部大臣答弁速記録を調べましょうか。それは個人として知っているとか知らないということではなくて、いわゆる公的な文部大臣として、剱木文部大臣の次に灘尾文部大臣就任をして、その点については、何らかの措置を検討すると聞いておったということは、それは事実その程度に申し送りになったのかどうか知らない。国会関係においてはそうはいかないと思うのです。

山中吾郎

1968-05-15 第58回国会 衆議院 文教委員会 第19号

その次に、さらには剱木文部大臣就任をして、衆参両院に対して、数回にわたって、超過勤務手当支給する方針だと言った。この調査費の計上をし、実態が明らかに報告され、そしてそれを受けたところの剱木文部大臣は、四十三年度から超勤手当支給する方針であると言った。これは速記録を見てください。そして出てきた法案は、超勤否定特別手当であるというならば、国会の審議に対してまさしく裏切った法案であると思う。

山中吾郎

1968-05-08 第58回国会 衆議院 文教委員会 第15号

大原委員 私が質問を申し上げているのは、剱木文部大臣——中村さんのときは若干実態調査等を含めての議論がありましたが、剱木文部大臣超勤手当を出すということを衆参両院でしばしば言っておられるわけです。抜本改正についてもやる、これは一千万円ほど本年計上してありますが、やる。それから超勤手当についても出す、ともかく出すのだ。

大原亨