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33件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1998-04-15 第142回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第5号

これは一言で言いますと、単におくれというんじゃなくて、こういう発展途上国の低開発というのは、北の先進資本主義国からの計画的な不等価交換、物すごい剰余価値の搾取、だから北の発展の条件に発展途上国の低開発がされているんで、そういう現代資本主義現代帝国主義システムそのものを改善しないと、直さないと低開発というのはもう解決できないんだという理論的枠組みで、私は必ずしも賛成していませんけれども、そういう理論

上田耕一郎

1981-10-27 第95回国会 参議院 内閣委員会 第5号

そのときは労働基準法の二十四条とこれ関連してくるわけですが、最近は生活保障説に近づいているけれども、退職金労働者資本家に与えた剰余価値の中から支払われるものであって、労働者は当然受ける権利がある。だから賃金後払いである。そういう意味でこれが一つの範疇として定着をしたと言われている。  

山崎昇

1981-05-14 第94回国会 衆議院 内閣委員会 第13号

ところが、その工場は剰余価値というものを必ず生み出すんです。そして賃金を払った後に剰余価値というものを蓄積して、その中から今度退職金を支払うわけですよ。別にそれ以外の価値から支払うわけじゃないんです。だから言ってみれば、この一般の生産労働者というのは、つまり自分生産した価値の中からの分配を受けるにすぎないということなんです。そうすると、賃金後払い説がそこに成り立ってくるわけですよ。

渡部行雄

1981-05-06 第94回国会 参議院 物価等対策特別委員会 第4号

何かいまのところでは流通業者、すなわち卸、中卸、小売業者間でそれらの剰余価値がそれぞれ吸収されてしまっておるのは、私のひがみかもわかりませんけれども、思われてなりませんのです。そうでない限りは、十分な作付を指導しようとされましても、生産者にその意欲が出てまいりません。その辺のことの改善をわれわれはやっていかなければならないのではないかということを思います。  

山田耕三郎

1980-04-24 第91回国会 衆議院 社会労働委員会 第15号

梅田委員 預託をして、いわゆる資金運用をしたその金額というものはだれが生み出したかという、ことを考えてみますと、ずっと回り回って考えていきますと、結局労働者剰余価値変化した形態というのが経済理論なんですね。だから、いわば労働者にとっては共食いみたいなものであって、そんなものは、積み立てるわけですから、当然そういうかっこうでふえていくのはあたりまえなんですよ。

梅田勝

1976-10-07 第78回国会 衆議院 逓信委員会 第3号

いわば、一つは、一般的には競争企業の相手よりも剰余価値を生み出すためにたゆまざる技術革新を求めてくるということ、もう一つは、利益を実際よりも過少に見せるということが通常行われている経理上の操作になるわけです。しかし公社は公共企業でしかも独占企業なんですね。だから、過大な償却を行う必要は全くないわけです。この点について総理は一体どのようにお考えになるか。

平田藤吉

1976-10-06 第78回国会 衆議院 逓信委員会 第2号

一つは、やはり総体的な剰余価値を生み出していくということ、これがねらいですね。そして、人よりも先に技術の進んだ機械を入れていく。剰余価値を生み出していくというやり方をとるわけですよ。同時に、さっき電力会社の話が出ましたけれども、償却テンポを速めていくというのは全部、経費が非常にかかるのでございますという理由にしていくのですね。つまり利益を隠していくために償却テンポを速めるのですよ。

平田藤吉

1974-05-31 第72回国会 参議院 内閣委員会 第25号

しかし、そのときに、やっぱりイギリスにおいて、このマルキシズムをなまのまま受け入れたハイドマンの社会民主同盟なんかの考え方がイギリスの中へ入らなかったのは、マルクスの考えているようないわゆる剰余価値説の利潤論争と違った形において社会的関係変化によって土地価格は暴騰してくると、このリカードやあるいはジョンスチュアートミルを通じて発展してきたところの不労所得説というものが大きく、イギリス経済の現実

戸叶武

1974-04-04 第72回国会 参議院 予算委員会第三分科会 第1号

食糧暴動がすべての革命のきっかけになるということをずっと左のランズベリーなんかが考えてトロツキーの暴力革命説に乗らなかったのは、イギリスにおいては暴力革命という形は、これだけ近代国家が整備してきているんだから、とるべきでないという形であれをせきとめたし、またすでに、いまと同じような状況で土地価格が暴騰したときに、イギリスで素朴なマルキシズムを受け入れなかったのは、マルクス剰余価値説的な分析では説明

戸叶武

1974-03-29 第72回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号

具体的政策を通じて国民が選択する時代に、対話の時代に入っておると思うのですが、ただ、日本経済学の中であまりにも深くマルキシズムが影響を持ち過ぎていますが、やはりイギリスで九十年ほど前に土地が暴騰したときに、イギリスでは正統派経済学の中からリカードジョンスチュアートミルが出て、共通の流れは、土地の暴騰というものはマルクスの言っているような剰余価値説では判定できない、社会的な関係変化によってつくられたところの

戸叶武

1973-04-20 第71回国会 衆議院 運輸委員会 第19号

私どもとしては、そういう点で労働者自分生活手段として、賃金、これを受け取りますが、剰余価値労働というものは常に資本によって収奪をされている、これが資本主義社会だ。つまり国鉄労働者が営々として働いて、その剰余労働というものによって、剰余価値というものによって今日の巨大な国鉄資産というものをつくり上げてきたんだということをまず念頭に置いていただきたいわけです。  

梅田勝

1972-08-11 第69回国会 参議院 農林水産委員会 閉会後第3号

私は、自分の一生をアメリカ大学とカナダの大学でフィジオクラットの研究をしてきておりますけれども、そういうことは別として、いまの土地問題の混乱におきましても、日本には資本主義経済学者なり社会主義経済学者なりいろんな立場は持っているけれども、結局、マルクス剰余価値説というものにこだわり過ぎて、いまから百年ほど前のイギリスにおける日本と同じような高度経済成長政策資本主義安定期にかもされた混乱としての

戸叶武

1971-03-05 第65回国会 衆議院 商工委員会 第7号

しかも勤労性というものの所得においては、給与所得においても、あるいは剰余価値そのものを分配するのと、剰余価値そのものを実は利潤に回して利潤からもらうのと、本質は違っておるにかかわらず、税のほうでは所得税として給与控除を行なっておるという、この矛盾きわまりない税制の問題、この問題をひっくるめまして私は問題を解決してもらいたい。  大蔵省では、ややもいたしますると、税金は高いほうを見本にいたします。

鴨田宗一

1968-04-12 第58回国会 衆議院 本会議 第23号

自由資本主義原則からいえば、税金剰余価値からというのが当然であるにもかかわらず、いかなる資本主義国家でも実行されたことはありません。日本では、世界で例を見ないほど多種多様の減免措置を講じている特別措置法等によって、だれがどれだけ税金を負担しているかもわからぬまま、税負担公平原則である総合課税主義はくずされ、資産所得者階層高額所得者が優遇され過ぎておるのであります。  

村山喜一

1968-03-25 第58回国会 衆議院 大蔵委員会 第14号

これはやはり資本主義国家であれば、税金というのは剰余価値から取るというのが一つ自由資本主義原則だろうと思うのですが、いかなる資本主義の国であっても、そういうのが実行された国はどこにもない。税金大半は、日本に限らず、各世界資本主義国家の租税をおしなべて見れば、これは大衆課税大半大衆課税に依存せざるを得ないというのが今日の世界の実情であろうと思うのであります。

村山喜一

1968-03-25 第58回国会 衆議院 大蔵委員会 第14号

そこで、全体をながめていけば、当然剰余価値というものに対して課税するという原則ではないわけですね。剰余価値のないものに対しても課税をしているということを認めざるを得ないのが日本税制です。これが最近は強化されようとしている、こういうふうに受け取って差しつかえない。  将来においてはどうであるか。将来においては、その構想はまだはっきりされていない。

村山喜一

1967-07-20 第55回国会 参議院 農林水産委員会 第27号

私は、拡大再生産を保証するためには、保証価格というものが、剰余価値といいますか、あるいは利潤といいますか、そういうものが十分見込まれてきめられておらなければならぬというふうに考えておるのですが、そういう点から、保証価格というものははたしてそういう立場できめられておるかどうか、このことを伺っておきたいと思います。

矢山有作

1967-06-27 第55回国会 衆議院 大蔵委員会 第25号

しかしながら、それとやはり所得との関係——実質所得があり、そこに実質消費水準が存在をしなければならない、そういう立場から考えていけば、所得から消費を差し引いたものが剰余価値として出てまいるわけですね。ですから、そういうようなものが生活水準の中には当然入らなければならない、したがって、生活水準のすべてをこれで満たしたものではないのだ、こういうように解釈してよろしいのですか。

村山喜一

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