1971-11-10 第67回国会 衆議院 文教委員会 第1号
これは私は要望いたしませんが、そのときに、どうも後期中等教育のイメージでこういう実用教育をするよりも、科学技術の進歩をしている現代の段階においては、前期高等教育イメージのいわゆる職業専門教育、それが要望されておるのではないか。後期中等教育のままのいわゆる農業、工業、商業ではもう足らないのである、そういうことが地域の要望の中に各種の高等専門学校の要望が出ておるのではないかと思うのであります。
これは私は要望いたしませんが、そのときに、どうも後期中等教育のイメージでこういう実用教育をするよりも、科学技術の進歩をしている現代の段階においては、前期高等教育イメージのいわゆる職業専門教育、それが要望されておるのではないか。後期中等教育のままのいわゆる農業、工業、商業ではもう足らないのである、そういうことが地域の要望の中に各種の高等専門学校の要望が出ておるのではないかと思うのであります。
それで少しまだ、文部大臣きょうは時間がないので、もっと論議を深めなければいかぬのですが、この高専の水産学校自体、大体前期高等教育その他の関係からいっても、海の中に親しむという環境の中で潜水という技術も身につけ、海の中に入り、そして研究をするというのでなければ、結局は海洋に心酔する技術者も学者も出ません。
六・三制の発足当時においては、そのときの記録を見ても、新制高等学校というのは単なる中等学校でなくて、旧制高等学校、旧制専門学校の前半ぐらいを含んだ、新しい後期中等教育と前期高等教育の半分ずつぐらいを兼ねたような発想で発足したと思うのです。ところが、いわゆる中等教育のままに低く現在定着しつつあるので、どこかそこに矛盾がある。
その中において高専をつくったというのは、いわば後期中等教育と前期高等教育とを結合したという、しかもそれがいま五十に満たない学校ですかね。その範囲にしかないものですから。そういう意味では、高専の教育の実態が一体どうなっているのだろうか。たとえばそこにつとめていられる先生方、教授や助教授の方々が、はたしてどういう意欲を持って教育していらっしゃるか、たいへん疑問な面があるわけなんです。
○山中(吾)委員 まあこれは意見がだいぶ違うので、雑然と六種類、七種類つくってしたところで整理がつかないので、やっぱり前期高等教育機関と後期高等教育機関というふうな姿で、民主的な単線型というものを考えながら多様化をはかるのでなければ整理はつかぬと思うのですが、一応現在、文部省の意見と違うようであります。違うことだけ確認しておきたい。
それから、逆に高等教育というのは、大学と一段階にしたのだが、前期高等教育と後期高等教育に分けて、後期高等教育は教育研究をかねたほんとうの大学、前期高等教育はいわゆる高次の専門教育という、むしろ学校が二つあればいまのような大学ならざる大学、そうしていろいろの内容が、旧制高等学校、旧制専門学校と同じようなものも一緒になってしまって、あらゆるものが混乱をしていると思うのですが、高等教育というものは一段階にしなければならぬ
しかし現代のように科学技術が発達をして、一方に人間性とそれから生活技術がアンバランスになり、単なる教育は知能犯的人間をつくるだけである、あるいはいろいろの人間形成のひずみが生まれてきておるので、六三制全体の抜本的検討の中に十八歳までは少なくとも義務教育にすべきであるとか、あるいは現在の高等学校教育は後期中等教育という、そういう教育水準を考えるのではなくて、むしろ前期高等教育という水準で高等学校というものの
前期高等教育程度の技術者養成を目的とした教育機関でないと、卒業生は結局は全部漁業に従事していないのです。ほとんど技術者として一つの技術を身につけていない。水産高等学校はそういう機能を果たさない教育機関——その地域の水産開発のためにつくっておるのですが、そういうことになっている。それから一方、水産庁の水産行政のほうも技術開発については政策はない。
高等教育の中では、後期高等教育が研究と教育に値するいわゆる大学制度であり、前期高等教育は専門学校と、前期の高等教育と後期の高等教育を分けないと大学のイメージは全部混乱をする、私はそう思っておるのです。逆に、現在の六三制は、分ける必要のない中学を、後期中等教育、前期中等教育に分けてこまかく三、三にしてしまっておる。中等教育は一つの学校でいいのです。
その解決をするのには、大学そのものに、前期高等教育と後期高等教育の中で、後期高等教育が大学なんだ。戦前において旧制高等学校、旧制専門学校というものは前期高等教育なんだ。