2015-09-15 第189回国会 参議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会公聴会 第1号
それが最高裁の法廷とか憲法制定会議に表れるという概念なんですね。 だから、その上位法に逆らう法律はあり得ないというところが今の自民党政権には理解されていない、恐ろしいことだと私は思います。
それが最高裁の法廷とか憲法制定会議に表れるという概念なんですね。 だから、その上位法に逆らう法律はあり得ないというところが今の自民党政権には理解されていない、恐ろしいことだと私は思います。
まず第一点の権利と義務の問題でございますけれども、確かに、明治憲法制定会議におきまして伊藤博文が、憲法において、権利を定め権力の行使を制限せざるして何で憲法を制定する必要があるのかという意味のことを述べております。したがいまして、立憲主義の立場からすれば、権利をまず保障するということが当然であります。
そして、この三カ国による西側占領地区軍政府によって、西側ドイツの十一州の首相が集められ、憲法制定会議を招集する権限を与えられて、ここで、一九四九年五月にドイツ連邦共和国基本法が制定、施行されたのでございました。
第一に国民であり、第二に議会であり、第三に特別の会議として憲法制定会議あるいは憲法会議、コンベンションというものをつくるということです。第四には連邦国家制の場合にその支邦、ラントなりカントンなりというものを主体とするということです。 今日では、第一と第二が中心に置かれます。 まず第一のレフェレンダム、国民投票による憲法改正ということです。
というのは、フランス革命なり、あるいはアメリカの独立革命なり、この時期は人民に憲法制定権力がある、人民に主権があるということで、一番明確なのは憲法制定会議、コンベンションという形を取ったわけです。
政治的に中立を装いながら、その実、権力に迎合し、ヒトラーが政権を取ると、それに全面的に協力するような恣意的な司法を行ったという評価が基本法制定会議の中で優勢を占め、それが最高裁判所やその他の裁判所ではなく憲法裁判所に違憲審査権を与えることになったのです。
例えば、憲法制定時には、主権者たる国民の意思を明らかにするために特別の憲法制定会議を招集して、憲法草案を国民投票にかけて採択したんだけれども、憲法改正については、その便宜性あるいは迅速性を考えて専ら議会にゆだねるという決断をした憲法があるとします。
この関連では、日本国憲法の制定が明治憲法の改正という手続を踏んで行われたということの事情の一つとして、GHQの側が、新しく憲法をつくり直す、憲法制定会議のようなものをつくってやるということになりますと、ハーグ陸戦条約との関係が心配だというようなことがあったという指摘もあったりするわけですけれども、ただ、私もハーグ陸戦条約については十分勉強しておりませんので、正確なお答えができるかどうかわかりませんけれども
これは憲法制定会議で金森大臣が説明されていますけれども、従来、諸国が日本国本位の原則を持って国際社会に臨みまして、それがために非常な災いを生じておりますが、かような思想に基礎を置いて広く世界各国に呼び掛けるというような趣旨のことを規定しており、過去の我が国の態度に対する深い反省を示す趣旨である、こういうふうにおっしゃっているわけですね。
私は児童福祉が専門ですので、ふっと思い出しましたのは、昭和二十年、二十六年でしたか、児童憲章というものがありまして、児童が人として尊ばれるというところから、三つの中心と、たしか十条だったかと、あるんですが、あれが作られますのが、法律、あるいは法律でもなくて、その制定会議のようなものができまして、各層から代表が出まして、たしか何か月か、そんなに時間は掛からなかったんですが、そして作ったものなんですね。
○吉岡吉典君 これは、憲法制定会議の当時のことを一九九三年の時点で法制局がお認めになったことであります。そして、今そういう答弁があったこともお認めになりました。 なぜ私がこういうことを言うかというと、討論会でこういう事実をすると、そんなことはないという反論がしばしば出てくるんです。
私は、そこで、憲法制定会議の議論を読んで私が一番頭に残っているものを幾つか紹介しまして、これは一体、守る中に入るのか、もう役立たないものと思われるのか、この点もひとつお伺いします。 一つは、吉田茂首相が答弁されている。これは全部読みますと長いので、私、要約して紹介しますけれども、吉田さんは、日本を戦争のない国を創造する先駆けとするということを表明しておられます。
私は、この間の論議で安保体制は六〇年安保当時と全く変わったものになってしまったということを取り上げましたが、私は憲法をめぐっても、憲法制定会議で論議された憲法とはもう全く違った憲法として解釈され、運用されているという感じを持ちます。 私は、憲法論議の戦後のすべてを読んではおりません。しかし、今、憲法調査会に所属しておりますので、憲法制定議会の衆議院、参議院及び枢密院の記録だけは目を通しました。
しかし、他方で、起草過程で、民間のNGOであるとか各国の議会の代表であるとか、そういった人たちが多くの意見を言う場を設けまして、基本権憲章の制定会議というものをつくりまして、そこでもって、短期間ですけれども、何回も会合を専門的に繰り返してつくっていくという、憲法起草会議をほうふつとさせるような手続がとられました。ですので、そこの中で集中的に多くの議論が出されたということもあったと思います。
○金子(哲)小委員 今お話にありました制定会議の中で、各国の議会の代表ということがちょっとお話出てまいりましたけれども、そういう各国の議会の代表がEUのさまざまな会議の中で果たしてきた役割というのは、今までこのほかにもたくさんあるんですか。
そして、その問題に対して国連憲章制定会議の際に多くの中小国が、特別の地位を認めることはやぶさかではないけれども拒否権という問題については異論ありということで、かなり激しい攻防が大国と中小国との間に行われて、そして大国がその拒否権がないような国連なら我々は要らないんだというふうに突き放した結果、中小国が折れて拒否権という規定が入ったという経緯があることを私たちは思い出すべきであると思います。
それから、一つ大事なことは、イランの憲法制定会議の会議長格の人ですね。イランというのは最高指導者というのを設けまして、これはかつての天皇みたいなものでしょうね。天皇制のもとの近代国家みたいな感じがしますけれども、ホメイニの後継者がハメネイという人ですね。その兄さんが憲法制定会議をずっと牛耳ってきた人なんですよ。
あなたたちはきょうから憲法草案制定会議のメンバーになりました、これは極秘です、あなたたちはマッカーサー元帥の命令で新しい日本の憲法の草案をつくるのが任務です。これを聞いたのは二十人ぐらいでした。みんな随分びっくりしました。 マッカーサー元帥は、その二月四日まで自分のスタッフにこの仕事を与えるつもりは全くなかったので、松本烝冶無任所大臣に何度も民主的な憲法の草案を頼みました。
これは、一九四五年のサンフランシスコの国連制定会議のときに、国連が機能しなくなったときにそういう安全弁を設けておかないならばだめではないかと、アメリカの上院議員であったバンデンバーグさんがラテンアメリカ諸国の懸念も取り入れながら挿入したのがこの五十一条であるわけで、国連憲章の本来の線とは違うわけであります。
この読売新聞の中では、その中で、アメリカの建国理念だということで、合衆国憲法制定会議のメンバーで第四代大統領になったジェームス・マディソンの言葉を引用しておられます。 その中で、「人民に情報を与えず、あるいは情報獲得の手段を与えないでおいて、人民の政府だなどというのは道化芝居の序幕か悲劇の序幕かのいずれかである。いやその両方であろう。」
ミャンマーの民主化の第一歩として期待されていましたこの憲法制定会議が、早くもこのような状況になったということは大変残念なことだと思います。 我が国の対ミャンマー援助は、一九八八年より停止しておりましたが、本年三月には十億円の食糧増産援助が行われ、また七月にはスー・チー女史の軟禁が解除されたということから十六億円の無償資金協力が行われたということで、事実上の援助再開がなされたわけであります。
○佐藤(観)議員 簗瀬議員のドイツにおきます憲法制定会議及びその選挙法委員会等につきましては、大変勉強していらっしゃることにつきまして感銘深く聞いておったわけでございますけれども、最初の、退路を遮断をしてやるべきである、過日、野田委員の方からもお話がございましたけれども、お互いに今立っているところはいかに重大なところに来ているかということ、そしてお互いに法案を出しているということで、本当に最終的には
これは、一九四五年のサンフランシスコの国連憲章制定会議のときに、アメリカの当時の孤立主義者であったバンデンバーグ上院議員らが、国連が機能しない場合、安保理が機能しない場合にもアメリカが行動をとり得るようにということで急に挿入した一種の安全弁でございます。ところが冷戦が始まりまして、そういうバンデンバーグその他が懸念したような冷戦のために安保理が機能しない時期が来たわけでございます。