2008-05-22 第169回国会 参議院 国土交通委員会 第10号
一方で、事業者だけではなくて、市町村あるいはNPOあるいは都道府県、あるいは利用者そのものが主体的に一生懸命取り組んで、みんなで力を合わせてやっていこうというのがこの法律を用意した趣旨なのかなと。その中でいろんな武器、手段をそろえていかないと、山下先生の御質問じゃないですが、絵にかいたもちになりかねない、こういう問題だろうと思います。
一方で、事業者だけではなくて、市町村あるいはNPOあるいは都道府県、あるいは利用者そのものが主体的に一生懸命取り組んで、みんなで力を合わせてやっていこうというのがこの法律を用意した趣旨なのかなと。その中でいろんな武器、手段をそろえていかないと、山下先生の御質問じゃないですが、絵にかいたもちになりかねない、こういう問題だろうと思います。
つまり、市場とは、私の理解では、まさにタクシーであればユーザーであり、この方々が判断をする、要するに、一般の利用者そのものが市場なんだろうと思います。そうすると、利用者の方はいろいろな尺度をお持ちで、その大きな要素としてやはり価格というものがある。
しかし、新しい手法として、当事者参加によるユニバーサルデザインとか、それから、利用者そのものが意見を言うことが、いかに過剰品質にならず、またアイデアがあって安いものができていくかということで、かなり勉強になったというふうにお聞きをしております。
このことは、利用した支援費の受け渡しにつきまして、ある意味では利用者そのものは請求事務の点において見ればかかわりがない分野でありますので、先ほど委員御指摘のように、利用者と事業者の契約としての対等性というものをさらに理解していただけるような仕組みはあわせて行う必要があろうかとは思っております。
○釘宮磐君 もう一点お伺いをしたいんですが、現行のデイサービス事業を今は福祉という財源でやられているわけですけれども、介護保険の導入によって、このデイサービスの利用者そのものがデイサービス事業を受けられなくなる方がかなり出てくるのではないか。
をいたしてまいったわけでございますけれども、さらに自転車駐車場の整備でございますとか、あるいはその管理でございますとか、あるいは自転車の交通そのものの安全の確保でございますとか、そういった面に目的を一にして関係各省庁が十分に協力し合うということで事業の進行も円滑を期することができるのではないかというような効果が上げられるのではないか、さらにその法律の中には国の責務と同様に自治体も努力をしなければいけないし、あるいはまた自転車利用者そのものも
国家の管理下にあって、国家財産としてのダムが、利水費の約五〇%にも匹敵するだけの地代というのですか土地の使用料、これが出るということは、勢いコストにそれだけ負担がかかって、利用者そのものの料金にはね返ってくる、こういうことになると、これは必然的に本土と同じようなことにするためには——本土にはそういうケースはないでしょう。
預貸率は実に八九・三%というようなことで、これは銀行の事業としてははなはだ危険な状態に立っておるということも——銀行が危険であるはかりじゃなくして、それと関連する利用者そのものが次から次へ倒産も出てくるというように金融事情が逼迫しておるわけでございます。
先生の御質問は財投に関係してこの限度額がどういう影響があるかという御質問と思いますが、大体この限度額を倍にしていただきましても、貯金の利用者そのものは全部が全部郵便貯金の場合最高限度額まであるのでございませんで、上限が限られておりますが、この限度額を引き上げなければ大体二兆九千八百億来年度できるだろうと思いましたところ、これは三兆五百億円、都合七百億円程度がこの限度額引き上げによりましてよけい預入を
それから公園内では、公園以外の国土開発、観光開発並びに利用者そのものによるところの自然の破壊に対する被害状況はどんなふうになっておるか。こういうものも、先ほど申したのとは別の面で、実態調査というようなものをされたことがあるのかどうか、こういうようなこともひとつ伺っておきたい。
ただ、別に利用者そのものにつきまして、もっと要するに利用者のためになるような行政をやっていくべきであるという御指摘に私申し上げた次第でございます。
したがいまして、ただいま申しましたように、国立公園といたしましても、その清掃については努力しておるわけでございますが、やはり国立公園の中を利用される利用者そのものも、ごみ等を捨てないように、やはり捨てる場合には一定のごみの捨て場に捨てるように極力指導もし、またそういう公衆道徳も涵養していきたい、そういうふうに考えております。
そういう場合に、そのものがどうしても社会的、国家的に必要な施設だ、かようになった場合に、政府ももちろんこれの存在、存立のために努力をしますが、やはり何といいましてもその利用者そのものがやっぱり負担すると、これが本来の筋ではないだろうか。
而も先ほど来の御説明によると何か利用者そのものからの強い希望もあるのだと言われるけれども、併し純客観的に見ました場合には、少くともむしろそうじやなくて、PBXをやるところの業者の責任というものは、これはもう少くとも覆うべからざる事実として顕著に活動せられておるということを見受けるわけです。