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20件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2016-02-25 第190回国会 衆議院 予算委員会第四分科会 第1号

何日か前に、山中先生の、なぜiPS細胞が世に出たのかといった、利根川先生とのやりとりをしたときに、研究というのは一生涯同じ研究をしていった方がいいのかといったら、いや、そうじゃない、テーマをころころ変えてもいいんだというような、テレビの放映をちょっと目にしたんですけれども。  

鈴木義弘

2014-06-10 第186回国会 参議院 法務委員会 第22号

ボストンで若い研究者何人か、そして利根川先生も交えていろいろお話を伺ったときに、日本研究のポストが得たときどうしようかという相談を若い人から受けるけれども、大概の場合、自分は、日本に帰ると研究活動が少し落ちるから、ボストンの方が研究環境がいいじゃないかということを言っているんだということを利根川先生おっしゃいまして、私それ非常に残念に思いました。  

谷垣禎一

2014-04-04 第186回国会 衆議院 厚生労働委員会 第8号

その部分も、これから、もしかしたら将来、ちょっと大きな問題になるのかもしれないというふうな危機感も持っていますし、基礎研究があって初めてその後のいろいろなものがあるんだというのを利根川先生がおっしゃっていると新聞にも載っていましたけれども、そういった部分も含めて、やはりこれからも、ありとあらゆる部分で医療の推進をしていただければなと。  

浦野靖人

2013-11-28 第185回国会 参議院 文教科学委員会 第5号

利根川先生がおっしゃっていたのは、アメリカ主要大学ノーベル賞受賞者が大変多いと。それは、大学入学試験は、日本のような学力ではなくて、それももちろん見るけれども、モチベーション、つまり大学入って何をやりたいのか、あるいはその後どんなことを目的として大学に入ろうとしているのか、その意欲、やる気を入学試験では評価すると。

下村博文

2007-03-02 第166回国会 衆議院 予算委員会 第18号

それから、私の娘が参加していることについても、いいですか、ノーベル賞利根川先生フリードマン先生から委員長手紙がありました。その手紙で、私にオブザーバーを頼んだのは我々である、そして、尾身さんがこのプロジェクトに参加してくれることが大変大事で、もし尾身さんがいなければ我々の熱意も薄れてしまう、だから、これからもやってほしいという話があってやったんですよ、大臣をやめたときに。  

尾身幸次

2007-02-13 第166回国会 衆議院 予算委員会 第7号

その中には、MITのノーベル賞受賞者フリードマン教授や、利根川先生や、あるいはロックフェラー大学の学長であったトーステン・ヴィーゼル、あるいはその他、大勢の方々がおられるわけでございます。シドニー・ブレナー博士もその一人でございます。  そして、そういう方々を中心として、どういうふうにしたらベスト・イン・ザ・ワールドの大学院大学ができるかという御検討をいただきました。

尾身幸次

2005-03-30 第162回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第6号

そういう意味では、基本的なそういう脳科学の発展というのが大変重要になってくると思いますし、利根川先生のいろんな御講演なんかの資料を見ますと、統合失調症研究をされるとかいうようなお話もちらっと聞いておりますけれども、非常に重要な先端的な研究をされているので、日本において、特に沖縄でそういう分野で研究を進めていただければ、長寿の国で、しかも認知症みたいな症状がなく元気で長生きできるということであれば本当

渡辺孝男

2005-03-15 第162回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第4号

したがいまして、今これの推進を一生懸命やっておられるシドニー・ブレナー、それからボード・オブ・ガバナーズのメンバー、フリードマンそれから利根川先生等々、努力をしていただくことだろうというふうに思います。そういう先生方の力をかりて、なるべく早くその五十名にしたいというふうに思っています。そういう意味で、なかなか難しい部分はあると思いますけれども、努力をしたいというふうに思います。  

東良信

2004-11-11 第161回国会 参議院 文教科学委員会 第4号

私、富山ですので、四十一号線から神岡へ行って高山へ行って、ノーベル街道という、田中耕一先生おられましたし、利根川先生おられましたし、小柴先生おられまして、こういうことで、非常にうれしかったと思いますし、天皇陛下御夫妻もせんだってカミオカンデ行かれました。おめでとうございました。  

河合常則

2004-10-27 第161回国会 衆議院 文部科学委員会 第2号

さらに、先ほど言いましたように、日本の世界に冠たる経済繁栄を遂げたもととなる頭脳であるノーベル賞受賞者方々小柴先生野依先生江崎先生利根川先生これらの方もこの制度の必要性を強く訴えております。非常に周りのサポートする声は大きいし、多いんです。ですから、大臣、絶対これは憶することなく、自信を持って、私はあしたでも闘ってほしい、本当の話。

横光克彦

2003-02-25 第156回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第2号

と申しますのも、学者皆様方だけで二十八人、顧問会議というものが構成されておりますが、そのうち外国人が二十一人、日本人が有馬元東大総長を初め各大学教授等々でございますが、外国在住日本人としては、ノーベル賞利根川先生その利根川先生を含めましてノーベル賞学者が十人入っております。  

細田博之

1999-07-01 第145回国会 衆議院 文教委員会高等教育に関する小委員会 第1号

実は、去年の夏ですけれども、アメリカへいろいろ取材に行きましたときに、ボストンに行きましたので久しぶりに利根川先生に会って、いろいろな話をした中で、利根川先生自分の子供、たしか小学高学年なんですね、特別の学校に入れているわけじゃないんです、地域の普通の公立の学校です。

立花隆

1999-06-29 第145回国会 参議院 行財政改革・税制等に関する特別委員会 第6号

大学あるいは私が勤めておりました理化学研究所などの教授主任研究員主任研究員というのは大体教授クラスですが、三十代で相当の人々がそういう最も主要な地位につくようになっておりますので、そういう点では随分利根川先生のおっしゃる時代から変わってきていると思います。

有馬朗人

1988-05-12 第112回国会 参議院 文教委員会 第9号

これは三月十一日の読売に、やはり利根川先生が言われている中では大変厳しいことをいろいろおっしゃっているわけですが、アメリカでは三十歳前後で助教授日本の場合には助手ということになろうかと思います。そして、研究グループのリーダーになるのが大体この年代である。日本の場合ですと、大体この時期というのは教授の従属である、なかなか自分研究がやらせてもらえない。

小野清子

1988-03-31 第112回国会 参議院 文教委員会 第4号

それから、利根川先生もおっしゃっていたように、自分は外へ出てノーベル賞をとったと、こう口ではおっしゃいますけれども、その反面で、ぜひ日本が世界的な視野で人材を集めて、そしてそれが出稼ぎ的でなく、日本に定着をして、日本だからこそ研究がしやすかったと言われるような環境を早くつくるべきだ、こういう熱烈たる気持ちを持っていろいろな御提言をしておりますのは、まさに先生と同じような感覚でおありのように受けとらしていただいておりました

中島源太郎

1988-03-31 第112回国会 参議院 文教委員会 第4号

この前者の方の研究者のコースを歩んでいく第一段階としてのフルタイムの職員という位置づけは、これは利根川先生もおっしゃっていましたけれども、アメリカあたりではアシスタントプロフェッサーという位置づけになっているということのようでございまして、確かにそういう点で助手という名称がいいのかどうかということは問題があろうかと思いますが、ただ助手そのものが、先ほど申し上げましたように、いろいろなタイプの補助職員等

阿部充夫

1987-12-08 第111回国会 参議院 決算委員会 第1号

利根川先生が実際カリフォルニア大学に行ったときには、もう図書館は二十四時間あいていたし、それからまだ学生の身分であるのに研究室はちゃんとした研究室をいただいた。オフィスがある。そういうふうに全部体制が整っているわけですね。そういう点がやっぱりきちっとしてないといけないのじゃないか。また、大臣が最終的におっしゃいましたように、やっぱりお金の問題、そういう問題になるのだろうと私は思います。  

峯山昭範

1986-04-03 第104回国会 参議院 科学技術特別委員会 第3号

国務大臣河野洋平君) 先ほど岡部先生からも御引用がありました利根川先生のお書きになった幾つかのエッセイも私拝見をいたしましたけれども、非常に比喩的な書き方ではありますけれども、例えば先生は、科学技術振興のためには膨大なむだを覚悟しなければいかぬとか、あるいは非常に流動的な研究体制をつくらなければいかぬ、あるいは国籍などに余りこだわってはいかぬをいうようなことをあちこちで書いていらっしゃいます。

河野洋平

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