2016-02-25 第190回国会 衆議院 予算委員会第四分科会 第1号
何日か前に、山中先生の、なぜiPS細胞が世に出たのかといった、利根川先生とのやりとりをしたときに、研究というのは一生涯同じ研究をしていった方がいいのかといったら、いや、そうじゃない、テーマをころころ変えてもいいんだというような、テレビの放映をちょっと目にしたんですけれども。
何日か前に、山中先生の、なぜiPS細胞が世に出たのかといった、利根川先生とのやりとりをしたときに、研究というのは一生涯同じ研究をしていった方がいいのかといったら、いや、そうじゃない、テーマをころころ変えてもいいんだというような、テレビの放映をちょっと目にしたんですけれども。
ボストンで若い研究者何人か、そして利根川先生も交えていろいろお話を伺ったときに、日本で研究のポストが得たときどうしようかという相談を若い人から受けるけれども、大概の場合、自分は、日本に帰ると研究活動が少し落ちるから、ボストンの方が研究環境がいいじゃないかということを言っているんだということを利根川先生おっしゃいまして、私それ非常に残念に思いました。
簡潔な答弁をしないといけないんですが、私はかつて、これも科学技術庁長官をしておりましたときにボストンへ行きまして、ノーベル賞をお受けになった利根川先生が当時ボストンで研究しておられました。
その部分も、これから、もしかしたら将来、ちょっと大きな問題になるのかもしれないというふうな危機感も持っていますし、基礎研究があって初めてその後のいろいろなものがあるんだというのを利根川先生がおっしゃっていると新聞にも載っていましたけれども、そういった部分も含めて、やはりこれからも、ありとあらゆる部分で医療の推進をしていただければなと。
利根川先生がおっしゃっていたのは、アメリカの主要大学はノーベル賞受賞者が大変多いと。それは、大学入学試験は、日本のような学力ではなくて、それももちろん見るけれども、モチベーション、つまり大学入って何をやりたいのか、あるいはその後どんなことを目的として大学に入ろうとしているのか、その意欲、やる気を入学試験では評価すると。
それから、私の娘が参加していることについても、いいですか、ノーベル賞の利根川先生とフリードマン先生から委員長に手紙がありました。その手紙で、私にオブザーバーを頼んだのは我々である、そして、尾身さんがこのプロジェクトに参加してくれることが大変大事で、もし尾身さんがいなければ我々の熱意も薄れてしまう、だから、これからもやってほしいという話があってやったんですよ、大臣をやめたときに。
その中には、MITのノーベル賞受賞者のフリードマン教授や、利根川先生や、あるいはロックフェラー大学の学長であったトーステン・ヴィーゼル、あるいはその他、大勢の方々がおられるわけでございます。シドニー・ブレナー博士もその一人でございます。 そして、そういう方々を中心として、どういうふうにしたらベスト・イン・ザ・ワールドの大学院大学ができるかという御検討をいただきました。
そういう意味では、基本的なそういう脳科学の発展というのが大変重要になってくると思いますし、利根川先生のいろんな御講演なんかの資料を見ますと、統合失調症の研究をされるとかいうようなお話もちらっと聞いておりますけれども、非常に重要な先端的な研究をされているので、日本において、特に沖縄でそういう分野で研究を進めていただければ、長寿の国で、しかも認知症みたいな症状がなく元気で長生きできるということであれば本当
したがいまして、今これの推進を一生懸命やっておられるシドニー・ブレナー、それからボード・オブ・ガバナーズのメンバー、フリードマンそれから利根川先生等々、努力をしていただくことだろうというふうに思います。そういう先生方の力をかりて、なるべく早くその五十名にしたいというふうに思っています。そういう意味で、なかなか難しい部分はあると思いますけれども、努力をしたいというふうに思います。
私、富山ですので、四十一号線から神岡へ行って高山へ行って、ノーベル街道という、田中耕一先生おられましたし、利根川先生おられましたし、小柴先生おられまして、こういうことで、非常にうれしかったと思いますし、天皇陛下御夫妻もせんだってカミオカンデ行かれました。おめでとうございました。
さらに、先ほど言いましたように、日本の世界に冠たる経済繁栄を遂げたもととなる頭脳であるノーベル賞受賞者の方々、小柴先生、野依先生、江崎先生、利根川先生、これらの方もこの制度の必要性を強く訴えております。非常に周りのサポートする声は大きいし、多いんです。ですから、大臣、絶対これは憶することなく、自信を持って、私はあしたでも闘ってほしい、本当の話。
と申しますのも、学者の皆様方だけで二十八人、顧問会議というものが構成されておりますが、そのうち外国人が二十一人、日本人が有馬元東大総長を初め各大学教授等々でございますが、外国在住の日本人としては、ノーベル賞の利根川先生、その利根川先生を含めましてノーベル賞学者が十人入っております。
実は、去年の夏ですけれども、アメリカへいろいろ取材に行きましたときに、ボストンに行きましたので久しぶりに利根川先生に会って、いろいろな話をした中で、利根川先生が自分の子供、たしか小学高学年なんですね、特別の学校に入れているわけじゃないんです、地域の普通の公立の学校です。
大学あるいは私が勤めておりました理化学研究所などの教授や主任研究員、主任研究員というのは大体教授クラスですが、三十代で相当の人々がそういう最も主要な地位につくようになっておりますので、そういう点では随分利根川先生のおっしゃる時代から変わってきていると思います。
これは三月十一日の読売に、やはり利根川先生が言われている中では大変厳しいことをいろいろおっしゃっているわけですが、アメリカでは三十歳前後で助教授、日本の場合には助手ということになろうかと思います。そして、研究グループのリーダーになるのが大体この年代である。日本の場合ですと、大体この時期というのは教授の従属である、なかなか自分の研究がやらせてもらえない。
それから、利根川先生もおっしゃっていたように、自分は外へ出てノーベル賞をとったと、こう口ではおっしゃいますけれども、その反面で、ぜひ日本が世界的な視野で人材を集めて、そしてそれが出稼ぎ的でなく、日本に定着をして、日本だからこそ研究がしやすかったと言われるような環境を早くつくるべきだ、こういう熱烈たる気持ちを持っていろいろな御提言をしておりますのは、まさに先生と同じような感覚でおありのように受けとらしていただいておりました
この前者の方の研究者のコースを歩んでいく第一段階としてのフルタイムの職員という位置づけは、これは利根川先生もおっしゃっていましたけれども、アメリカあたりではアシスタントプロフェッサーという位置づけになっているということのようでございまして、確かにそういう点で助手という名称がいいのかどうかということは問題があろうかと思いますが、ただ助手そのものが、先ほど申し上げましたように、いろいろなタイプの補助職員等
○政府委員(植木浩君) 私自身も利根川先生の講演会に出席いたしましていろいろと御意見を拝聴いたしましたけれども、今先生がおっしゃいますように、学術の振興、特に独創的な研究を振興しようという場合には若手研究者をいかに育成するかということが一番大切な問題でございます。
○田村国務大臣 実は利根川先生のその御発言、私も伺っておりますが、すばらしい御指摘だと思います。
利根川先生が実際カリフォルニア大学に行ったときには、もう図書館は二十四時間あいていたし、それからまだ学生の身分であるのに研究室はちゃんとした研究室をいただいた。オフィスがある。そういうふうに全部体制が整っているわけですね。そういう点がやっぱりきちっとしてないといけないのじゃないか。また、大臣が最終的におっしゃいましたように、やっぱりお金の問題、そういう問題になるのだろうと私は思います。
○国務大臣(河野洋平君) 先ほど岡部先生からも御引用がありました利根川先生のお書きになった幾つかのエッセイも私拝見をいたしましたけれども、非常に比喩的な書き方ではありますけれども、例えば先生は、科学技術の振興のためには膨大なむだを覚悟しなければいかぬとか、あるいは非常に流動的な研究体制をつくらなければいかぬ、あるいは国籍などに余りこだわってはいかぬをいうようなことをあちこちで書いていらっしゃいます。