2006-03-01 第164回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第2号
私は、網走の刑務所跡に三回ぐらい行きましたけれども、山県有朋が書いています、二度とこんなところに来たくないと思わせないと犯罪の抑止力にならないんだと。これは明治のことですが、人間自体が変わっていないとすれば、すべてとは言いませんが、一部まだまだ現在の時代に妥当する部分がある。
私は、網走の刑務所跡に三回ぐらい行きましたけれども、山県有朋が書いています、二度とこんなところに来たくないと思わせないと犯罪の抑止力にならないんだと。これは明治のことですが、人間自体が変わっていないとすれば、すべてとは言いませんが、一部まだまだ現在の時代に妥当する部分がある。
それから、朝鮮半島への植民地支配時代に、独立運動に参加した人々を逮捕、投獄し、虐殺したというソウルの西大門刑務所跡も葉梨議員とともに視察させていただきました。生々しい虐殺の再現に大変強い衝撃を受けました。日本の侵略戦争が朝鮮半島、アジアの国々に今も深い傷跡を残している、侵略戦争への反省なしにアジア各国との真の友好は築けないということを改めて実感させられました。
タイ国の刑務所跡で、その関係から周囲にはたくさんの有刺鉄線をめぐらしていました。もちろん難民のことですから、ここを逃げ出そうとする者は一人もいないということでありました。 そのとき現在で、収容中の難民千八百十八人、ここから第三国に引き取られた者が三千二百五十一人、したがって、二年間にこのキャンプに来た者は五千人余りということになります。
次に、中野にございまする元の豊多摩刑務所跡の敷地の返還に伴う区民への解放の問題でございますが、実は終戦までは東京都内に東京拘置所、それから既決囚を入れまする刑務所といたしまして豊多摩、小菅、府中の三刑務所、合せて四施設がございまして、常時未決約二千名、既決約四千名を収容しておったのでございます。
○委員長(亀田得治君) 次は請願千四百五号、東京都新井町所在豊多摩刑務所跡敷地解放に関する請願及び千四百二十四号豊多摩刑務所移転促進に関する請願、二つを一緒に議題に供します。西村室長からの説明をお願いいたします。