1966-03-30 第51回国会 衆議院 大蔵委員会 第28号
私はしばしば言っておるのですけれども、私は昔の古い資料を見ましたところが、神奈川県では武蔵、相模の両国といっていた時代がございまして、古い文書の中に、地租改正による明治十三年の官民所有地区分表というのがあるわけです。これは昔の官庁の文書なんです。これによると、神奈川県では民有の青地というのは二千四百三十三町歩ある、官有の青地というのは百七十八町歩しかないのであります。
私はしばしば言っておるのですけれども、私は昔の古い資料を見ましたところが、神奈川県では武蔵、相模の両国といっていた時代がございまして、古い文書の中に、地租改正による明治十三年の官民所有地区分表というのがあるわけです。これは昔の官庁の文書なんです。これによると、神奈川県では民有の青地というのは二千四百三十三町歩ある、官有の青地というのは百七十八町歩しかないのであります。
そういうときにつくられた、いわゆる官民有地区分表によりますと、二千四百三十三対百七十八であります。率に直しましてどのくらいの割合であるかは大体おわかりだと思います。つまりこれは少なくとも青地あるいは畦畔等は民有地が多かった、原則として民有地であったということを示しておる資料ではないでしょうか。
あとからもらった職務底分表です。そういう意味では(二)の職務区分表は非常に妥協的なものですね。妥協的なものですが、これをずっと見ておりますと、これほど妥協してあっちへやりこっちへやりするのであれば、この五等級に分けた意味がないのじゃないか。ともかくなにか無理やりに五つに分けている、分けておいてまた五等級であるものが二等級まで行くのですから。
もしもこの予算が提出され、この案が実行される場合には、当分の間支給地区分表を改訂しない方針をもとるべきであるとしたのであります。このような結論に対しては、相当の政治力を必要とすることはもちろんでありますが、衆参両院の人事委員会の共同歩調を必要とすることにかんがみまして、参議院人事委員会と協議会を持つことにいたしました。
一日に十五分及至二十分表に出て散歩するというのが監獄における生活でした。受刑が終つたのが、監獄を出たのが五月の十三日だつたと覚えておりますが、そのとき収容されたのはロシア人の第二収容所というところであります。この中には約八百名くらいのロシア人、それから自分達最初に行つた七十名、そこに日本人が行きまして、一つ小さい家があけてありました。併し七十名だけ別個に収容されました。
それからその次には「一般會計昭和二十二年度歳出豫算重要經費別區分表」というものがございますが、これは部別でもありません。所管別にもよらず、重要なる經費を摘出いたしまして、この重要なる使途の事項別にこれを區分いたしたものであります。その經費がかようなことに相成るわけでございます。