1980-01-24 第91回国会 衆議院 決算委員会 第3号
羽田時代には、先ほど申しましたように、ある程度の社会的地位の方には、ああいう検査場の物理的状況もございまして、出迎え人の立ち入りというのは比較的緩やかにしていたということが一つ。
羽田時代には、先ほど申しましたように、ある程度の社会的地位の方には、ああいう検査場の物理的状況もございまして、出迎え人の立ち入りというのは比較的緩やかにしていたということが一つ。
しましたように、検査場に部外者が入るということはやはり好ましいことではございませんので、原則的に、入ることはできるだけ制限的にやりたい、こういうふうに考えておるわけでございますが、外国の重要なお客、外交官、国の元首、総理、国務大臣、国会議員あるいは役人の中でも重要な公務を帯びて出張した者等に対して、特に支障のない者に限り、税関の支署長がいま言ったような基本的な範囲の中でケース・バイ・ケースで判断して出迎え人
国賓あるいは重要な公職を帯びた者、病人その他税関の支署長が必要と認めた者に対しまして出迎え人を検査場に入れて荷物を運ばせるのを認めるとか、そういう出迎え人の検査場立ち入り許可という制度がございます。これは、申し出があったときにバッジを渡しまして、その人が中へ入る、こういう制度があります。
○米山説明員 今回のKDD職員の関税法違反の動機等につきましては現在調査中でございますが、一つ、いろいろ世上言われておりますように、通関に際しまして出迎え人の立ち入り許可等を受けた者に対して調査が甘かったのではないか、そういうものが一つの慣例みたいになって繰り返し犯則が行われたのではないかというふうなことが言われているわけでございます。
○米山説明員 いま御指摘のとおり、フリーパスというのはございませんで、通関補助のために出迎え人を検査場へ立ち入りを許可している、こういう制度があるわけでございます。これもいまお話ありましたように、国公賓、これは国際儀礼上の慣行でございます。
ただ一つ、誤解されているのは、国賓とかというような国際儀礼上の慣行とか、老人あるいは病人、その他税関長が特に必要と認められる方に対しましては、荷物の運搬、通関の補助のために出迎え人に検査場への立ち入りを認めるという許可をしているわけでございまして、そういう方に対して一切検査をしない、いわゆるフリーパスという制度は全然ないわけでございます。
ありますのは、通関補助のために、出迎え人を特に必要と認め得る方に対しまして検査場への立ち入りを認める、こういうことをいままでもやってきておりますし、現在もやっております。そして、いま相当回数が多いのに、そういうルーズなことをしているからいままで見つからなかったんじゃないか、こういうふうな御指摘かもしれませんが、決してそういうわけでございません。
そういうことで出迎え人が相当来るということがわかりますと、刑務所と警察が連絡会議というのを開いておりまして、交通規制の方法あるいは出所させる場合のやり方、いろいろ相談をいたします。それと並行いたしまして、刑務所の方からは本人に対しまして、出迎えを自粛するように手紙を出すように勧めます。それから、それでも効果がございません場合には、刑務所の所長名で暴力団の幹部の方に対して出迎え自粛を要望する。
それから出所時につきましては、これは入所時の問題よりも出所後の健康の問題でございますので、できるならば施設側の医者が若干病気の可能性のある者については出迎え人等にひとつ出所後に医者の診断を受けるようにというようなアドバイスができるような余裕をやはり刑務所の体制の中に盛り込めたならば、いま言ったような疑惑がより少なくて済むのではなかろうか。
これはおそらく、表門の看守のほうで出迎え人なのかどうかをさらに確認をして、いや出迎え人だというならば、その本人との関係を聞いて、場合によっては庁舎内の適当なところで待たせるというような方法もとられたんじゃないかと思いますが、表門の看守と迎えに来た人——名前はわからないようでございますが——との応待の間にもう少し配慮するように心がけるようにしたらよかったのではないか、このように考えます。
出迎え人が非常にたくさん来まして、これは洞爺丸の二の舞を演ずるだろうという考えで徹宵で家族たちが待っておったという状態が現出されておった。だから私は今度は気象庁としては函館にレーダーを設置する、あるいは名古屋にレーダーを設置する、あるいは仙台、広島にレーダーを設置するということについては、あらかじめ新聞でも報道され、大蔵省にそれを提出しておったわけです。
どこか山の奥の方に潜伏しているような出迎え人はおらなかったのです。ほんとうに平穏な上陸風景だったのです。いかがですか。
中共地区の出迎え者は引揚者の約九割前後でございますが、ソ連地区の出迎え人は十六割となっておりますので、いかに留守家族がソ連地区よりの引き揚げに対して関心を持っておるかということがうかがわれるのでございます。
しかし、援護局内にはその設備がないのでありますから、出迎え人の宿泊所に充てておりました森寮を活用いたしまして、これに九州に帰る人を長期にお置きしたらいいということになりまして、いろいろ当局とも現地で研究いたしました結果、森寮は四むねあるのですが、現在三むね使つておるのをフルに四むね使用する、それから炊事施設の完備、ふろ場をつくるということになりますと、どうしても応急施設費として百万円はいるだろう、かりに