2017-12-01 第195回国会 衆議院 法務委員会 第2号
○畝本政府参考人 保護司制度について、何を起源とするのかというのは難しいところではございますけれども、明治二十一年に、静岡県の実業家であった金原明善が、静岡監獄の副所長であった川村矯一郎とともに静岡県出獄人保護会社を設立して、釈放者の宿泊保護や就職あっせんを行うとともに、県下全域に千七百人の保護委員を配置して釈放者の支援などに当たらせたことが保護司制度の先駆けとされております。
○畝本政府参考人 保護司制度について、何を起源とするのかというのは難しいところではございますけれども、明治二十一年に、静岡県の実業家であった金原明善が、静岡監獄の副所長であった川村矯一郎とともに静岡県出獄人保護会社を設立して、釈放者の宿泊保護や就職あっせんを行うとともに、県下全域に千七百人の保護委員を配置して釈放者の支援などに当たらせたことが保護司制度の先駆けとされております。
そのほかに、勧善会、出獄人保護会社、こういうものを設立して、無頼を感化せしめ生活の道を助けた、こういうことで更生保護の父と言われておるわけでございます。保護司会というものは本当に百年以上の伝統があるわけでございますけれども、しっかり対応していただきたい、こういうふうに思っております。
特に、保護司の先駆けというのも、明治二十一年、静岡県、上川先生も大口先生も静岡県ですが、金原明善さんという方が静岡県出獄人保護会社を設立して出獄人の世話を始めたということがきっかけだということを知りました。
物の本、あるいは文献によると、現在の我が国の更生保護の起源となったものは、明治時代に出獄人保護会社というものができたということでございます、静岡県でしょうか。
我が国の保護制度の淵源というのは、今御指摘になりました、静岡県の出獄人保護会社というものが県下に配置した保護委員にあると認識をいたしておるところでございます。
○政府参考人(麻生光洋君) これは多分歴史的なものではないかと思われるわけですけれども、先生も御存じと思いますが、明治二十一年に金原明善という人が、我が国最初の更生保護施設であります静岡県出獄人保護会社というものを設立いたしました。で、静岡県下に約千七百人の保護委員というものを委嘱したことがございます。
問題は、明治のときの、これは明治二十一年に静岡県から始まった制度でございまして、あのときには金原明善さんが出獄人保護会社というのをつくりまして、それに対応して同時に千七百人の保護司を任命したというのが日本の制度のいわば発祥なんでございますけれども、そういうことを思い浮かべながら、改めて、この刑事施設法が誕生するときには、それに合わせた同じような発想方法というか、それを今様にした制度をもう一遍つくりかえるぐらいの
その更生施設の重要性というものが見られるところでありますが、明治二十一年に我が国の最初の更生保護施設、静岡県出獄人保護会社、現在の静岡県勧善会が設立をされたと聞いております。 そのきっかけは、静岡監獄に収監されていたある重罪犯が、熱心な当時の副所長さんの指導にこたえて、更生を誓い、出所をしたということが保護局のパンフレットにも書いてありました。
「その他の国の責任において行う更生の措置、つまり更生保護事業の沿革があって、例えば静岡県の出獄人保護会社ですか、そういうところから始まって民間の慈善事業としてずっと沿革がある。その中で国がサポートをしてきた。そして、その重要性も法務省としてもお考えにたってこられて現在に至っておる。 しかし、そうではなくて刑罰権という問題もある。