1997-06-12 第140回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第5号
御存じのように、昭和十五年、これは戦時中でございますが、五千六百三十万トン出炭をして、戦前では最高の出炭記録だ、こう思うわけでございます。また、戦争末期には、炭鉱で働いておられた方は大体四十万人いた、こういう話もあるわけでございます。
御存じのように、昭和十五年、これは戦時中でございますが、五千六百三十万トン出炭をして、戦前では最高の出炭記録だ、こう思うわけでございます。また、戦争末期には、炭鉱で働いておられた方は大体四十万人いた、こういう話もあるわけでございます。
しかもそれが北海道では、暖房用石炭のためにということで、会社が労働者に増産運動をさせまして、北海道民が寒さをしのぐためにはわれわれも働かなけばいけないというので、当時は十二、三時間の労働をやりまして、終戦後最高の出炭記録を上げております。
(拍手) 今日、敗戰後の日本において、戰時五千万トン以上の出炭記録をもつておりますところの日本の炭鉱、しかも、さいわいにして戰災の被害を免れ、これをもつて日本産業再建の基礎といたしますためには、もとより資金、資材その他多くの解決すべき難問題をもつておることを認めるのであります。しかしながら、資金といい、資材といい、おのずから今日の現状においては限度の存することを認めなければならないのである。