1959-03-12 第31回国会 参議院 外務委員会 第9号
と申し上げまするのは、昨年の漁獲量が、御承知のごとくマスにつきましては豊漁年、凶漁年のサイクルが一年ごとに交代するので、昨年は凶漁年であって漁獲量が減るということは、これは当然のことではございましたけれども、そのサイクルがソ連の沿岸側でとる者にとりましては非常に少なかった、こういうことでございます。
と申し上げまするのは、昨年の漁獲量が、御承知のごとくマスにつきましては豊漁年、凶漁年のサイクルが一年ごとに交代するので、昨年は凶漁年であって漁獲量が減るということは、これは当然のことではございましたけれども、そのサイクルがソ連の沿岸側でとる者にとりましては非常に少なかった、こういうことでございます。
それは、一九五七年の湖河の親魚がマスについて非常に少かったと、また日本側も承認いたしておるのでありますが、マスの中でアムール系あるいは樺太系のマスについては、今豊漁、凶漁のサイクルが、むしろ偶数年が豊漁年で、奇数年が凶漁年になると、こういうサイクルをいたしておるのであります。
日ソ漁業委員会第一回会議は、二月の十四日から開かれまして、北西太平洋における漁業の多くの問題について審議を続けて参りましたが、そのうち最も重要な一九五七年度の総漁獲量については、当初わが方より十六万五千トンを要求いたしましたところ、先方は昨年のモスクワにおける交渉においてすでに決定済みであると称して、凶漁年八万、豊漁年十万トンの数字を固執し、わが方はこれを反駁し、委員会は激しい応酬を重ねてきたわけでございます
○井出国務大臣 本年が出漁年であるか凶漁年であるか、この論争には両国門でかなりの日子が喪されたのでございます。わが方といたしましては、過去何十年間にわたる漁獲統計というものがございまして、これから立証いたしまするときに、上西暦の年数で奇数年次は豊漁、偶数年は不漁ということが大体狂いなく過去の実績によって立証せられるのでございます。
○芳賀委員 そこでお尋ねしますが、十二万トンが今年に限るというような例外的措置であるといたしましても、こういう数字が明確になった以上、ソ連が主張する凶漁年八万トン、豊漁年十万トンという原則的な主張は、この十二万トンの一つの取りきめによって原則の根拠がくずれたというふうにも見られると思うのですが、その点の判断はいかがですか。